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慈悲の瞑想

「正しい瞑想」をしてみたいと思って本を探した。その時に出会った慈悲の瞑想。実際は、今までも目にしてきてるし、試したこともあったと思う。

今回、すごく心が動き、素晴らしいと感じた。
本を読みながら、自分でもやってみる。

まず自分の幸せを祈り、まわりの人の幸せを祈り、生きとし生けるものの幸せを祈る。

自分のことを大切にしていいんだと感じる。まず自分。自分が感じる幸せを、自分のまわりの人に広げ、遠くに住む人に広げ、地球上のすべての人ものに広げる。幸せのエネルギーですべてを包み込み、最後にまた自分に戻ってきたとき、幸せが満ち溢れた。

これはいいなぁー!とふわふわ感じた。

生きとし生けるものが幸せでありますように

いろんなやり方がありそうで、一番短くするならば、「生きとし生けるものが幸せでありますように」だけでもいい、というのもいい。これなら毎日無理なくできる。

朝起きたときに、余裕があれば順番に祈ったらいいし、子どもがモゾモゾしてたり、わーっと起き出して動かなければいけない朝も、まずは幸せで満たすことから始めることができる。素敵。

この「生きとし生けるものが幸せでありますように」というフレーズを読んだとき、幸福学の前野先生のことを思い出した。

前野先生の本を読んだとき、まえがきで全ての人の幸せを願っていて、その祈りを感じて素晴らしいなぁと心が温かくなったのを思い出した。

みんなの幸せを心から願える、こんな人になりたいなぁと感じたように思う。

逆エンパス

自分が逆エンパスだと認識することが重要な気がしている。

自分がイライラしたり、腹が立ったり、モヤモヤしたりしていると、まわりの人にお裾分けしてしまうのを感じる。自分のネガティブな感情が人を突き刺してしまう。

逆エンパスという考え方を知る前は、自分はなぜか人を傷つけてしまう、嫌われてしまう、と思い、それを感じるのが怖くて、自分を出せず怯えていた。

自分がふわーっとハッピーでいると、まわりもふわっと優しい雰囲気になる。自分が世界を創り出しているから、だけでは説明しきれない、まわりの人の反応がある。

自分が幸せを感じ、それをまわりに広げていくというのは、慈悲の瞑想と同じ感覚だと思った。これは逆エンパス体質を活かせるなぁ、と嬉しくなる。

みんな幸せになったらいいやん

慈悲の瞑想で唱えるフレーズを見ていくと、自分を嫌う相手にも、自分が嫌う相手にも、幸せを願うバージョンがあると知る。

嫌いでも、嫌われてても、みんな幸せになったらいいやん、みたいな、ゆるさというか優しさが心に沁みる。

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