てつろう

素人、ふれあそびと。

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マガジン

  • ありふれたもん

    見過ごしていた ありふれたこと について書いてみます。

  • ふれあそびと

    • 7本

    ある「ふれあそびと」の書き散らしです。「ふれあそびと」とは、「ふれあそぶ」 ひと のこと。「ふれあそび」とは、ふれあい を あそぶ 、または、 ふれあい で あそぶ こと。

  • 続・家族

    私が32歳のとき、61歳でガンで亡くなった父の幸せな最後の話。

  • ひきこもり の つぶやき

    ひきこもりの体験で感じたこと、考えたことの、書き散らしです。

  • 2020年09月 東北太平洋沿岸歩き旅

    青森 八戸 から 福島 いわき 勿来 まで 太平洋沿岸の自治体を歩いた旅 (一部、帰宅困難地域を除く)の記録。 みちのく潮風トレイルをしたり、東北お遍路巡礼をしたり、 震災遺構探訪をしたり、 残った寺社参拝をしたり、防潮堤巡りをしたり、あるいは、しなかったり……、気の向くままに南下しながら、僕が体験したこと。

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ふれあそび とは

ふれあそび とは、 ふれあい を あそぶ こと、 または、 ふれあい で あそぶ ことです。 ふれあい とは、 誰か または 何かに触れ、 触れたもの と相互作用することです。 つまり、ふれあそび は、 何か触れたものとの相互作用を 楽しむ遊びです。 触れる対象は、 人でもいいですし、物でもいいです。 目に見えるものでもいいですし、 目に見えないものでもいいです。 自分の外側にあるものでもいいですし、 自分の内側にあるものでもいいです。 解剖学的な身体でもいいですし、

    • あべこべ世界観

      もらうことは、引き受けること 上げることは、引き受けてもらうこと 奪うことは、引き受けること 奪われることは、引き受けてもらうこと 殺すことは、引き受けること 殺されることは、引き受けてもらうこと 食べることは、引き受けること 食べられることは、引き受けてもらうこと 勝つことは、引き受けること 負けることは、引き受けてもらうこと 引き受けたものは、その分 担いで生き続け 引き受けられたものは、その分 軽くなる 与えるものが、与えられ 与えられたものが

      • 朝日に当たる落ち葉

        赤、黄、緑 彩り豊かな秋の木立 木立の中の暗がりに 朝の光が斜めに射しこんでいる スポットライトに照らされて そこだけ空気が白みがかっている そこを木の葉がハラハラと舞い落ちる 光の中にパッと色鮮やかに現れて キラッ、キラッと朝日を反射して スーッと暗がりへ沈んでいく そんな木の葉に見惚れてた

        • 17. 初七日

           葬儀も終え、父の遺品も整理して、別居先も片付けが済んで、初七日を迎えました。  その日は、母と妹達の家族で、父の遺骨を納骨したお寺にお参りしました。  その晩は、打ち上げということで、ツグミ一家、モミジ一家、私の一家で居酒屋に行って食事会をしました。母だけは喪に服しているからと言って、家に残りました。  その居酒屋は、父の高校の同級生のお店でした。父が参加していた模合の開かれる店でもあり、父も常連で妹達をよく連れていった店でもありました。  子連れのため早くから店に入ってい

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        ふれあそび とは

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        • 2020年09月 東北太平洋沿岸歩き旅
          1本
          ¥10,000
        • 妻の姓に変えてみて
          3本

        記事

          16. 父の葬儀

           父の葬儀の日、この日は、この時期の沖縄にしては珍しく良く晴れた、風のない温かな日でした。  私達遺族も、とても晴々とリラックスした気持で、その日を迎えていました。  ただ少しリラックスの度が過ぎたのかもしれませんが、私がようやく挨拶の原稿を書き上げたのは、父の火葬の最中でした。  そして、葬儀で私は遺族代表として挨拶文を読み上げました。 ◆ 「亡父 葬儀 遺族代表挨拶」(2012) 本日はお忙しいところ、ご会葬頂き、誠にありがとうございます。  故人は生前、本当に好き勝

          16. 父の葬儀

          15. 父の通夜

           私は葬儀の遺族代表挨拶をモミジから頼まれました。葬儀の準備は何から何まで妹達に頼りっきりでしたので、これくらいは長男としての務めを果たそうと引き受けました。  葬儀業者から渡された挨拶の例文を目にして、「形式的な挨拶なんて意味がない」と思ったとき、私の心の中に、慣習的なことに意味を認めなかった父がいるように感じました。ただ、その父は、慣習は無意味だと言って厳しい顔をして否定していた以前の様子とは違って、ニッコリ微笑んでいました。「形式的な挨拶文をただ読み上げても、誰のために

          15. 父の通夜

          14. 父の最後の生活

           私が東京に戻ってから、父は腹水を抜いた後の処置のため二度ほど手術を受けました。そして、11月末には退院しました。危篤だといって入院してから一ヶ月も経っていませんでした。  退院したとき、父はそのまま別居先のアパートに戻るつもりでした。  一方で、退院するまでの間、父は一、二度、外出と外泊の機会もあって、そのときは実家に来て家族と過ごしていました。  先の帰省中、テレビの部屋を片付けると私が言いだしたとき、「お父さんが退院したら戻ってくるかもしれないから」と言ってあんなに頑な

