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話題の記事へ:SEALDsと同時代を生きただろう元学生の雑感

どうしてもなにか言いたくなって、noteを更新してみることにする。もともとnoteはそういう場だ。

朝日新聞の連載「遮断の時代:第3回「隠したい」元SEALDsの過去」が話題だ。有料記事だが、Twitterで誰かがプレゼント記事にしてシェアしていたので全部読んだ。

私のタイムラインでは「なんなんだこの記事は!」「若者の活動に対して、こういう書き方、見出し自体が「若者の声を封じる」ものだろ!」が大半の意見だ。
私も同意する。
「賛否両論!」「話題の記事」にしたかったんだろうなと思うと同時に、この記事を書いた記者の方はこの当時(今もそうなのかもしれないが)彼らの活動や「若者の政治活動」みたいなものを否定的で冷笑的に見ていたんだろうかなと悲しい気持ちになった。

私は2014年に学部入学した。
SEALDsに参加していた学生たちとはだいたい同世代にあたるだろう。

当時、私自身、特定秘密保護法には反対だったし、安全保障関連法にも反対だった。強行採決されたときには酷く落胆し、当時の政権に対して腐ってるなと心底思っていた。

だからか、このSEALDsの活動には心揺さぶられた思い出がある。
当時は「若者は選挙に行かない」「若者は政治に無関心だ」とよく言われていた時代でもあった。そんななかで彼らの活動があった。ある種の希望だった。

関東の大学生だったため、国会前でのデモは見に行ったこともある。
デモがあることをTwitterで知ったときは、わざわざデモをやっているところを見に行って「やってるな」と思いながら帰宅していた。
自分自身がSEALDsに参加したわけでもなければ、主体的にデモに参加したわけでもない。参加する勇気がなかったというのが正しいか。

デモに行ってみると老若男女が参加していて賑やかにやっていた。
シュプレヒコールは怖く感じたが、この政権を野放しにしてる方が最悪に近いかと思ったり、やや口の悪い学生の感じが否めないデモでの発声も印象的だった。

でもこういう活動があったからこそ、
若者世代の「選挙なんてダサい」「選挙なんか行っても意味ない」の風潮が終わったのだと個人的には思っている。
政治的な学生運動がダサいという意見も当時からあった。
でもそれ以上に、今では「政治に無関心の方がダサい」だ。
モーニング娘。の歌詞みたく「選挙の日ってウチじゃなぜか 投票行って外食するんだ」の感じになっている。

若者世代が選挙に関心を持つようになったのは、選挙権の年齢が変わったのももちろん関係があるだろうけど、この時のSEALDsをはじめとする学生運動が一石を投じたのは間違いはない。
彼らがその後どうなったのかは知らないが、今でもこうして話題になるぐらいに、当時の彼らは凄かった。時代をつくったし、同世代の同じ気持ちや思想をもった学生にとってはパワーのある存在だった。

執拗な誹謗中傷はなにも生まないし、誹謗中傷を再燃させるのは悪だ。
元学生たちは一生懸命彼らのやり方で世の中を変えようとしていたのだ。
彼らの活動があったからこそ今があると思った方がいいし、それを汲み取るのがこういう記事のやるべきことだったのではないか。少なくともその方が生産的だ。

彼らの活動はいつかドラマとか映画になるんだろうな。すでになっていてもおかしくはない。学生運動といえば「飛龍伝」だが、これみたいな作品になるだろうか。

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