マスクをつけて出産した時のこと
2020年12月12日に、第一子の女の子を出産しました。
妊娠出産は百人百色。
一人ひとり全然違う出産なんだ、と産んでみて実感しています。
「あと3日で陣痛促進剤だって。それってさ、大人の都合だよ?ちゃんと自分のタイミングで出てきた方がいいんじゃないの?」と臍の緒を通じて念じていたわたし。
なかなか生まれてこない我が子に、「もう出てきていいんだよ〜、でも火曜か土曜(仕事休みの日)の昼間にして!」とお腹に話しかけ続けていた夫。
そしたらちゃんと促進剤投与前の土曜のお昼に生まれてきた、我が子。
自分の出産時の話は、どうもドラマチックに感じてしまうようです。
(だから多くの人がSNSに出産レポを残すんじゃないか?と思い始めている)
例に漏れず、書いてみました。
通常の出産を知らないものの、コロナ禍の出産はやっぱり不安だったし、
今後こんな経験をすることがあるかわからないので、残してみます。
2回目の緊急事態宣言も出た今、あわよくば誰かの役に立ったらうれしいです。
※包み隠さず書いたらほんとにリアルな出産話になってしまったので、読む決意がある方だけ読んでみてください。笑
私について
・33歳
・初産
・普通分娩
とにかく痛みが怖くて無痛分娩にしたかったのですが、もともと子宮筋腫があり、経過観察中でした。
近隣の病院で無痛分娩ができるのは個人病院1箇所だけ。
もし筋腫の位置が悪いとハイリスク分娩になるかもしれず、個人病院では対応できない可能性もあるので、泣く泣く何かあった時のために大きい病院を選びました。
ああ、早くどこでも無痛分娩の選択ができるようになりますように。
妊娠中〜出産まで、コロナ禍で制限があったこと
・夫の立ち合いは分娩室のみ。陣痛室への入室不可。
・産後2時間までの面会可能。入院中の面会は一切不可。
(入院中に荷物を持ってきてもらう場合は入り口で警備の人に預ける)
・入院中、通常はママ同士の交流会があるが、無しに。
・分娩室ではマスクの着用必須
・妊婦検診への夫の同席も不可。医師に呼ばれた場合のみ。
・両親学級も縮小。一部中止や妊婦のみの参加に限定される等
このくらいだったと思います。
では、出産時のこと、時系列で書いていきます。
出産時のこと。2020年12月11日(金)出産予定日・妊婦検診
9時半
妊婦検診。子宮口は1cmしか開いておらず、生まれる気配無し。
検診のたびに「(控えめに言っても)大きいね〜」と言われていたが、大きすぎるかも知れず早く産んだほうがいいということで、月曜に入院し陣痛促進剤の投与が決まる。
「刺激しておきますね〜」と、もれなく内診ぐりぐりされる(前回に続き2回目)。痛くて呻き声が出る。陣痛はこれより痛いのかと思いゲンナリ。
11時
帰宅し夫と母に週明けの入院を報告。
準備できるからよかったんじゃないと励まされるが、不安。
友達からの「どう?生まれた?」というLINEにやたら腹が立つ。(マタニティブルー。ごめん。)
13時
内診後にずっと続く腹痛。ひどい生理痛みたいな感じ。テンションだだ下がりで、ただソファで寝ていることしかできない。
痛みを紛らわすために本を読む。
17時
強い痛みがきたり、治まったりしているような気がする。
陣痛きたかもで間隔を測ってみる。
規則性なさそうなのですぐに測るのをやめる。
20時
規則性が出てきたような?でも前駆陣痛なのか本陣痛なのかわからない。
22時半
7〜9分刻みで1分程度の痛みが来るので、これが陣痛!と確信。
職場の人に出産前祝い飲み会を開いてもらっていた夫に、なんかお腹痛い。とLINE。帰ってきてもらう。
