見出し画像

やさしいだけの空っぽな私

面白くもない自分の生い立ちを書き込むうちに、自分はただただ愛されたかったんだと、わかった。

丸ごと受け止めてもらえること。ただいるだけでいいということ。誰かの一番で居たいということ。そんなことを渇望していたのが私なのだ。

子どもたちが成長し、それぞれの時間をひとりで過ごせるようになり、少しずつ心配事が減り、自分の時間を謳歌しようと思っているのに、ふと湧き上がる焦燥感。孤独には慣れていたはずなのに胸を締め付ける寂しさや切なさ。そんなものに取り憑かれて、不安な感情がずっと身体から抜けなかった。

笑えない自分。感情が固まってしまって、もう1人の自分が日常の私を冷たく見つめている。そんなことで笑えるの?そんなことが楽しいの?と、冷めた視線を送ってくる。その度、冷たい空気が身体を纏い、やるせなくて涙が止まらない。泣いても泣いても晴れない心。なんの為に泣いてるのか?悲しいのか、怒りなのか、悔しいのか。ただただふと気を緩めると涙が込み上げてくる。

そういう自分を隠して、何事もなかったように当たり前に生活して、そしてまた落ち込んで…。あぁ、私はやっぱりひとりなんだと思う。生活をする中で、たわいもない「ねぇねぇ」って話しかける相手がいない。仕事の愚痴や、流れてくるニュース、読んだ本、好きな曲、見た景色。そんなどうでもいいようなことすら、共有できないことが辛かった。

心を許せる人とそんな話をすることがどれだけハードルが高いか?真剣に考えたことなどなかった。生きてれば当たり前にあることで、誰にでも標準装備されてることだと思ってたのにな。自分の人生には備わってなかったみたいだな。

人にやさしく。

どんな人にも変わらない思いでぶつかって、受け入れて、肩を組み背中を押し声をかける。それは私に備わってるのに、おかしいな。

私は何を間違ってしまったのだろう。やさしいだけの空っぽな私。

そう、自分の心を埋める努力をしてこなかったな。たくさんばらまいて、自分には何にも残っていない空っぽな心。満たされなかった私自身。

がむしゃらに求めても報われるはずもないね。

さて、何をしたらいいのかな。何から始めたらいいかな。そんなところから人生の後半を始めなきゃいけないようだ。さて、私に何ができるだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?