愛するものがたくさんあります。 自分の軌跡を辿ってみようと思い、noteを始めました。…

愛するものがたくさんあります。 自分の軌跡を辿ってみようと思い、noteを始めました。 生きづらいと思っていた人生がようやく楽しいと思えることにめぐり合いました。

最近の記事

誕生日を迎えて

久しぶりの投稿。 コロナ禍になり人との距離感の変化、自分の気持ちの変化、家族の成長に伴う生活の変化、この4年に驚く程に世の中も私の生活も変化していた。 引きこもりだった息子が働き始めたり、職場のいじめで病みかけた娘は転職先で正社員になり、私は職場のスタッフの異動に伴いとても気を揉んで病みかけたがようやくコミュニケーションが取れて居心地のよい関係になったりした。ただこれは私の主観の世界であり、それぞれに私が見ていないたくさんの努力があってみんなが自分の人生を精一杯良くしようとし

    • 生きづらくとも生きてみる

      私の生き方が正しいかどうか。それは今でも疑問のまま。毎日、これで良かったという肯定と仕方がなかったという中途半端な諦めの気持ちとの繰り返し。 50年以上、それなりに真面目に生きてきた。子どもたちには同じ軌跡を辿らせたくはないと思うくらい、嫌な記憶の方が多いけれど…。どんなに苦しい中にも小さな喜びはたくさんあった。 しあわせって何なんだ?そんなかたちもなく、見えないものを追いかけながら生きているこの毎日。一瞬で吹き抜けていく喜びの感情に想いを馳せながら、またその喜びを追いか

      • 新年にて。

        新年あけましておめでとうございます。 昨年を振り返るとジェットコースターのような出来事ばかりで、バタバタだったなぁと。 末っ子の大学入学が何とか決まってようやくホッとできるかと思った矢先の大怪我で毎日の通学補助が半年続いたり、収まるかと思っていたコロナ禍もなかなか収束にはならず、規制の多い日常がより縛りが強くなっていった。 その中でも長年引きこもる生活をしていた長男が家を出て仕事に就くという嬉しいサプライズもあった。親としては病は仕方ないという思いと、何とか社会人として

        • やさしいだけの空っぽな私

          面白くもない自分の生い立ちを書き込むうちに、自分はただただ愛されたかったんだと、わかった。 丸ごと受け止めてもらえること。ただいるだけでいいということ。誰かの一番で居たいということ。そんなことを渇望していたのが私なのだ。 子どもたちが成長し、それぞれの時間をひとりで過ごせるようになり、少しずつ心配事が減り、自分の時間を謳歌しようと思っているのに、ふと湧き上がる焦燥感。孤独には慣れていたはずなのに胸を締め付ける寂しさや切なさ。そんなものに取り憑かれて、不安な感情がずっと身体

        誕生日を迎えて

          夕暮れ

          3年前、余命少ない養母を見舞った頃から、彼女は私には一切口をきかなくなった。毎日通った妹には話をしたというから、やはり私を憎んでいたのかもしれない。彼女の思い通りにならなかった私を憎んでいた。 あの子は私の言うことを聞かない。何をやってもダメだ。 周りの人たちにそう言っていたと、養母の葬儀の時に参列した知らない人に言われた。 養母の葬儀は喪主の父が癌に侵されていたため、私が代わって式を取り仕切った。いろんな思いはあったけれど、最期くらいはきちんと送りだそうと思っていた。

          夕暮れ

          自分の存在意義を求めて

          思えば物心ついた頃から、生きるためには誰かに従うように要求されていた。 親への服従。宗教への服従。夫への服従。服従なんて言葉使うほどのこと?って思う人もいるだろうが、結果自分の本音すら封印しながら生きてきたんだ。虐待、洗脳、ドメスティックバイオレンス。心が、身体が悲鳴をあげてしまったんだ。全ては私にとっては暴力だ。 自分がこの世に存在するのに、誰かの許可がいる。ご飯を食べる、学校に行く、家に住まう、成長し、将来を考える。その当たり前の一つ一つに必ず誰かの許可を得る。 誰

          自分の存在意義を求めて

          昇華

          今年で結婚して29年になる。苦しかった。苦しかった時間が20年って、あんまりだ。こんなはずじゃなかったんだ。どうしてこんなことになってしまったのか、ずっと悩んでいた。私の思い描いた結婚生活、夫婦の在り方、家族のかたちがあまりにもかけ離れて、自分の中で処理できなかった。長く続いてるモラルハラスメントにこれほどまでに耐えてしまった自分にも苛立つくせに、なぜ離婚を言い出されたとき、心が潰れるほど悲しかったのか。実際は保留と言われており、現状は離婚に至っていないが…。 本当に自分の

          昇華

          自分を責める癖

          新興宗教にのめり込んでいた養母の言葉やその仲間の言葉に随分心を蝕まれていたんだなって、半世紀を生きて来て改めて愕然とする。 身体も弱く扁桃腺炎を起こしやすい私だった。気管支炎もよく併発する。しょっちゅう病院に通っていた私に、養母は扁桃腺が腫れるのは、私の根性が悪いからだと。親の言葉に返答しないからだ、言うことを聞かんからだと、まるでダジャレのような理屈で私を貶めた。 そんな馬鹿馬鹿しいことが平然と、まるで理念としてまかり通る教団に、冷ややかに属している自分。それなのにそん

