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自分と向き合って進む道

ちょっと前の10日間ほど、波動が下がり気味だった。

そのさらにちょっと前まで、気持ち悪いぐらい信号にひっかからなかったのが、気分が下がったときを境に、何回も信号にひっかかる不思議。

まぁ、その不思議も楽しみつつ。

気になる言葉

「あなたはいいよね」みたいな言葉にひっかかる。
「あなたと私には大きな隔たりがある」と言われてる気持ちになる。

いやまぁ違うことは別にいいんだけれど。
そこに良いとか悪いとか、上とか下とか、そういうのが見え隠れする。

ある職場の人に「必要な人と思われてるからいいやん(うらやましい)」と言われた。その人は、自分は仕事ができず必要とされてないから、ここに居てはいけないと感じてるようだ。

もともと、何を言ってもどこまでも闇の中へぐるぐる吸い込んでいく傾向にある人だなぁと思ってたけど。少し距離を置くようにしてたのが、今回、ちょっと話す機会があって。(私がその人と話せる土台ができてきた?)

別に誰かに必要とされなくても、居たらいいやんって、今の私は思っている。

できないと思うなら、できないと思うなりに、助けを乞うて、できることに集中してやったらいいと思う。まわりは、このぐらいは任せられるかな、という目でみたり、ここは助けが要るかな、と見てくれる。
そんな恵まれた職場環境にいる。

以前の私は確かに、「必要とされなければここに居てはいけない」感が強かった。だから、その人の言葉にも、まだ心が動くのを感じる。ついつい、共感してしまう。

鏡写しの自分と向き合う

責任感の強さと、完璧主義と、白黒思考についての、揺り戻しだなぁと感じる。目の前のこの人は、私のそんな部分を鏡写しにしてくれてるのだなぁと思う。

たぶん、またその人とそんな話をする機会が出てくるのだろうな。

さて、どこまで受け止められるだろうか。
今の私なら、ちょっとは受け止められるだろうか。
闇の中に引っ張り込まれないか、ちょっと不安はある。

でも、以前話したライフコーチの言葉によると、相手は自分の選ばなかった道を選んだパラレルの私かもしれないし、そんな人の話を聴くことが、私が進もうとしてる道なのかもしれない。

自然と巡ってくるであろう、その時に備える。

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