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ヴァージニア・ウルフの言語の次元:言葉になる前の言葉

ヴァージニア・ウルフの「池の魅力」(The Fascination of the Pool)という短い作品を読んだ。

僕のなかでウルフの文学は水のイメージと強く結びついている。意識の「流れ」というメタファー自体が水のイメージを前提としていることはもちろんだが、それは『波』や『灯台へ』といった作品を構成する重要なエレメントでもある。彼女が生涯を閉じたのも水の中だった。

たぶん池が魅力を持つのはそのせいだ――水のなかにあらゆる種類の夢想や、不平や、確信を擁しているのだ。書かれたこともなく、口にされたこともないそれら。葦の刃によってふたつに断ちきられ、その隙間を一匹の魚が擦り抜けていく。月の皓く大いなる円盤はそうしたものすべてを殲滅する。池の魅力は立ち去った者たちが残した想念の存在ゆえである。そして肉体から離れた想念は自由に、親密に、会話を交わしながら、出入りする。共有地のこの池に。

『青と緑 ヴァージニア・ウルフ短篇集』西崎憲編訳(亜紀書房)

これはウルフの作品の魅力そのものの説明でもあるだろう。「書かれたこともなく、口にされたこともないそれら」。それをウルフは敢えて言葉にすることを試みた。「人生がここに立ち止まりますように」という願いを込めて。

これとあれと向こうのあれと、わたしとチャールズと砕ける波と―ラムジー夫人はそれを巧みに結び合わせてみせた、まるで『人生がここに立ち止まりますように』とでも言うように。

夫人は何でもない瞬間から、いつまでも心に残るものを作り上げた―これはやはり一つの啓示なのだと思う。混沌の只中に確かな形が生み出され、絶え間なく過ぎゆき流れゆくものさえ、しっかりとした動かぬものに変わる。人生がここに立ち止まりますように―そう夫人は念じたのだ。

ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』御輿 哲也(岩波文庫)

ウルフは、僕たちが言葉にすることのないままに感覚しているもののなかに人生の重要な一側面を見い出す。それを異質な次元の言葉で書くことによって、僕たちの前に人生を立ち止まらせるのだ。彼女は言葉になる前の言葉を書くことのできる稀有な作家だったのである。


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