見出し画像

お仕事

かなりの人見知りだった私が今、販売の仕事をしている。

15年前の私なら、絶対に選ばなかった仕事。当時の私には想像も出来なかったこと。今は天職かもしれないと思えるくらい、やりがいのある仕事。

高校を卒業して初めて就職したのは自動車部品などの製造の会社。一人で作業することが好きな子だった。製造ラインに沿って作業することは案外楽しかった。そのまま勤めて、結婚退社、専業主婦。転勤族で五人の子の育児をするのだから、ほぼ就職は出来ない。それでも、お小遣い稼ぎにと、いろんな土地でいろんな内職をした。どれも面白かった。

そんな中、家庭内の問題等々がのしかかってきた。内職では生活費の足しにならなくなった。近くの農家のパートは何件も行ったが、短期が多いので、安定的な収入にならない。五人の育児をしながらでは工場では働かせてもらえなかった。スーパーの品出しも断られた。就職斡旋雑誌を眺めていた中、見つけたのは、ファミリーレストランの深夜の厨房だった。高卒で資格もなくパソコンの取り扱いもできない私を受け入れてくれたのは、ファミレスのキッチンだった。子どもたちを寝かしつけてからの出勤なので、保育園も学校の行事や役員にも支障がない。子どもたちが健康でいてくれたのもとても助かった。

初めは厨房で調理、閉店作業。覚えるだけでも大変だった。それでも一緒に働く人に恵まれて、楽しく仕事ができた。何年も働く間に、パートリーダーになり、厨房とフロア(接客)もこなせるようになっていた。子どもたちも成長して、昼間の時間も働くように。その頃から、接客が楽しいと思うことが増えていった。

ただ残念ながら当時の店長と運営について意見が合わなくて、人がたくさんやめていった。私も人を軽んじる店長の方針についていけず、退職して新しい職場に、別の飲食業を選んだ。そこでも人との出会いに恵まれて、がむしゃらに働いた。そして並行してファストフード店や靴屋さんなどダブルワーク、時にはトリプルワークなどして必死に生活費を稼いだ。勢いで始めた接客業で得られる喜び、湧き上がる意欲。天職なのかもと思い始めた。

大学に通う娘の成人式が近づいた頃、自分のこれからをふと思った。このままダブルワークばかりでは体力が追いついていかないだろう。子どもたちも帰宅時間も遅くなってきている。昼間にきちんと働いた方がいいのではないか。それならば、社会保障の整ったパートタイマーか、正社員になった方がいいのではないか、と思い、子どもたちに相談した。

日勤になればご飯の支度も遅くなること。お休みも不定期になるかもしれないこと。仕事によっては連休がないこと。雨が降ってもお迎えに行けないし、忘れ物を届けることも出来ないと。

ただ、あなたたちが社会にでたら母は一人になる。自分の生活を賄わなければならないと。そのためのチャンスは今しかないのだ。45歳が再就職のタイムリミットなのだと。子どもたちは常に家事のお手伝いはしてくれていた。娘も自宅通学だったので、みんな賛成してくれた。ご飯の支度もある程度下ごしらえをしていけば、仕上げることならできると言ってくれたので、ありがたかった。

当時勤めていた靴屋さんの店長に転職の意思を伝えた。何をするの?と聞かれたので、工場くらいしかないのではないかと言うと、貴方は販売の仕事をしたほうがいいと、強く勧められた。残りの人生は自分の為に、自分の好きな事で生きていく方がいいと言ってもらった。それから始まった就職活動は販売業だけに絞った。アパレルショップ、家電量販店、メガネ販売etc。書類を書き、面接をして、数社からは合格をいただいたが、フルパートや正社員はなかなか難しいと言われた。その中での最後、今の会社にフルパートで採用となった。

入社して、改めて飲食業とは違うこともたくさんあり、販売業としてのルールや接客サービスも違う。PCの扱いもあり覚えることが山のようにある中で、当時の指導者がこれまたブラック上司でスタッフが次から次へ辞めていくお店だと知った。

私も根性はある方だが入社して2週間くらいの時にストレスで口内炎が酷く食事もできないくらいだった。店では私語もできないくらいで、スタッフ同士がたわいもない話をすることも、他のスタッフに仕事を教わることもできないような最悪な職場環境だったが、接客は思った以上に楽しくて、やりがいに満ちていた。そんな中、スタッフの人に帰りにお茶でもしないかと誘われて、嬉しくてシフトが同じ日に三人で喫茶店で話す機会が出来た。

年齢の幅はあるものの仕事は楽しいが、何せ指導者に辟易していることなど,思いが同じだったことがわかり、一先ず仕事を覚えて口出しダメ出しができないように力を合わせていこうと決めた。その頃店舗の担当者が変わったこともあり、担当者にも相談したし、サポート店長にも職場の改善を訴えた。 半年たった頃、お店に三年いた指導者はあっけなく転職していった。

残った私たちが大事にしてきたのは、贈り物をうちのお店で選んでくれる人の気持ち、贈られた人の気持ち。専門店の扱いになるから、正直なところ、ふらっと立ち寄るお店ではない。 その中でもうちの商品を選択してくれる思いを大切にしよう。地元の大手の店に負けない思いやりのある接客を、と皆で決めて、互いに協力してきた。チームワークと接客態度は一番になろうと思っていた。会社の会議も、ミーティングも積極的に参加して、自分たちにできることは率先して行動した。

そんな中、私が入社して一年半たった頃、副店長に任命された。しかし、当時の担当者は別の子に託すつもりだったという。それならばスタッフの同意がなければ私は責任者になれないと思った。今のスタッフのためなら私は盾になれるが、私が責任者で困る人がいるならもめるので嫌だと伝えた。主任からスタッフに話があって、スタッフの同意があったと。嬉しさよりも改めて責任の重さを実感したが、みんなで一緒には変わらない。特別なことは何もない。ただ私の想いに賛同しているのだと、言ってもらったのがなによりもありがたかった。それから店長、準社員になり、今年の三月にようやく正社員登用試験を受け合格し、晴れて正社員になれた。スタッフに支えられてのこの立場。現在のスタッフは皆女性で、家庭や親の介護、育児を担っている。そんな中、働く事情は様々だ。だからこそ、彼女たちに責任はあるがこの職場で働きたいと思ってもらえる運営と、スタッフ同士を繋ぐ、お客様を繋ぐことが私の一番の役割かなと今は思っている。

6月以降、新しいスタッフも受け入れ、新たな運営のかたちができている。今はうまくいっているが、スタッフはいつかまた入れ替わる。これからの課題は新しい後継者を育成すること。若い人に世代交代をしていくこと。会社の今後もわからない中だけど、私は人と関わる仕事をこれからもしていきたい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?