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宇多田ヒカルと言う表現者

『1番好きな歌手は誰ですか?』

音楽の話になると必ず聞かれるし、自分が聞くのがこの質問だ。

この問いに必ずこう答える。

宇多田ヒカルです。

それくらいに宇多田ヒカルが好きだし、数多いる音楽家の中で1番カッコ良いのが宇多田ヒカルだと思っている。

正直言って「宇多田ヒカルが好きです!」と声を大にして言うのが学生時代は恥ずかしかった。オリコンチャートに新譜が出ると必ず入ってくるし売れている歌手を挙げるのはダサいと思っていたからだ。

別に個人の趣味なのでどうでも良い事なのだが「EXILEが好きです!」と同義な気がしていた。それよりも「redioheadが好きです!」とかの方がカッコ良いと思っていた。

宇多田ヒカルとの出会い

忘れもしない。小6の時におかんが当時爆発的に流行っていた「First Love」のCDを買って車の中で洗脳かな?くらいに無限リピートしていた。宗教の教材か?くらいにずっと繰り返し聴いていた。あの時のおかんはこれしかCDを持っていなかったのだろうか。いや、持っていた。(マライアキャリーのベスト盤)

First Love (1999)

それでずっと聴いていると歌える様になった。もちろん言葉の意味も分からずに、聴こえてきたまんまを空耳アワー的な感じで覚えていた。その時は何も宇多田ヒカルの情報を知らなくて、変な歌だな〜くらいに聴いていた。

それからめちゃくちゃハマった。その反面おかんはそれ以降ハマらなかったのかCDを買わなくなった。
その小学生の時、同じくハマっている友達が新譜が出たら買ってもらっていてその友達から2ndアルバム「Distance」を借りた。その頃はキムタク主演の月9ドラマ【HERO】などにも楽曲が使用され更に売れっ子になっていた。

Distance (2001)

そして、次作「DEEP RIVER」
自分は中2になり初めてくらいのお小遣いでCDを買った。その頃はメロコア最盛期でバンドブーム。他の同級生は「Going Steady」や「MONGOL800」を聴いていた。そんな中で宇多田ヒカルの「DEEP RIVER」をこそこそと聴いていた。そう。J-POPを聴いているダサいやつと思われたくなかったのだ。ゴイステやモンパチを聴いている!と言う方が当時の中学生にしてはめちゃくちゃカッコ良かった。「POTSHOT」や「Snail Lamp」、「Hi-STANDARD」を聴いている方が最先端みたいでカッコ良く感じたのだ。宇多田ヒカル好き!なんて言おうものならハブられるんじゃないか?と言う恐怖心があった。

DEEP RIVER (2002)

そうやって声を大にして好きと言えず家でこそこそと聴いていた。でも、今なら声を大にしてあの時の自分に言ってやりたい。

そのままで良いぞ!!!!!!

あの時、宇多田ヒカルを聴くのをやめなくて良かった。こんなにも素晴らしい音楽家にハマって良かった。

宇多田ヒカルの表現の幅広さ

それから中学を卒業し、高校、大学も卒業し働き始めた。その間に色んな沢山の音楽に触れて来た。宇多田ヒカルはあまり聴いてない時期もあって、たまに懐かしくなって初期作品を聴いたりするくらいだった。その間に結婚したり離婚したり海外デビューしたり、活動を休止したり。宇多田ヒカルにも色々あった。

そんな中で発売から暫く経っていた「ULTRA BLUE」と「HEART STATION」の"中期宇多田ヒカル作品"(自分が勝手にそう位置付けている)をレンタルCD屋で借りて聴いて衝撃を受けた。特に「Be My Last」(ULTRA BLUEに収録)を初めて聴いて凄過ぎて身震いした。


"いつか結ばれるより
今夜一時間会いたい"

この曲の後半の2行に度肝を抜かれた。
『めちゃくちゃ会いたい』と1行で普通なら済ませる所を宇多田ヒカルはわざわざ遠回しな表現で、かつ『めちゃくちゃ会いたい』と言う直接的な表現よりも「めちゃくちゃ会いたい感」を表現しているのだ。

結ばれたらずっと一緒にいれるけど、いつ結ばれるかも分からない。結ばれないかもしれない。だったらその"いつか"と言う不確定な物よりも"今夜"一時間だけでも会いたい。

凄い。凄過ぎる。死ぬ程会いたいのが伝わってくる。何なら泣いている様な気さえして来る。もっと言うともう2度会えないのか?死んでしまうのか?と言う様なより深いストーリーまで見えて来る様である。

これが『めちゃくちゃ会いたい』だけだとそう言う奥ゆかしさやそのもっと向こうのストーリーまでイマイチ見えて来ない。ストレートで分かりやすいのかも知れないが、侘び寂びも無くあまりにも端的な表現過ぎる。この2行だけで度肝を抜かれた。そして、その後に

何も繋げない手
大人ぶってたのは誰?"

