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アイドル分断の時代 日向坂46の新曲に見る上流

日向坂46の3枚目のシングル『こんなに好きになっちゃっていいの?』のMVが公開された。何度か繰り返し再生しながら思ったのは、これが上流の存在なのだということだった。

このnoteで繰り返しアイドルの分断について語っているが、インディーズや地下アイドルの状況について語ることは多かったが、上流について触れる事はあまり無かった。意図してたものではないが、どこかで読んだ人とコンテクストを共に出来る機会を伺ってた。だから、まだ再生していないのであれば、このMVを見てから読み進めてほしい。

 

【欅坂以前、以後】

まずこの分断の時代という概念と平行して捉えるべき文脈として、欅坂以前、以後という捉え方をしたい。

日本国内に関わらず、音楽市場を見渡してみると、実は閉塞的でダウナーなリスナーの状況が伺い知れる。HIPHOPで言えばTRAPやグランジ・ラップだったり、逆反的にEDMのようなハッピートランスという音楽で、社会的、経済的に追い詰められた人達の音楽が受け入れられている事が見えてくる。

ここで日本を見ると、欅坂46はその一端を担っていると言える。鬼気迫るパフォーマンス、鬱屈した歌詞、それまでのアイドルとは全く違う姿が衝撃を持って受け止められた。おそらくこれはある程度の計算を持って作られたはずだ。(作曲をしたバグベアは自身も追い込まれた状況で生まれた曲と語っていることからまさにシンクロしたわけだが)

乃木坂はメンバーの年齢も上がり、綺麗で容姿のいい子達が優雅に踊る様を追求し始める一方、欅坂という時代性も掴んだコンテンツが大きくバズる流れの中で、下部組織的にひらがなけやき、後の日向坂が生まれることとなる。

長濱ねるという存在が生み出した特異点は、欅坂の持つ不安定さに巻き込まれ、武道館3Daysなどそれまでの上流でも考えられないような無茶苦茶な課題をこなしていく。だが、その中で、それまでの坂道にはなかった個性を獲得していくのである。

どこか我武者らで、明るくて、熱さを持ったステージングやバラエティでの積極さは欅坂が示した閉塞的でダウナーな世界感とは反していた。

日向坂46としてのメジャー1st『キュン』のカップリングである『JOYFUL LOVE』のMVだが、パントンカラーのような鮮やかな衣装と日向坂のグループカラーを模した青を上手く見せた映像が非常に象徴的だ。

世界的な流行に対して、日本ならではのアイドルという様式で答えたのが欅坂だとすれば、TRAPでもEDMでもないアイドルという文化で答えたのが日向坂と言える。これが、アイドルの上流における欅坂以前、以後の立ち位置である。

 

【磨かれたビジュアル】

今回のMVを見ると、まず目につくのがビジュアルの良さだ。新人アイドルにありがちなどこか垢抜けない印象がない。どこか乃木坂に近い雑誌のモデルと言ってもいいような顔立ちの子が多い。

そもそもソニーが入っていて、という部分があるが、上流を取りにくるならもうこういうビジュアルレベルの子達じゃなければ市場的に難しいのではないだろうか。

何故なら、戦う相手がK-POPのアイドルだからだ。スタイルが良くて、ガールクラッシュで、セクシーで、可愛くもある同世代の外国人の女の子、というのはメイクやファッションなどを引っ括めて最新の文化であると見られている。

もはや教室の隣の席に座っている女の子という存在は10年以上前のものであり、日向坂46は乃木坂46によってアップデートされた最新の日本のアイドル像だと言える。

でも、ラーメンも食べます。

 

【進化するコレオグラフ】

今回の新曲は、CRE8BOYがコレオを担当している。今年発売された数字系のほぼ全てのシングル他、インディーズアイドル、CMなど大忙しのダンスユニットだが、この3枚目にして渾身の作品ではないだろうか。

『キュン』や『ドレミソラシド』では真似しやすいキャッチーな振り付けという要素を入れつつ、チャールストンのような今までのアイドルダンスにはないものを取り入れるバランス感が特徴的だが、この曲のミドルテンポでマイナー調のイメージに力強さと優雅さを織り交ぜた高度なダンスになっている。

例えば、激しい曲を激しく踊る、力強く踊ることはイメージがしやすい。寂しげな曲を悲しそうにゆったりと踊るのもイメージしやすい。しかし、この曲は相手に対する気持ちが溢れ出してしまう慟哭と、それ故に溺れてしまいそうになる危うさを孕んでいて、コレオの力強さと優雅さはそれをより拡張させていて、彼女達はそれを表現出来ている。

ダンスの難しさ、というと、速いテンポを間違えず踊ったり、複雑なステップを踏んだりということが目につきやすいが、この曲の一瞬一瞬で変化していく心情の様を表現したコレオの連続した異なる表情を見せるのは非常に難しい。アイドルのダンスというものを考えた時にさらに次元が変わったような感触さえある。

 

【考え抜かれたMV】

Youtubeの発展によりMVの存在が拡大している事は、おそらく音楽に携わっている人間は作る側も消費する側も分かっている。これまでのアイドルのMVはリップシンクの秒数や女の子としての可愛さなどが詰め込まれてきた。

いわば高橋栄樹監督の真骨頂でもあり、サステナブルがトラディショナルなAKB48ソングであると海外のコメントでも書かれているように言わば1つの型となっている。

ただ、同時にそうではない道を模索してきたのもAKB48である。様々な映像作家にMVを作ってもらい、その都度憤死してきた歴史はアイドルのMVとはどうあるべきかを悩み続けてきた道のりと言える。

話題になった欅坂46の『黒い羊』は作中の強いメッセージと連動した構成は、チャイルディッシュ・ガンビーノの『This Is America』を彷彿とさせた。

今回の新曲は、これまでのシングルMVでも見せた建物内でのコンテンポラリーダンスの要素と、ゆっくりと進む物語性が深く絡み合っている。一瞬見える談笑と1人残された様など丁寧に構築されたMVである。

映像そのものの綺麗さ、カメラの性能やロケーションはもはや資金的なものはあまり影響がない。(と思うので、画質すら低いMV作ってる運営はその子達を売るつもりすらないんだなと思っている。)むしろ作品性、作家性としてのクオリティの質が良いことが重要なのではないか。

なお、このMVは池田一真監督なので、乃木坂のシンクロニシティや欅坂のサイレントマジョリティー、IZ*ONEの好きと言わせたい、ラストアイドルの青春トレインもそうだし、先ほどあげたJOYFUL LOVEもこの人の作品である。

 

【これがアイドルの全てなのか】

色々な視点から見ても、このMVの時点における上流のアイドルの最新形は日向坂46であると言える。だが、これがアイドルの全てなのかと言われると、そうとは言えない。

多分、俺達が求めてるのはこういうものじゃない、というアイドルファンもいるだろう。このジレンマこそが分断の時代の正体なのだ。チャートミュージックとして更新されていく上流のアイドルと、チャートミュージックとはかけ離れたジャンルとして存在する下流のアイドルの2つがあって、これを一緒くたにアイドルとして見た時に"売れること"を目標にした苦しさを生み出している。

今まさに目にしている日向坂46というムーブメントが何を起こすのか、見届けてもらいたい。

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