出産時のこと。12月12日(土) 出産当日
0時
夫帰宅。痛いけどまだ弱いような気がしたので病院に電話するか迷う。8〜10分間隔。
0時半
夫の後押しで病院に電話。
「病院きてもいいんだけど、家族とはいられなくなっちゃうから、もし少しでも眠れそうなら家にいた方が落ち着くだろうし、間隔計らなくていいから今のうちに寝て、5分間隔くらいになったら電話して」と言われる。
1時
とりあえず布団に横になる。
うとうとして、陣痛がきたら夫に尾てい骨あたりを押してもらう。もっと強く押して!を100回くらい言った気がする。
腰が壊れてもいいから押してくれ、って感じだった。
5時半
5〜6分間隔になった。でもまだ痛みが弱い気がして陣痛の痛みってこの程度なのか?と思いながら改めて病院に電話。眠気で頭がぼんやりする。
入院準備をして、軽食とマスクを持って病院にくるように言われる。
6時
タクシーを呼んでもらい、5分後にはきてくれた。
いきなり痛みが強くなってきて、玄関からタクシーまで20mくらいなのに2回しゃがんで休憩して、母と夫に脇を抱えられながらタクシーに乗る。
6時半
病院着。母子手帳ありますか?と聞かれ、忘れたことに気づく。
一番忘れちゃいけないやつ!痛恨のミス。
夫に取りに帰ってもらう。私はそのまま陣痛室へ。産衣に着替えてベッドで横になる。
7時
たくさん深呼吸。とにかく吸って吐いて、紛らわす。
夫が母子手帳と軽食を持ってきてくれる(この時も会えない。助産師さんが受け取ってくれた)。
陣痛の合間に食べれるだけ食べて!と言われるも、食べている場合ではない。でも、無理やりサンドイッチを少しだけ食べた。
助産師さんがたまに見にきてくれるが、基本一人。
夫に付き添ってほしいの、今!!と思う。孤独。
陣痛の合間は眠気でうとうとして、陣痛がきたら、気を紛らわすためにあ〜〜とか痛い〜〜とかとにかく声を出して紛らわす。
うるさいだろうなと思ったけど他人を気にしている場合ではない。
8時半
子宮口7cm!「順調ならお昼頃には産まれますよ!」と言われる。
時計を見て、あと3時間以上あることに絶望する。
9時半
痛くて、一人きりの部屋で叫びまくる。
叫びたい陣痛と、呼吸だけでなんとかやり過ごせる陣痛が交互に来る。
とにかく呼吸することだけに集中する。す〜〜〜は〜〜〜〜と、呼吸するのも声を出しながらじゃないとできなくなってくる。
助産師さんが長くいてくれるようになってきた。
いきみたくなってくる。
いろんな人の出産レポで、「う○ちを我慢する感じ」と表現されていたのはこれか!!と実感。我慢して、脚が震える。お尻をテニスボールで押してもらうと楽。
一人の時は自分でテニスボールで尻を押さえる。
これ、パートナーに押してほしいやつや!!と思いつつ、自分でやるとうまくできないけどないよりマシなので抑え続ける。
10時半
まだちょっと早いけど、と分娩台に歩いて向かう。
やっとか!!と思うものの、いきんで良い許可は出ない。
苦しい。
マスクしてなきゃだめですか⁈と聞くも、コロナ対策なんでごめんね…と言われる。
なかなか破水せず、人工破水させられる。
手足が痺れてきた。
なんか手足が痺れてるんですけど!!と言うと、過呼吸みたいな感じだから、自分が吐いた息を吸って!と言われてマスクの上にさらにタオルを被せられ、朦朧とする。
いきんで良いよ!と言われる。
あーもう我慢しなくていい!!と少しホッとして、やる気が出てくる。
酸素マスクをつけられた。呼吸が楽!!最初からこれにしてくれ!!酸素最高!!