と続く。まず""と、だ""で韻を踏んでいる。語感が気持ち良い。「何も繋げない手」と言うのはやはり死んでしまっているのか、それとも一生会えない事を悟っているのか。

そして、「大人ぶってたのは誰?」
大人ぶってカッコ付けて無かったらうまく行っていたものをカッコ付けてしまったが為に会えなくなってしまったのか。。。そう言うストーリーが見えて来たのだ。 


これを聴いて衝撃を受けてゾクゾクしながら「Flavor Of Life」(HEART STATION)を聴いていたらここでも

「愛してるよ」よりも
「大好き」の方が
君らしいんじゃない?

と言うパンチラインをぶち込んで来た。おいおい。宇多田ヒカルは吟遊詩人か?ドラクエにいたらパーティーに加えてるぞ!

何処となく可愛げがあると言うかこれだけで2人の距離感や親密さみたいなのが読み取れる。こう言うちょっとした妙を得た表現が随所に散りばめられているのだ。この曲の前半の所も素晴らしい。

友達でも恋人でも無い中間地点で
収穫の日を夢見てる青いフルーツ

青い!!青過ぎる!!!この登場人物の2人の青さが滲み出ている。"まるで"とか使わずに比喩表現をするのも絶妙。語感の気持ち良さまでもが考え抜かれている。こう言ったらリズミカルとか意味は通るけどリズミカルじゃ無い。みたいな実は細かい所まで拘り抜かれているのだ。
こう言う文学的表現がめちゃくちゃカッコ良い。愛だの恋だのと歌ってますがそれだけじゃ無い。単なる恋愛の歌だと評価されたく無い。一緒にしないで欲しい。 

この一捻りもニ捻りもされている所を知って宇多田ヒカルはやっぱりすげぇ!となったしそれまで以上に宇多田ヒカルが好きになった。そして、もう一度歌詞に注目して最初のFirst Loveから聴き直した。そしたらまた「automatic」の凄さにやられた。

デビュー曲「automatic」(1998)

もう一度歌詞に注目して一から聴いたら如何に「automatic」が凄かったかをまざまざと見せつけられた。そもそものっけから

"七回目のベルで受話器を取った君"

である。7コール目と言う事なのかな。何コールで出たかを数えるくらい待ち遠しい、ウキウキしている感じや惚れている感じが痛い程に伝わって来る。

そして、何よりも小学生の頃に変な曲だなーと思ったのは文節の切り方がおかしいから違和感を感じたんだとこの時気付いた。普通は

「七回目の/ベルで/受話器を/取った/君」

となるはずである。だから歌い方も必然的にこの区切り方で歌うはずだが、宇多田ヒカルは

「な/なかいめのベ/ルで受話器/を取った君」

と言う日本語的におかしな文節の区切り方をしているのだ。しかも"じゅわきー"と最後の"きーみー"を伸ばす事によってリズム感を合わせている。そして韻も踏んでいる。めちゃくちゃ心地良いリズム感になっている。

そして何よりもこれは作詞作曲が宇多田ヒカルなのだ。しかも当時15歳。中3か高1くらいでこんな大人な曲を作っていたのだ。もっと言うと日本にR&Bと言うジャンルがらまだあまり浸透してなかったにも関わらず爆発的に売れたと言う事が考えられない。

間違い無く日本の音楽の一時代を作ったし、J-POPの概念がまた大きく変わったと思っている。これが無ければその後のSuchmosにも繋がっていないだろうし、まだまだ日本の音楽はガラパゴス状態だったに違いない。

そう考えると宇多田ヒカルが日本の音楽に与えた影響は計り知れない。

だから宇多田ヒカルが1番好きなのだ。

後々にインタビューを観て知った事なのだが、日本語を日本語と思って無いから語感やリズム感を重要視していたそうだ。そう言う新しい試みを恐れずにどんどんやっていたと言うのもめちゃくちゃカッコ良い。


宇多田ヒカルと言う表現者

宇多田ヒカルの表現がこんなにも幅広いのは文学が好きだと言う事も1つある。小さい頃から本を読み漁りノートに記入していたそう。

ドストエフスキーや夏目漱石、遠藤周作、川端康成、中上健次などの様々な小説を読む読書家。そう言う文学からかなり影響を受けており今まで紹介してきた宇多田ヒカル的表現は彼らで構成されている。

夏目漱石
ドストエフスキー
川端康成

ただ、オリコンチャートに入っている売れているだけの歌手ではないのだ。単純に売れるのって凄い事。誰もが出来る事では無い。表面的な所だけ見て宇多田ヒカル好き!を馬鹿にするのは良くないと思う。(誰も馬鹿にはしてない笑)

好きな物は好きと正直に言うのも大事だし、それを皆んなに合わせて自分の意思を捻じ曲げるのももっと良くない事だとつくづく思う。

そう言う事までも宇多田ヒカルから学んだ。何やかんや色んな音楽聴いてますが、やっぱり宇多田ヒカルの凄さは尋常じゃないし、1番カッコ良いと信じてやまない。

『1番好きな歌手は誰ですか?』

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