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コーポイチモリ

2023.07.27

 

 

 

バスにのって新しい職場にむかった。

指示された時間に待っていたのだけど、その時間が20分ほどはやかったらしい。

バスの運転手のおじちゃんに「あらっ、はやいねぇ」といわれた。

「本来の時間」とはちがったけれど、はやい分には問題なさそうだった。

ぼくは何事も先走りがちだ。

「新しい場所」にきても、”はじめの一歩”から先走ってしまった。

 

駅の近くには、川があった。

海までまっすぐに伸びた、穏やかな川。

海までもうすこしで辿り着く、穏やかな川。

水の流れる音を聴きながら送迎バスの座席にすわり、運転手のおじちゃんと話をした。

 

おじちゃんが連れていってくれる「新しい場所」は、川の水が海に向かう方向とは反対方向だった。

坂を登り、山の方へ向かって、バスはぼくを連れて行った。

 

海をみていると、「はやく帰りたい」という気持ちになる。

「そこ」がどこなのかハッキリとはわからないけど、「はやく帰りたい」という気持ちになる。

きっとそこは海みたいな場所なのだろう。

 

「はやく帰りたい」と思ったけれど、バスが海からぼくを引き離した。

それはたぶん、「本当に帰るべき場所」に帰るために「いったん登らなきゃいけない場所」があるからだ。

 

バスで坂道を登ると、新しい職場がそこにあった。

黒いバックパックと黒いスーツケースを抱えて、新しい職場の入り口を跨いだ。

何かが始まる予感がした。

 

事務所で手続きを済ませて、寮に案内してもらうことになった。

新しい住処となる寮まで、新しい上司が車で送ってくれることになった。

新しい始まりは、新しいことばかりだ。

始まりはいつも、新しさが波のように押し寄せてきて心地いい。

 

寮についた。

白いアパートだった。

「コーポ一森」と書いてあった。

”コーポーモリ”かと思ったけど、「コーポイチモリ」らしい。

”ひとつの森”だ。

 

”ひとつの森”の古びた白いアパートの一階には、ダイビングショップがあった。

「Dive Healing」という名前だった。

 

ぼくは「そこ」に近づいていると思った。

「海のような場所」に近づいていると思った。

 

そして、その「海のような場所」は「森のような場所」でもあるんだと思った。

”ひとつの森”のような場所。そこにはきっと”潜っていく”必要があるんだと思った。

森だけど、潜っていく必要がある。

潜っていく必要があるし、登っていく必要がある。

そう思った。

 

古びた白い建物に近づき、薄暗い階段をのぼった。

埃をかぶった階段は、昼の太陽の光のもとで神妙な空気をまとっていた。

二階の玄関の扉に向かっていく時間は、深海に向かって登っていくようだった。

 

 

 


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