◎世界とつながりたい

小さい頃は、自分を中心に世界があった。
私がいて、お母さんがいて、お家があって、保育園があって、団地があって、公園があって、友達がいて、おじさんがいて、猫や犬がいて、斜視のお兄さんがいて。

もう10数年も前のことだけど、ちゃんと思い出せる。

その頃は、自分の世界のことしか知らなくて、見えていなくて、関心もなかったけど、少しだけ大人になった今、見える世界が少し広がったな、と思う。

お金は、ちょうだいと言えばもらえるものではないことを知った。

自分がほしいものを手に入れてとても嬉しい気持ちになった裏側には、それを手に入れるために必要なことをしてくれた人がいることを知った。それは決して、簡単なことでは無かったことも。

今日、ふと思ったことがあって、
同じとき、同じ場所に生きていても、私たちはそれぞれに違う世界を生きてるんだなってことが改めて腑に落ちたような感じがあって。

そしてここで、タイトルの◎世界とつながりたいに繋がっていくけど、その、自分の頭の中で、心の中で、起こったことを、自分の中だけに留めておきたくないと思った。

だから、ここに残そうと思った。
きっと、そうしないと、私は今自分の中に生まれたものを忘れてしまうと思うから。

色々と思うことはあるけど、まとめるのが難しい。笑
すぐに色んな方向に思考が飛んで、散らかってしまう。笑
これはきっと、ADHDの特性なんだろうな。

ADHDについても、考えたことがあって、ADHDは「障害」と呼ばれて、薬で症状を抑えようとしたり、色んな工夫をしてADHDによって起こるトラブルを回避したりするんだけど、私は、ADHDっていう特性を持っているなら、その特性を味方につけてしまえばいいんじゃないか?って考えた。

本当に、ADHDは、生きていく上でハンデにしかならないんだうか。ADHDだからこそ出来ることって、ADHDだからこそできる生き方ってあるんじゃないかって。

ADHDの人は、自由に、自分が思うままにやりたいように、動くことができたら。そうしたら、私は、もっと生きられるんじゃないかって思った。

私は、とある人によると、修行僧らしい。笑
自分のやりたいことに制限をかけていて、禁欲的なんだって。
自分自身ではこれが普通のことだから、その人にそう言われて、自然と納得した。
世界が少し広くなったような気がした。

私は、その人と話すことが好き。
その人と話してるとすごく安心して、リラックスできる。
沈黙するのも息苦しくなることはなくて、自由に言いたいことが言えて、聞きたいことが聞けて、嘘をつかないで良くて、本当のことを言える。言葉につまっても、ちゃんと待ってくれる。退屈なんじゃないかって聞くと、こういう話は好きだって言ってくれる。安心する。その人が、自分のところにいてくれるのが、凄く嬉しいと思う。

自分が声をかけて、応えてくれる人がいるのは、凄く幸せなことで、当たり前ではないことだと思う。
その人が生きていて、私に時間を作ってくれて、私に意識を向けていてくれるからこそ出来ることで。
だから、本当にありがとうって思ってるし、伝えている。

でも、少しだけたまに不安になる。
その人がどこか別のところに行ってしまわないか。
私のところにいてほしいと思う。

私はその人と話してると、自分が変われるような気がする。
ひとりぼっちでいた自分から抜け出したくて、変わりたくて、その人といると、一人じゃなくて。
ただ何となく、離れがたいと思う。
繋がっていたいと思う。
もっと知りたいと思う。話したいと思う。
一緒に時間を過ごしたいと思う。

その気持ちが、私たちを繋げてくれているのかなぁ。
この繋がりが途切れませんようにって、私は願う。

話したいことたくさんで支離滅裂だったけど、聞いてくれてありがとう。また、たくさん話に来ます。
私の話を聞いてくれて、ありがとう。

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