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『奇談・怪談・夢語り その二』

~猿の眼~

浴衣姿の人の波が窓を流れていく。
「ぴーひゃら ぴーひゃら どどんが どんどん」
お囃子が耳に飛び込んでくる。
祭りをやっていたのか。

ふとあの日の情景が甦ってきた。
下駄の音、ソース焼きそばの臭い、遠い日の父の浴衣姿。

職場からの帰りみち。いつものバス停はまだ先なのに僕は見知らぬ街に降りていた。
「ぴーひゃら ぴーひゃら どどんが どんどん」
妙にお囃子が耳につく。
だが人波はお囃子に背を向けている。祭りはもう終盤なのだろう。
 

あの夏祭りの夜、僕はまだ七つだった。
あの夜もずっとこんなお囃子が聞こえていた。
そして三々五々流れていく人波にやっぱり僕は逆らって歩いていた。
帰る道々後ろ髪を引かれ引き返していた。
 
どうしてもどうしても《《あれ》》が欲しかったのだ。

並んだ夜店は大体がもう片付け始めていた。
その一番はじ、神社の境内の影に隠れるようにあのお面売りの店はあった。流行りのアニメのキャラクターや、昔ながらの動物のお面が所狭しとぶら下げられていた。

「やっぱり、これ、これください。ねっ、お父さんいいでしょ、お願い」
振り返って、追いかけてきた父に懇願する。
「省吾、いい加減にあきらめなさい」
「あんた、また来たの。だからね、これは売り物じゃないんですよ」
父に叱られてもお店のオジさんに呆れられても僕は言い募る。
「これ、これが欲しいんだよ」

平台の隅に置かれた木箱のお面だ。
ほかのみたいにプラスチック製じゃない木彫りのお面。
なぜか白い布で両目をふさがれている。
それが妙に気になったのだ。

「坊ちゃん、さっきも言いましたがね、これ、売り物じゃあないんですよ。たのまれて置いてるだけなんです。
なんでもこのお面、お面自身が持ち主を決めるんだそうです。
選ばれたお方だけが、手にするものなんだそうですよ」
 
だが平台から離れない僕にとうとう根負けしたのか、それとももういい加減帰り支度をしたかったのかオジさんは言った。
「わかりました。わかりましたよ、仕方ありませんね。
 もしかしたら、選ばれたのは、坊ちゃんかもしれませんねえ。
 お譲りしますよ。どうぞお持ちください。
 ちょっと値が張りますが。よろしいか?」

本当に売り物ではなかったのだろうか。いや今思うとこちらにその気があるのか図っていたような気もする。
もったいぶって客の好奇心を煽る、そういうやり口だったのだろうと。

結局父はオジさんの言い値で買い取った。結構な金額だったと思う。
あのオジさんの声は今でも覚えている。最後の言葉も。
「毎度ありがとうございます。
 でもね、どうもこれ、ワケアリみたいなんで、どうぞお気をつけて」
そしてにやりと笑った。

猿のお面だった。
家に帰って箱から取り出し眺めてみたが何の変哲もないただの猿のお面。古びた黒い猿の顔だった。
覆っていた布をとると目の縁は所々剥げていたが、元はきっと金色だったのだろう、キラリと光るものがあった。それがなんとも怪しげだった。
「年代物だな。骨董品か。もしかしたらお宝かもしれないな」
父は僕に買ってくれたことも忘れて玄関に飾ってしまった。

その夜からだ。
僕たちは、父も母も、何かに襲われる怖い夢にうなされ眠れなくなった。
そして、飼い猫がいなくなり金魚鉢の金魚がみんな死んでしまい、その内、
母が階段から落ちて大怪我をする。職場の帰り父が交通事故にあう。
そんなことが次々僕たちの周りに起こった。
だが眠れないのは夏の暑さのせい、怪我や事故はその寝不足からだと父も母も信じて疑わなかった。

僕は玄関のお面を始終眺めていた。
朝学校へ行く前、夕方学校から帰って来ると、そして夜、歯磨きして寝る前も。
猿の眼に魅入られたようにずっと見つめていた。
誰かが声をかけるまでその場にたたずんでいた。
目をそらすことができなかったのだ。

そんなことが続いたある日僕は突然病に倒れた。
何か月も入院することになり、なかなか家に帰れなかった。
ようやく回復の兆しがみえた頃、家が火事になったと聞かされた。
全焼し何もかもが灰になり、逃げ遅れた父と母は亡くなってしまった。

僕はベッドの上で泣きながら、ふいにあのオジさんの言葉を思い出した。
「どうもこれ、ワケアリみたいなんで、どうぞお気をつけて」
そこでようやくこれまでのことがあのお面のせいなのだと気付いた。
あれを手に入れてからだったのだ。

あれから三十年が過ぎていた。
閑散とした参道を僕はふらふら歩いていた。
今までずっと祭りの夜を避けていた。祭囃子にも耳を塞いでいた。
なのに、今夜はなぜこんなにも僕は惹かれるのだろう。

と、そこで待っていたのは、そう、あれ。
片付けられた夜店の並びの一番はじ、神社の境内の影からあれが見ていた。
目隠しされているのに視線を感じるのだ。
平台の隅に置かれた木箱の中から、火事で焼かれたはずの猿のお面がこちらを見ているのだ。


ご高覧たまわりありがとうございます。
これは『岡本綺堂読物集』を参考に創作した一話完結のショートストーリーです。全10作品を投稿いたします、楽しんで頂けましたら幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。

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