見出し画像

拝啓、私を産んだ貴女へ

初めて貴女に向けて言葉を綴ります。

もうこの世にいないかもしれない。記憶もなくしてるかもしれない。届くあてもないし、届けようとも正直思ってない。

ただね、私のこれからを積み上げるのにここを整理しておかないと私の心が強くならないんだって。私の本当の気持ちが正常に機能しないのよ。

だから心のままに書かせてね。

貴女の存在を知ったのは6歳の夏だったよ。養母の怒りに任せた告白で、私に生母がいることを知ったんだ。信じられない思いだったけど、後からみた母子手帳にも、高校入学時に取った戸籍にも間違いなく同じ名前が記載されていたからね。何故かがっかりした。半分はほっとした。何故かって?だって実の母親が私を虐待している方が何倍も苦しいじゃんって、その時は思ったの。

養母の行動は傍目にもわかるくらいだから、下世話な大人は産んでくれたお母さんに会いたくないの?なんて、余計なことを言ってくれたよ。会いたいなんて思うわけないじゃんね。だって、一緒に生活した記憶も、抱っこしてくれた記憶もない人に誰が会いたいかっての。

毎日毎日、妹の世話とお店の手伝いさせられて、遊びにも行けず、叱られてばかりの私は、なんでこんな思いをしなければならないの?って。大きくなっても勉強するってことを逃げ道にしていたよ。器量が悪いんだから、笑ってろ、みっともない真似をするなって、いつも言われて、運動も苦手だから必死に勉強した。成績が良ければ唯一褒めてくれて、それが養母の機嫌を良くする魔法だった。

学校でもいじめられたし、喫茶店が倒産して夜逃げみたいに何度も引っ越して、学校変わるたびにいじめられて、何度も死にたいって思った。命を捨てる覚悟もしたこともあるよ。それでも生き延びた。悔しかったから。親に捨てられたのも、ブスに生まれたのも私のせいじゃないって。友だちなんてまともにいなかったから、図書室で本ばかり読んでた。本は私に知識と別世界と夢を与えてくれたもん。世界は広いってことを教えてくれた。

そんな私もお見合いだけど結婚して子どもを授かったよ。一番上は男の子。可愛くて可愛くてたまらなかった。子育ては正直つらいこともあったし、自分も虐待しそうになったこともある。助けてくれたのは、やっぱり本だった。そのあと娘も生まれて、ますます愛おしいって気持ちが強くなってたんだ。こんな可愛い盛りの子どもを置いて行った貴女は、いったいどんな気持ちだったのだろうって。その時初めて貴女のことを考えた。そして私も夫婦の間のトラブルを抱えたから、貴女も置いていかなきゃいけない事情があったのかとも思えることもあった。今となってはホントのことはわかんないね。

私は自分が生まれた時のエピソードを知らない。誰も教えてくれなかった。養母が怖くて聞けなかったし、貴女の写真も一枚もなかったし、お父さんに聞いても何も言わなかった。だから、私が生まれて誰が喜んでくれたのか知らない。生まれてよかったのかもわからない。私の名前にどんな意味があるのかも、どんな思いでつけられたのかもわからない。私の未来をどう見ていたのかも、、、。だから自己肯定感がなかった。共依存のような親子関係、夫婦関係しか結べてなかったんだ。

結局ね、私の全てを許し私を心から愛して抱きしめてくれる人なんていなかった。

貴女は自分の人生を幸せだと思っていましたか?貴女は生まれてきて良かったと思いましたか?私を産んだこと、後悔していませんか?

私は産んでくれてありがとうなんて言いませんよ。ずっとずっと寂しかった。ずっとずっと苦しかった。生きてるのなんか、誰かを肯定するだけの道具で義務みたいなもの。自分の意志なんてどこにもなかった。

ただ子どもたちだけが唯一の生きがい。誰にも愛されなかった私が愛情を注ぐことが出来たから。私の存在に無邪気な可愛い手を差し出してくれた。この子たちがいたから私は生きていることに喜びを感じたんだ。

切り貼りしたスクラップみたいな知識で生き延びた今、本気で自分の為に学びたいと、極めたい事ができたんだ。本当に勉強が楽しいんだ。頭が硬いから直ぐに理解できないことも多くて大変なの。それでも子どもたちが大きくなっても、自分が学ぶことがあるっていいね。

貴女にもう会わない。貴女に言いたい事もこれで終わり。憎しみも哀しみも寂しさも、もうないよ。

あ、最後に一個だけ。

お母さん、あの世では抱きしめてね。生まれてよかったよ。

一個じゃなかった、、、(笑)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?