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【読書感想文】怪物

久しぶりにじっくりと本を読んだ。

本を読む時の波がある。
結構気軽には読めなくて「よしっ読むぞ」と少し気合いを入れないと読めない。それは内容に集中したかったり、あれやこれやとやらないといけない事が無い余裕がある時にじっくりと読みたいからだ。字を読みたい欲にも駆られないと読まない。

最近はその"字を読みたい欲"があまり沸かなかったので読んでいなかった。
しかし、常連の方がこれ面白いですよと最近貸して下さった。正直な事を言うと、映画化されて気になっていた作品ではあったものの、オススメされると乗り気じゃ無くなる。とても面倒臭い性格なのだ。

それでも折角貸して下さったので読まない訳に行かず渋々読み始めた。読み始めても中々気が進まずカタツムリが動くぐらいのスピードで読んでいた。

しかし、更に読み進めているとどう言う事だ?何でそうなったんだ?えっ?と言う事は?とどんどん興味が出て気づいたら読み終えていた。
ページを捲る手が止まらなかった。
そんな感覚は大好きな作家「伊坂幸太郎」以来だった。

伊坂幸太郎の「重力ピエロ」「アヒルと鴨のコインロッカー」「ゴールデンスランバー」は特に大好きでこれらもページを捲る手が止まらずに直ぐに読み終えてしまった。その時と同じ感覚に久しぶりに陥った。最近やっと読んだ村上龍の「69」もそうだった。


それが今回の【怪物】だ。



作品について

映画版の監督は「万引き家族」でカンヌ国際映画祭最高賞パルムドールに輝いた是枝裕和。脚本は「東京ラブストーリー」「最高の離婚」「問題のあるレストラン」「カルテット」「大豆田とわ子と三人の元夫」などを手掛けた坂元裕二。

もうこの2人がタッグを組んだ時点で間違い無い。中でも「万引き家族」は感動した。

「感動した」と聞くとかなり薄っぺらく感じるが自分の場合はそうでは無い。普段、感動する事もそんなに無いし映画を観て感動する、心を揺り動かされるみたいな事がほぼ無い。ましてや泣くなんてありえない。そもそも"泣ける映画"と銘打った作品が好きでは無い。どうも感情移入出来ず斜に構えて観るので「はいはい。」とどこか冷めているのだ。泣けないのだ。

しかし、万引き家族は初めてくらいに泣いた。こんなに映画を観て心を揺り動かされたのは初めてだった。それくらいに感動したし、大好きな作品。だから面白く無いわけが無いと思っていた。

公開日に劇場で絶対に観ようと思っていたのに完全に見逃してしまった。だから、今回小説を貸して頂いてラッキーだった。

シングルマザーの母親、その子供と友達、子供達の担任、校長のそれぞれの視点で物語は進んで行く。発端は学校であったある出来事がきっかけでそれが大きな事になって思いもよらぬ方向へと事が進んで行くと言った内容。
徐々にフラグが回収されて行く様な点と点が繋がって行くのが読んでいて爽快。続きが気になり過ぎて一気に読んでしまいました。
自分なりの考えをまとめたいのでネタバレも含みます。

第Ⅰ章(早織視点)

1人息子を女手一つで育てるシングルマザーの早織。
息子(湊)の様子がどうも最近おかしく心配している。しかし、息子に気を使い過ぎてその原因も聞けないでいる。

ある日は鼻を怪我して、またある時は耳を怪我をして帰って来た息子を見て原因を聞くと担任の保利先生にやられたと言う。保利は変わり者でそう言う事をやっていてもおかしくなかった。更に問い詰めると暴言を吐かれたり、殴られたり、給食を食べさせてもらえなかったり酷いいじめにあっている様だった。

ある日の夕方、洗濯機の中に絵の具で汚れたTシャツを見つけた。事情を聞こうにも暗くなる時間だというのに湊は帰って来ない。40年も前に廃線になった鉄道トンネルの跡地で湊を見かけたという情報を得て、急いで湊を探しに行った。

