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写真と自分

写真は嫌いだった。

自分の容姿が嫌い。小さい頃からずっとそうだった。

養母には妹と違って、器量が悪いんだから、せめて笑ってろって言われてた。だからいつも面白くもないのに笑っていた。

写真も嫌いだった。撮るのは好きだが、撮られるのはもっと嫌い。アルバムを見るたび、苦々しい思いしかなかった。

携帯が普及し始めてから、あちこちで自撮りが流行っているが、自分を撮ろうと思ったことはなかった。

いや、撮ってみるけどガッカリするから消す。

メイク頑張っても奥二重で腫れぼったい目はでかくならないし、鼻筋も美しくない。

何かの間違いで可愛いと言われても、絶対に全力で否定した。←(だいたい嫌われるヤツ)

そんな自分でも、自分にそっくりって言われる娘はめちゃくちゃ可愛いと思う。息子も可愛い。

愛があれば可愛いんだ。やっぱり養母は私のことは可愛く思えなかったんだな。そんなことをふと思った。

15年くらい前。家庭内が揉めに揉めて拒食と抜毛などで心身ともにボロボロになった。もちろん痩せた。人生で初めて。その代わり、顔中が吹出物だらけで、化粧はおろか、外に出ることもできないくらいだった。私の大好きな従姉妹夫婦が心配して来てくれて、ケアをしてくれた。兄が食事の支度をしてくれて、姉が子どもたちをみてくれたり、私の心のケアもしてくれた。

竹内まりやさんの「元気を出して」をリアルに生きていた。太っていた時に着られなかった服を着なさいって言われた。

仲の良かった友人も美容師だから、顔のケアや髪型を提案してくれた。

次第に回復し、倒れることもなくなり、働き始めた。

相変わらず自分の容姿は嫌いでも、好きな服着て生きていると、それはそれで楽しい。痩せたのだから、顔は嫌いでもそれ以外は満足していた。

コーディネートを残したくて、何度か自撮りも始めたが、イマイチだ。

でもこの数年、友人との写真は撮るようになった。独身の頃からの唯一の友人とは一緒に出かけることが多くなり、記念の写真はその都度互いに撮っている。その写真は不思議と良く写っている気がしてた。

先日、とある交流会で知り合った人と会うことになった。私が押しかける勢いだった。Twitterでのやり取りばかりだったが、気になる人だった。会いたい人のひとりだった。ひょんなことから、もうひとり、会いたい人も一緒に行くことになった!奇跡的なチャンスだった!

その日も何枚か写真を撮ってもらった。いい顔するとか考えないで、とにかく楽しくて楽しくてたまらなかったから、どんな顔かなんて、どうでも良かった!楽しかったら、自分の顔なんてなんでもいい。 笑いすぎて目がないけど、まあいいか!って思えた。

その後、お二人から写真が送信された。

本当に嬉しそうな自分がいる…。目がないって笑っている自分がいる。2人と一緒に、まるで出会ってから2回目とは思えない私たちがいる。不思議な縁で知り合った友人がいる。

泣いた。ただ嬉しくて泣いた。

初めて、写真に写る自分が好きだなって思って泣いた。何度も見て泣いた。

自信が無くても写真が嫌いでも、この時の自分はとても楽しかったんだよってわかる瞬間が残っている。

笑顔がいいな、私って。(泣)

幸せな自分がそこには居た。大切な写真になった。


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