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昇華

今年で結婚して29年になる。苦しかった。苦しかった時間が20年って、あんまりだ。こんなはずじゃなかったんだ。どうしてこんなことになってしまったのか、ずっと悩んでいた。私の思い描いた結婚生活、夫婦の在り方、家族のかたちがあまりにもかけ離れて、自分の中で処理できなかった。長く続いてるモラルハラスメントにこれほどまでに耐えてしまった自分にも苛立つくせに、なぜ離婚を言い出されたとき、心が潰れるほど悲しかったのか。実際は保留と言われており、現状は離婚に至っていないが…。

本当に自分の気持ちがわからなくなったのは、離婚しろといわれた4年前。13年間の単身赴任を終えて自宅に戻った配偶者を生理的に受け付けられないと言った私に怒りをぶつけるように、「俺はこれから婚活をするんだから、買う予定の車はやるから出ていけ」と言われた。私は泣きもせずただ黙ってこの人は何を言っているのだろうとぼんやり聞いていた。ただならぬ様子を察した子どもたちは父親をなじり、あんたが出ていけと怒っていた。

 親戚からの紹介で出会った。23歳の私の依存の強さと12歳年上のモラルハラスメントの配偶者との生活は私が覚醒さえしなければきっと今でも仲睦まじい夫婦だったに違いない。新興宗教に幼少期から侵蝕された心と今でいう毒親との間で育った私は共依存の対象が親から配偶者にすり替わっただけなので、結婚した当初は優しい配偶者に頼っていれば幸せな生活が送れていた。バブル真っただ中の結婚生活。何不自由なく慎ましく甲斐甲斐しく夫を支える専業主婦をしていれば良かった。しかしあえなくバブルが弾けて、不況が押し寄せたのは我が家も例にもれず、年を重ね、子どもが増えていき、生活は次第に困窮していった。やむにやまれず働きに出るも単身赴任の配偶者に代わり、田舎付き合いやワンオペ育児に奮闘していた私は次第に体も心も悲鳴をあげ始めた。月に数回の帰宅の配偶者の誘いが苦痛。心の病で激やせしても男ができたとなじる。顔は吹き出物でボロボロなのに。私の体調を気遣う従姉妹夫婦と何度も話し合いを重ねるも配偶者の意識が変わることはなかった。離婚も視野に入れたが当時、既に体力も気力も失くしていた私には家を出る勇気がなかった。また子どもたちがいじめを恐れて、転校したくないというのを私が強行できるはずもなかった。 体調を崩し、主力の仕事も失った時、既に自分の心が病んでることは認識していた。でも倒れるわけにはいかない。こんな私を気遣う子どもたちのためにもちゃんとしないとと思う気持ちだけが支えだった。友人の勧めで心を楽にする本を手に取り始めた。自分の状態を知り、解決するためのスキルを学ぶために心理学、精神学、そして脳科学。必死に自分と子どもの心と生活を守るために片っ端から読破していた。そうこうしているうちに体調も戻り、仕事にも就き、生活も何とかまわるようになっていく。子どもたちも大きくなるにつれ配偶者との距離はどんどん離れていく。大嫌いで互いに利用しあうだけの関係。父親として存在してくれるだけで良かった。そして配偶者の最期を看取るのは私の最後の親としての役割だとひとり覚悟していた。

けれどなぜか自分は離婚を恐れていた。離婚してもいいよと子どもたちは言う。大嫌い。顔を見るのもそばにいるのも嫌だ。洗濯物すら、一緒に洗えない。現に家庭内別居状態。口も利かない日もある。なのになぜ?お金のことも確かにある。でも、そういうことではないと、自分の中の自分が言う。その部分には目を向けないように、フルタイムパートとして働くようになり、中途半端な自由を手に入れ、楽しいけどもやもやしながら生活していた。