トンネルの中を進んでいくと「かいぶつ、だーれだ?」という湊の声がした。早織は声の方に走り寄ると湊を抱きしめて車に乗せる。帰っている最中に突然、走行中の車の助手席のドアが開いたかと思うと湊が車から転がり落ちていった。

幸い大した怪我では無かったが念の為、CTを病院で取ってもらった。やはり何も問題が無かったのですぐに帰らせてもらえる様だった。帰り道に湊に矢継ぎばやに質問をすると「自分の脳は豚の脳と入れ替えられているの?」と言う。とんでもない事を言いだして、そんな侮辱的な事を誰に言われたのか問いただすと保利だと言う。

怒り心頭の早織は学校に話を聴きに行く事を決意。校長や教頭、保利やその他の先生達も加わり話し合いの場が設けられたがしっくり来ない。彼らは一辺倒な答えでどうも心がこもっておらず、まるでリハーサルしたかの様にロボットの様に同じ言葉を繰り返すだけだった。

煮え切らない態度にイライラしながらも何度か話し合いの場を設けてもらい、謝罪をしてもらう事になったのだが保利は歯切れが悪く辿々しい謝罪をして来たのだ。更に飴を舐めたりと火に油を注ぐ様な事までやってのけた。

それでも尚、他の先生達や校長も通り一辺倒な謝罪や説明しかせずモンスターペアレントをあしらう様な態度でその場を丸く収めようとしてくるのだった。

そんな"怪物"の保利を見て堪忍袋の緒が切れて早織も保利に「あんたの脳が豚の脳なんじゃないの?」と暴言を吐く。更に丸く収めようとする校長を始めとする先生達、学校にも怒りを通り越して不気味さも覚えるのだった。

その時、"怪物"の保利は「同級生の依里をあなたの息子がいじめている」と言い出した。あんな優しい子がそんな事をする訳が無い。やはり怪物だ。
翌日、その依里を話し合いの場に呼んで事実確認してした所「いじめられてない」とはっきり証言した。更には「湊くんが保利先生にいつも殴られている」と衝撃の事実を話した。やはりここにはもう居れない。この"怪物"を辞めさせるしかない。

後日、保護者達を集めた説明会で謝罪させた。
本人自ら辞職も申し出た。一件落着したかの様に思えたが、大型台風が接近して来た早朝に息子の名前を外から呼ぶ声がした。恐る恐る外を覗くと何とそこに居たのは

保利だった。


第Ⅱ章 (保利視点)

4月から新しく小学校に赴任した保利。もう7回も異動している。でも色んな土地に行けるので嫌では無かった。子供達の組体操の練習に励んだり、自分の小学生の頃の爆笑をかっさらった作文を読んで子供達に馴染もうとしていた。

ある日の教室で湊が奇声を発しながら体操着が入った袋を怒りに任せて投げて暴れ回っていた。保利が止めようと手を伸ばした時に湊の鼻に当たって鼻血が出てしまった。

そしてまたある日には湊が依里の上に馬乗りになっていた。2人とも絵の具だらけで、湊は左の耳をけがしていた。更に、依里が上履きを隠されたり、トイレに閉じ込められたりと、いじめられている様子を目撃する。保利は、湊が依里をいじめているのではないかと疑い始める。
でもはっきりとした確証は無かった。

そんなある日、湊の母親、早織が学校に乗り込んで来た。湊が保利に殴られた、体操着を投げ捨てられた、耳に傷を負わせ暴言を吐かれた、給食を食べさせてくれなかった。

どれも身に覚えのないことばかりだった。

学校側からは、場を納めるためにとりあえず認めて謝罪しろと指示される。直接誤解を解きたいと言う保利に校長の伏見は「実際どうだったかはどうでもいい」と言った。学校はことを穏便に済ませることだけを優先したのだ。

