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自分の存在意義を求めて

思えば物心ついた頃から、生きるためには誰かに従うように要求されていた。

親への服従。宗教への服従。夫への服従。服従なんて言葉使うほどのこと?って思う人もいるだろうが、結果自分の本音すら封印しながら生きてきたんだ。虐待、洗脳、ドメスティックバイオレンス。心が、身体が悲鳴をあげてしまったんだ。全ては私にとっては暴力だ。

自分がこの世に存在するのに、誰かの許可がいる。ご飯を食べる、学校に行く、家に住まう、成長し、将来を考える。その当たり前の一つ一つに必ず誰かの許可を得る。

誰のおかげで生きてられると思ってるんだ!親に宗教に夫に言われ続けてきた呪いの言葉。

その言葉を発する親の承認を満たすための良い子。成績優秀で品行方正な態度。わがままを言わない。欲しいものは全て妹に譲る、優しい姉。親の期待の将来の夢は学校の先生。それが私。それが私が生きるための目的だった。わがままを全て叶えて貰える妹、何をしても許される妹。好きなだけお金を使える妹。同じ家に暮らすのになんで?いや、なんでなんて疑問を持ってはいけないのだ。この世で起きてることは、前世の報いなのだから、そうなるのは私の生まれ持った因縁が悪い。私が前世に犯した罪によって、産みの親に捨てられ、赤の他人の手によって生かされてるのだと、信仰によって頭から押さえつけられた。だから、私が生きるのは前世の罪を償う為なのだと。親の決めた相手を結婚し、親の期待する生活をさせてもらえと。赤の他人の夫の優しい顔に、自由にさせて貰えると、期待して家を出たけど、同じことの繰り返しだった。因縁なんだ、私が悪いんだと、頭を下げろ、自分を主張してはいけないと、信仰に抑えつけられた心は常に反抗していたけれど。

いつも小さな私が心の中で叫び暴れてた。

違うんだ、私は悪くない、私ばかりなんでこんな思いをしなきゃいけないの?なんで私は生まれたの?なんで私のは生きてるの?私だって、私だって…。

結婚してまもなく子どもを授かり、子どもを愛しいと思った自分に驚いた。その時に初めて、この子のために生きたいと初めて思った。この子を育てるのが私の使命だと。ある意味歪んだ思考だけどその時はそれで良かった。

幼い頃から、叱られ殴られ、罵倒されていた私でも子育てできるのか?と不安はあった。それでも育児書を読み、子育て指南書を読み、どうしたら私のようにならないかと、それだけを考えて育ててきた。私がされてきたのは、虐待だったと、子育て中に読み漁った本に書いてあったのを読んだから。虐待だけはしてはいけないと。どんなに愛しくても、子どもたちは私のものではないのだから。

子どもたちを育てることが私の存在する意味だと思って、経済DVに姿を変えた夫から子どもを守り、働いて育てようとしたけど、時々限界は来て、結局子どもたちにも負担を強いた。それがまた余計に悔しくて情けなくて、自分の小ささに項垂れる。それでも、母ちゃんと呼んでくれる愛しい子どもたち。この子たちが生まれたことを呪わないように、自立しこの世を謳歌できるように、いろんなチャレンジを畏れないように見守って、ようやく、5人の末っ子が18になった。

ひとりひとり、同じなんてない。遺伝子が近くても全く別人格。それが私にとっては人とは所属で決まることではないってことを教えてくれた。

家族であろうと、学校であろうと、何に所属しようとも、己次第だと教えてきたけど、それだけは間違ってないかもしれないと、今さらながら実感している。

自分の存在意義は自分で決めればいい。

やりたいことも、行きたい道も自分次第。それに対して自分で腹をくくれば、どうにでもなる。

人生も残り僅かで気づけて良かった。残り僅かな人生で、小さな花を咲かせようかな。道端で咲く小指ほどの色とりどりの小さな花。うつむき涙する誰かの心を癒せるように…。いや、それも自己満足か。(笑)

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