昨年、私はTwitterで色彩心理学を扱うポーポー・ポロダクションさんというアカウントと繋がった。趣味のハーバリウムがきっかけだったと思う。正直、色彩心理学という言葉は初めて知ったし、色と心理学がつながるのが面白いなと思い、ポーポー・ポロダクションさんの著書やこのnoteの記事も読ませていただくうちに、自分の内面と向き合うようになっていった。心理学は私が世間とうまくつながるためのスキルだと思っていたが、実は自分と向き合うためのツールだった。ポーポーさんと呼ばせていただけるほど、たくさんやり取りをして、私の疑問に答えていただき、多くの学びを得た。色彩を学びながら、心理学を深く掘り下げていく。その中に行動経済学、ゲーム理論等々、一言に心理学という枠の中に多くのコンテンツがあり、知れば知るほど心の奥に踏み込んでいく。自分とは何か?何故自分はそう感じるのか?何故自分はそういう行動をしたのか?知識が増えるごとに、自分と向き合うことになる。自分のための学びは正直苦痛でもあった。嫌な部分を知り、落ち込む。それを修正するために思考を変える。自分の中の歪んだ自己肯定感を修正するのは痛みである。今まで当たり前と思った行動が本当はただの自己満足であったり、正しいと信じた事象は認知の歪みであったり、、、。自分の世界の中では多くの改善が必要だった。良い人と言われることに固執していた自分がみっともなく思えた時は自分が嫌いになったくらいだった。でも、自分の今まで放置していた感情の掘り起こしをして、自分に必要なことはなんなのか?を知ることができた。そのひとつnoteの記事、ポーポー・ポロダクションの魅惑の心理学vol.18を読んだ時に私の気持ちが大いに揺さぶられた。

『愛情に飢えている人。』まさしく私のことだった。「好かれたい、嫌われたくないと自分の本音を偽って、遠慮と後悔を繰り返す。」   誰かの幸せと見比べて己に対する愛情を埋めようと、嫌いと言いながら執着し、自分の行動に対する見返りを求めていたのは私だった。

ポーポーさんから学び、多くの信頼する仲間を得て、愛する子どもたちにも大切にして貰えて、もう怖いもの無しと思っていた私なのに、コロナ禍の中で私に投げられた配偶者の言葉に再び傷つき、困憊する私の心の底が見えた瞬間だった。

私は本当は配偶者に愛されたかっただけなのだ。誰よりも大切な存在として扱って欲しかった。一生添い遂げる覚悟でいたらいつか私に振り向いてくれる、今までの私の頑張りを認めてくれるはずと心のどこかでずっとずっと期待し続けていた。しかし相手はそんなこと微塵も思っていなかったと知ったことの落胆。それが私の中の哀しみだった。お前はもう家族じゃない、扶養でもない、常に繰り返されるこの言葉に傷ついていたのは私の勝手な期待だった。

馬鹿な私。何年もこんなことに苦しんで。でも、もういいよ。もう心ないものに縛られていては私の残された時間がもったいない。嫌いなのに嫌われないようにびくびくしてた気持ちも薄れている。彼が何を言おうと、揺さぶられることもない。もう「器の小さい人」には戻りたくない。

本当の意味で私が私を取り戻した。誰のものでもない人生を生きる。自分の好きなものだけを愛して、大切にして生きる。ようやく心の底から自由だと思える。一緒に暮らす赤の他人。まあ、いいんじゃない。一応私の大切な子どもたちの父親だし。それくらいのスタンスで。そう言ったら、息子たちは「もういいよ、母さんが親父にこれ以上縛られることないから。今まで苦労した分、好きなことして笑っていてくれよ」と。そんなこと言わせてしまって申し訳ないと言ったら、俺らの為にこれ以上苦しんだり泣いたりするのは見たくないんだと言われてしまった。

そうだね。これ以上子どもたちに気を遣わせたら本末転倒。彼らが自由に世界を満喫してもらうには私も解放されてなければね。これからも君たちが呆れるくらい自分の人生を謳歌する姿を見せなきゃね。

ようやく喉のつかえが取れた。身体は’正直で’単純だ。この短い間にここまで辿り着いたのは、私の出会い運の良さだなぁと自分に少し自信がついた。背負うものは少なくていい。でもまだまだ吸収したい。会いたい人がたくさんいる。子どもたちの未来もまだまだ見てみたい。もう少しいろんなことにチャレンジさせてね、私。

このことをポーポーさんに伝えたら、昇華しつつありますねと仰ってくださいました。『昇華』という言葉がとても美しくて、ワクワクしました。

私の心の澱は決して美しいものではないけれど、自分が納得して辿り着いた結論が人として成長した私の心の華となれば嬉しい。


















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