依里がいじめられている確証を得た保利は依里の実家に訪問する。すると依里の父親が飲みかけの缶チューハイ片手に帰ってきた。依里の家はシングルファザーだ。エリート意識の強い父親は保利に「大学どこ?」と上から目線で尋ねてくる。
そして、依里のことを「人間じゃなくて豚の脳が入ってる」と狂っている事を言い出した。更に「あいつを人間に戻してやる」とも言っていた。酔っているのを抜きにしても言って良い事と悪い事がある。自分の息子に対して何て事を言うんだ。これは日常的に虐待を受けている。

そして、父親が言っていた「豚の脳が入っている」と言った言葉こそが湊の母親、早織から言われた言葉だった。

後日、湊の母親が弁護士に相談した様で学校で保利に対するアンケートが行われた。その結果、保利の暴言や暴力が「ある」と認められた。学校からは教育委員会から調査が入ったり学校の存続にも関わるからとりあえず謝ってと言われる。

一度は断ったもののもうどうすれば良いか分からなくなり、急遽開かれる保護者会で謝罪させらる事になる。用意された通りに形だけの謝罪をし退職を余儀なくされる。

保利は湊の母親、校長を含む先生全員が"怪物"に思えた。

その後、保利が恋人と帰っていると週刊誌の人達からいきなり取材を求められた。余計な事は言えないと拒否したが週刊誌には【暴力教師】として書かれてしまった。

どうしても納得のいかない保利は、もう一度湊と話がしたくて学校に出向いていった。湊を追いかけ保利が「キミに何かした?」と尋ねると湊は否定した。逃げ出した湊が階段から落ちてけがをし、保利が突き落としたことになっているようだった。

慌ててそこから逃げ出し、家に帰り着いた保利は未添削の作文に目をやる。読書が趣味の保利はその時に見つけた誤字脱字を添削するのが趣味だった。
なんとなく添削を始めた作文は依里のもので、そこには湊と依里の関係性を示すトリックがあった。全てに気づいた保利はいてもたってもいられず、嵐の中湊の家に向かう。

第Ⅲ章 (湊視点)

依里は蒲田大翔にからかわれていた。
依里の事は気になるけど自分がからかわれそうで距離を保っていた。

大翔の度を超えたイジりはもはやいじめで、どうしたら良いか分からずに片っ端から体操着を投げ捨てて暴れ回るしかなかった。そこへ保利が止めに来た。その時たまたま手が当たって鼻から血が出てしまった。

下校途中に依里を見つけ話しかけると廃線になった鉄道跡地に誘われた。トンネルを抜けると電車の車両があり電車は湊と依里の隠れ家になった。そこへもしもの事があったらと各々お菓子を持ち寄り貯めたりした。

電車の中は手作りした工作で飾っていった。給食で取っておいたパンを中で食べたり一緒に宿題の作文を書いたりもした。
その時に依里に言い寄られて自分の下半身に激痛が走った。何だか変な気分になった。自分は普通じゃ無い。

自分は怪物なのか?

学校の外では依里と仲良くできるのに学校の中では相変わらず大翔の目が気になって、依里がトイレに閉じ込められた時にも助けることができなかった。それを保利に見られた。

ある日、学校の図工の時間が終わると大翔が依里の机の上に絵の具をチューブから縛り出した。教室に戻って来た依里が絵の具を雑巾で拭いたが大翔がそれを奪った。それが湊のところに飛んできて湊が依里に返すと大翔は明らかに不満げに湊をからかい始めた。「あつあつですねー!」

昨日の依里との出来事を思い出し訳が分からなくなって依里から雑巾を奪い返そうと取っ組み合いになった。

依里に謝ろうと湊は学校から帰るとすぐに鉄道跡地の電車に向かったが依里はいなかった。しばらくして声がしたので近づいて行くと、そこに現れたのは湊を心配して探しに来た母親の早織だった。その背後に依里が見えた。しかし、母親の姿を見てどこかへ行ってしまった。

