見出し画像

円空展に行ってきた

あべのハルカス美術館で開催されている円空展に行ってきた。
すごく心動かされる体験でした。

円空さん

円空さんは江戸時代初期に木の仏像を彫りまくった人で、人生のうちに12万体の仏像を彫ったとか。30代で彫り始めたということで、単純計算で一日12体ぐらいを毎日彫り続けたことになる。

実際は、2mほどの大きさのものがあったり、手のひらサイズのものがあったり、単純には計算できないけれど、とにかく、ものすごい勢いで彫り続けていたと思われる。

実際に存在が確認されている円空さんが彫ったものは5000体強という。ご出身の岐阜県のあたりを中心に、北は北海道、南は三重県・奈良県の間で旅をして、旅先で彫ったものも多いという。

江戸時代初期の人

先日、おしゃべりに花が咲いた目上の方から、めちゃくちゃオススメされた円空展。行く前に、同じ時にオススメされた松尾芭蕉の一生について書かれた本も読みつつ、二人が生きた江戸時代初期に思いを馳せる。

どうも江戸時代の年齢の感覚は、現代の感覚でいうと1.5をかけたぐらいのようだ。江戸時代の30歳は現代の45歳、50歳は75歳、60歳は90歳ぐらいの感覚でその人の人生を読むと、非常に面白い感覚になる。

円空さんは64歳で入定されたということで、今は60代で亡くなると、まだ若いのに…となるところ、1.5掛けで考えると96歳。もしかしたら、当時としてはかなり長生きをされたのかもしれない。

事前学習

展示を見に行く前に、円空さんについて少しずつ知識を蓄える。7歳の時に長良川の氾濫で目の前でお母さんを失った。母一人子一人だった円空さんはお寺に入り、32歳のときに旅に出る。お寺にいた当時のことははっきりわからないようだ。

唯一の家族であるお母さんを目の前で失ったことは、仏像を彫りまくったことと強く関係があるだろうなと感じた。ぽっかり胸に空いた暗闇を埋めるため、もがき続けたのじゃないかと思う。

お寺で過ごして、きっと修練も重ねたと思う。いつかは埋まると思った心の穴も決して埋まることなく、このままでは済まないと感じているときに、彫刻に出会ったのだろうか。そして、旅に出たのだろうな。

円空展

展示は1時間ほどで、じっくり見ることができた。
1660年代の掘り始めた頃は、ていねいな線で彫られているのが印象的だった。年代ごとに受ける印象が違ってくるのが面白かった。

展示の最初の方に、「近世奇人伝に描かれた円空さん」というのががあった。その説明書きに「有名・無名を問わず風変わりだが天の意志にかなった人物100人の伝記」と書いてあって、やっぱり、変わった人という印象だったんだなぁと思った。

今となっては、すごい人、と思うけど、当時出会った人は、なんだこの人、変わってるな、と感じていたに違いない。私もそんな変人・奇人になりたいな、と心がくすぐられる感じがした。

観音さんと善財童子さんと善如龍王さんの3体の組み合わせが印象的だった。一本の丸太を半分に切って、一つを観音さんに、もう一つをさらに半分にして善財童子さんと善如龍王さんをそれぞれ彫る。その3体を寄せると、もともと一つの丸太だったことがわかる。まさに一心同体。家族のようにも思える。

円空さんが彫った仏像たちは、みんな笑っていた。修行僧を守るために彫ったという怖い顔をした不動明王ですら、口元は微笑んでいる。この不動明王が見守ってくれてると、すごく心強くて安心できるなぁと思った。

想像

幼い時に心にぽっかり空いた穴を埋めようとして仏にすがるものの、どうしても埋まらない。30歳(現代の45歳)を過ぎて、このままでは穴が埋まらないのかもしれないと、「ここにはない何か」を求めて、旅に出る。

乞食僧となって、温かい歓迎をうけることの方が少なかったかもしれない。一宿一飯のお礼に仏像を彫る。その仏像もありがたがってくれるか、迷惑がられるか、なんとも思われないか。

お母さんのことで埋まらない心の穴を埋めるように彫っていたところから、自分が彫った仏像が人を救うという啓示を受けて、人々のために彫るようになった。

そんな流れに憧れる。自分のために無我夢中でもがいていたことが、いつか、他の誰かのためになる。

人柄

円空さんは、疑うことなく、言われたことをそのまま受け止める素朴な人柄をお持ちだったそうだ。

言葉の裏を取らず、だまされても、真正面から言葉を受け止める。

そんな円空さんに憧れる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?