          自分を責める癖

          拝啓、私を産んだ貴女へ

          初めて貴女に向けて言葉を綴ります。 もうこの世にいないかもしれない。記憶もなくしてるかもしれない。届くあてもないし、届けようとも正直思ってない。 ただね、私のこれからを積み上げるのにここを整理しておかないと私の心が強くならないんだって。私の本当の気持ちが正常に機能しないのよ。 だから心のままに書かせてね。 貴女の存在を知ったのは6歳の夏だったよ。養母の怒りに任せた告白で、私に生母がいることを知ったんだ。信じられない思いだったけど、後からみた母子手帳にも、高校入学時に取

          拝啓、私を産んだ貴女へ

          小さい私

          最近、Twitterで表現している「チビ蒼」は私の中のもう一人の私。小さい時から心の中にいた。年齢は6歳。何故6歳か?私がもう一人の自分の存在を認識し始めたのが小学校一年の夏休みだったから。もう一人の自分が見た光景は今でも鮮明だ。ただ、記憶は時折ゆがむし、作られると言われる。それでも、あの日のことは、私一人だけの出来事ではないし、何度も養母にも言われていたし、ほぼ間違ってないと思うし、この日を境に私の性格も変わった。 実家は当時、喫茶店を営んでいた。雇われマスターの父親と、

          小さい私

          先日の出来事。お店のこと。

          年末商戦に入りました。今までののんびりな運営とは変わり、日々の売上も3倍から、5倍くらいになります。お歳暮、お年賀など、企業さまも多くいらっしゃるし、電話での対応も増えます。しかし、スタッフの数は変わりません。1日あたりの人数は多少増えますが、お店に所属するスタッフは5人だけです。その5人で、1年で1番売り上げる年末商戦を戦います。ですから、チームワークが必要。互いの思いやりがないと運営は大変です。でも、私はこの5人なら、できると信じています。 6月から移動してきたYさん。

          先日の出来事。お店のこと。

          今年のことは今年のうちに

          今年の出来事をどうしても残しておきたい。不意に思いついた。 まだ12月にもなってないけど、私の12月は1年で一番忙しい。気の抜けない1か月になる。だから今のうちに残したいのだ。 まず、年初に書いた今年の目標は、びっくりするくらい叶っている。実際、年頭には予想だにしない出来事がめくるめく勢いで起こっているのだが、それすらもすっ飛ばしで、シンプルに目標はクリアしていたのだ。それらに伴う小さなトラブルは多少はくすぶってはいるものの、これからより精度を増していく自信はある。 さ

          今年のことは今年のうちに

          娘との旅行にて

          先日、娘の誘いで熱海に旅行に行くことに。正確には伊東だが、当初の予定では熱海だった。 夏休みも終わったころだったかな。突然、 「お母さん、熱海に一回連れていきたいから、休みとれない?」 なんて言ってきた。休みはとれると思うけど、急にどうした?って聞くと、会社の保養所が安く泊まれて、とてもいいところだから、一度連れていきたいという。 「それに誕生日何にもしてないし」 いやいや、そんなん別に構わへんよ。それより自分に使えばええよ。そんなにゆとりないやん。というが、いや、

          娘との旅行にて

          私の子育てって

          先日、三男の誕生日に三男が生まれた時のことをTwitterにあげた。うちの子どもたち、出生時の話が好きなようだ。毎年、誕生日にその子のことを話す。幼い時から何度も何度も話して聞かせてる。私には五人分のエピソードがある。それぞれの誕生日には何時頃産まれたか、毎回教える。嬉しそうにいろんな質問をしてくる。大抵のことは母子手帳に記載しているから、私がいなくなっても、後で見返せばよいのだけどね。 しかし、私には出生の記憶がない。当たり前のことだけど…。正確には私の出生時を語れる人が

          私の子育てって

          写真と自分

          写真は嫌いだった。 自分の容姿が嫌い。小さい頃からずっとそうだった。 養母には妹と違って、器量が悪いんだから、せめて笑ってろって言われてた。だからいつも面白くもないのに笑っていた。 写真も嫌いだった。撮るのは好きだが、撮られるのはもっと嫌い。アルバムを見るたび、苦々しい思いしかなかった。 携帯が普及し始めてから、あちこちで自撮りが流行っているが、自分を撮ろうと思ったことはなかった。 いや、撮ってみるけどガッカリするから消す。 メイク頑張っても奥二重で腫れぼったい目

          写真と自分

          お仕事

          かなりの人見知りだった私が今、販売の仕事をしている。 15年前の私なら、絶対に選ばなかった仕事。当時の私には想像も出来なかったこと。今は天職かもしれないと思えるくらい、やりがいのある仕事。 高校を卒業して初めて就職したのは自動車部品などの製造の会社。一人で作業することが好きな子だった。製造ラインに沿って作業することは案外楽しかった。そのまま勤めて、結婚退社、専業主婦。転勤族で五人の子の育児をするのだから、ほぼ就職は出来ない。それでも、お小遣い稼ぎにと、いろんな土地でいろん

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