2、3回いきむ。
褒めて伸ばすタイプの病院(?)だったので、いいよ〜いいいきみだよ〜と褒められる。
バースプランにはできるだけ会陰切開したくないと書いてたけど、ごめんね!と切られる。
普通に感覚あり。思ってたほどは痛くなかったと思うけど、もはや条件反射的にいたい!と叫ぶ。
何かしら発して気を紛らせたい。
なかなか頭から下が出てこない。
ここで、ちゃんと出てきますか⁈と謎の質問をする。
12:10
産まれた!
おめでとうございます、女の子です!と、両手両脚を広げた赤ちゃんを見せられる。脱力。脚がガクガクする。
は〜がんばったね、ちゃんと出てきたね〜と、感動して泣く。
泣き声がかわいい。
今から14時頃までが旦那さんのみ面会可能な時間なので、連絡してください。と言われ、
分娩台で股を縫われながら、産まれた!きて!と連絡する。
陣痛中、「順調ならお昼頃」ってLINEを送っていて「お昼頃産まれるの?」という返信を放置したままだったので、いきなり生まれた感があってとても驚いた模様。
たった2時間の面会時間は、夫に赤ちゃんを抱っこしてもらったり、ふつうの会話をしたりとゆっくり過ごしました。(というか何話したかあまり覚えていない)
授乳してみますか?と助産師さんに言われ、夫が見守る中はじめての授乳。
生まれて1時間ちょっとなのにできるの?と思ったけど、おっぱいを咥えさせるとちゃんと吸うのをみて、人間って本当に哺乳類なんだな〜と感心した。
制限があってつらかったこと・良かったこと
つらかったこと、2つ。
陣痛中一人の時間が長く、孤独感があったこと。
初産だし尚更かも。
でも、夫がついてても役に立たないからいい!という人もいるそうなので、いたらいたで別の感想だったのかなぁ。
分娩室は立ち合い可能なので、立ち合いしてほしい人はいいのかも。
わたしは自分がどう豹変するかわからなくて怖かったので立ち合いしないでもらいました。結果、めちゃくちゃうるさくて見せられる姿ではなかったので、良かった。
あとは入院中の面会ができないこと。
わたしの場合は近くに親族は住んでいないので、くるとしたら夫か手伝いに来てくれている実母のみでした。
夫には、会いたかった。
生まれた翌日から毎日顔が変わっていく我が子を見てほしかったし、個室で母子同室でいきなり赤ちゃんと2人の生活が始まってしまったわたしの話を、顔を合わせて聞いてほしかった。
マスクつけていきむ、というのは苦しいは苦しいけど、ただでさえ呼吸はすでに苦しい状態なので、割とどうでもよかった。
酸素マスクがついた時に初めて、こんないいものあったんじゃないか!!とは思った。笑
良かったこと。
産後、わたしの場合は翌日くらいからメンタルが不安定で、本当になんでもない時にいきなり涙が出たりすることがありました。あと、わたしの場合はあまり他人と接したくなかったです。
そう考えると、誰にも会わなくていいし面会できないのはある意味楽だった面も。
あとは、そういうメンタルなので、通常だとあるらしいママ同士の交流会もなくて良かったかも。
交流したい人は、授乳室に行って他のママと話したりしているようでした。
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十月十日お腹にいた赤ちゃんだけど、外に出てきてしまうと、この人本当にお腹の中にいたんだよね?と不思議に感じます。
妊娠がわかった日、「妊娠してるって。でもまだ心臓動いてるか見えないし、生きてるかわかんないけど」と自分でも驚くくらい冷静に夫に言いました。
嬉しいとか、そういう気持ちはあったかどうか。
でも2回目の病院のエコーで、はじめて1.6cmのクリオネのような胎児をみた時、その心臓が身体の大きさに合わないくらい大きく脈打ってるのをみて、一生懸命生きようとしてるのか、じゃあがんばって一緒に生きようねって思ったんだった。
もうすぐあっという間に新生児期が終わって、乳児になって、幼児になって。どんどん大きくなっていったら、生まれた時の気持ちは忘れてしまうかもしれないから、そしたら自分でこのnoteを見返して、初心にかえろう。
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