車に乗せられて帰っていたが、依里のところに戻ろうと思い車を止めてほしくて助手席のドアを開けたのだが、はずみで車外に投げ出されてしまった。その後、病院でCTを撮ると言われて自分の頭の中身が見られて母親にバレるのでは無いかと焦った。そして、自分の嘘を守る為に保利を悪者に仕立てあげた事に次第に罪悪感が湧いて来た。

ある時、ベランダで出会った校長先生に「保利先生は悪くない。嘘をついた」と告白した。校長先生は湊を音楽室に連れて行って誰にも言えないことはふーって吐き出せばいいとホルンを手渡した。自分の下手な音の後に校長先生が吹くと透き通るような音が学校中に響き渡った。

怪物とは何なのか、、、
怪物の正体とは一体、、、

怪物とは?

怪物とは何なのか?
三者の視点でストーリーが進んでいくのだが、結局、「観る視点で怪物が変わる」のだ。

第一章の母親、早織視点で観ると保利と言う人物の事をそこまで深く知りもしないのに、ただ【風変わりな人】と言うだけで息子の湊の言う事をほぼ信じ切っている。キャバ嬢を持ち帰りしていたと言う噂を聞いた時も「あの風変わりな人ならやりかねない」と事実確認もせずに鵜呑みにしている。

でもこう言う事ってよくあると思う。自分も読んでいる時に何故こんなクソ教師が続けられているのか?何故生徒にこんな仕打ちをするのか?サイコパスなのか?と心底怒りを覚えた。しかし、能面の様な校長、ロボットの様に同じ事を繰り返して言う先生達に比べれるとふてぶてしさはあるものの、人間味が1番あるのかもしれない。と早織が言った時に確かにそうだと思った。本当は良い先生なんじゃ?と思った。

しかし、依里の発言でやっぱりクソ教師だと思った。第一章のラストには早朝なのに台風でめちゃくちゃ雨が降っているのに大声で保利が呼んでいる描写は戦慄した。

第二章を読むと自分の認識が間違っていた事を思い知る。保利は生徒思いの良い先生なのだ。しかし、シングルマザーは過保護な所があるとか穿った見方もしている。そして、それをポロッと言ってしまう人間性って言う所も問題だ。
でも、根は真面目で悪い人間では無い。

そう言う所につけ込まれたのか湊の母親、早織から事実無根の事を言われてトラブルが起きた時に自分の言葉で説明したいと申し出ても、それを有耶無耶にしたい事なかれ主義の学校の先生達から制止され仕方なく受け入れてしまう。
結果、それがどんどん悪い方向に転がってしまって取り返しのつかない事になる。

母親が「自分の息子は優しいから大丈夫」と盲信し過ぎるの良く無いなと思った。それが母親に限らず親しい人でも全てを信じ過ぎるのは良く無い。それが悪い事だったら尚更である。

そして、学校の先生達も保身に走って有耶無耶にしようとする事もあるんだと思う。事実無根なのに学校を守る為に、何の関係も無い先生が悪者に仕立てあげられ消される。学校だけに限らずとも社会でもこう言う事はあるんだと思う。そう考えると恐ろしい。

その保利を悪者に仕立てあげた張本人の湊。
優しい良い子なんだが最初はちょっと様子がおかしい子なのかな?と思っていた。第三章でその事実が明かされるのだが、そっちか!!と良い意味で裏切られた。でも、それは仕方が無いと言うかなりたくてそうなった訳でも無いので仕方が無いとしか言いようが無い。

誰もが怪物になりうるし、誰かから怪物として見られているかもしれない。

人間は自分が見たい様に見るし、見たくないものは見えない。そう思いたい様に判断する。それは良くも悪くもだとこれを読んで感じた。事実は一つなのに視点が変わるとこうも事実が捻じ曲げられるんだと恐怖も感じた。冤罪もこうやって起きるのだろう。

自分自身にも同じ事が言えるし自分はこうはならない様に戒めようと思う。

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