          14. 父の最後の生活

          13. 父の訃報

          ◆ 訃報の電話 年が明けて、二週間ほどたった日曜日、その日は長男ゲンタの誕生日でした。私達家族は、ゲンタの希望で朝から家族だけで誕生日パーティをしました。  父は毎年、息子達の誕生日の朝には一言お祝いの電話をかけてきました。しかし、その日は電話がありませんでした。私は、父もそろそろ弱ってきたなと薄々感じていました。  ゲンタがプレゼントを開けて、みんなでケーキも食べて、一段落ついた後、妻と息子達は近くの公園へ遊びに出掛けました。  前の晩、少し食べ過ぎて調子を崩していた私は独

          13. 父の訃報

          12. 父との電話

          ◆ 昔の日記 東京に戻った私は、帰省前に東京で再会した旧友に「どうしてテツオはあんな作文を書こうと思ったのか?」と質問されたことをふと思い出しました。  先の帰省中、コピーした自分の作文を読み返して、書いた内容を思い出したものの、一体、当時の私が何を考えていたのか、どうしてこんな作文を書こうと思ったのかについては、やはり思い出せませんでした。  そこで、帰省中に整理して東京の家に送っていた段ボール箱の中から、学生時代につけていた日記を取り出しました。  この日記は、私が中学校

          12. 父との電話

          11. 最後の面会

          ◆ 最後の面会 その翌日は友人の披露宴でした。もうこのときには、実家のテレビの部屋はだいぶ片付いていて、ちゃぶ台を移動したりしなくても、大人一人分の布団は敷けるほどになっていました。母の部屋の方はまだ荷物で山積みでしたが、テレビの部屋からは隣の部屋との仕切りとなっているふすままで通れるようになっていました。その日、私は安心して母にユウゾーを預けて、披露宴に参列しました。  披露宴の翌日、私は父の病院へ最後の面会に行きました。最後の面会は、ユウゾーの他に、この日休みだったツグ

          11. 最後の面会

          10. 痛みと上手に付き合う方法

          ◆ タイ・マッサージ 次の日、病室に入ると、父と同じ年頃のご夫婦が病室に来ていました。お二人は父の模合の友人で、その前月の10月、模合仲間で行ったタイ旅行のアルバムを持ってきてくれたのでした。父や仲間の写った写真を見せてもらいながら、しばらく話していました。  その方がこう言っていました。 「・・・タイに行ったのは、つい二、三週間前で、あのときはピンピンしていたからサ、入院なんて聞いてびっくりしたサァ。・・・だけど、そういえば、終盤にタイ・マッサージを受けたあたりから、少し調

          10. 痛みと上手に付き合う方法

          9. 「本物」の何か

           次の日、父の病室に入ってみると、ベッドに父の姿はありませんでした。廊下に顔を出すと、父が点滴台を押しながら病室に戻ってくるところでした。酸素マスクがなくても動けるようになっていました。 ◆ フォース?? その日、私は、父の話を聞く代わりに、私が父に伝えたいことを話すことにしていました。  父は、根っからのマルクス唯物論主義者で、目に見える物質しか信じていない、科学万能主義の人間でした。だから、神も仏も、あの世も輪廻も、そんなもの信じていなくて、ある意味刹那主義でした。とは

          9. 「本物」の何か

          8. 父の別居先

          ◆ 別居先の掃除 翌日は、父が軽い手術をすることになっていたので、その日の面会は控えることにして、代わりにツグミと一緒に、父の別居先のアパートの掃除をすることにしていました。  父の入院前からアパートに通っていたツグミによれば、体が動かず十分に掃除もできなかった父の部屋の散らかりよう、汚れようはひどいもので、むくんだ父が放つ死臭のような臭さが充満していたそうです。特にユニットバスの汚れ・臭いは入院後数日経ってもひどく、ツグミは自分一人であの部屋を掃除するのは絶対嫌だから、私に

          8. 父の別居先

          7. 父と「家族」

          ◆ 父、「家族」を読む 次の日、ユウゾーと一緒に父の病室を訪れました。  私は、作文「家族」のコピーを渡して言いました。 「この作文、僕が高校一年のときに書いて、そのとき県ですごい賞をもらったものなんだ。今まで家族には見せてなかったんだ。だけど、父さんには一度読んでほしいと思っていたんだよね。」  父は、どれどれと言ってコピーを受け取ると読み始めました。  読み始めて、すぐに顔を真っ赤にして「ホッホッホォー!」と高笑いを上げました。  私はニコニコしながら、父の反応を観ていま

          7. 父と「家族」

          6. 「家族」の入手

           その日、ユウゾーを連れて、病院からタクシーで高校に向かいました。学校側のご厚意で、図書室のバックナンバーを閲覧させてもらい、高校一年のときに書いた作文「家族」のコピーを入手することができました。  ここに、そうやって入手した作文を載せます。誤字・脱字、誤用が散見され、恥ずかしさもあるのですが、そのまま載せます。 ◆ 作文「家族」(1996) 僕の父は、性格的にはあのアニマルズの「朝日の当たる家」に出てくる親父に似たろくでなしで、酒ばかり飲んでろくに仕事にも行かない。週三日

          6. 「家族」の入手

          5. 父の若いころ

           その日、作文「家族」が手元にないので、父との面会では、父の話を聞こうと思っていました。  もともと父は自分のことをあまり語りませんでしたので、私が父について知っていたのは、母や大叔父から聞いた父の経歴や失敗談ばかりでした。父が何を考えて生きてきたのか、というようなことは一度も聞いたことがありませんでした。  そこで、その日は、父の若いころ、特に全く自由な時間であった学生時代、何を考えていていたのか、聞いてみようと思いました。 ◆ 父の生い立ちと経歴 父は、戦後の混乱がよう

          5. 父の若いころ