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すれ違った女子高生に「キモい」と言われてしまった話

 すれ違った女子高生に「キモあの人」と言われてしまった。

 話は今日の正午過ぎにさかのぼる。僕は朝から1人でカラオケを楽しんだ後、いい気分のまま会計を済ませ、カラオケ屋が入るビルの階段を下りていたところ、向こうから4人組の女子が何やら話しながら階段を上がってくるのが見えた。

 私服だったし中学生なのか高校生なのかは分からないが、とりあえずそのくらいの年代だ(とりあえずJKということにして話を進めよう)。小奇麗な服を着ており、化粧もしているみたいで、顔もモデルのように可愛い子もいた。まぁK-POPアイドルの影響とかもあるのかもしれないが、全く最近の女子高生はマセてるのが多いなと思いつつ横目で見ながらすれ違おうとしたその時だった。4人組のうち1人が、

「キモあの人」

 という一言をすれ違いざまに吐いていったのである。一瞬の出来事だったので、4人のうちどの子が発した言葉だったのかはわからない。

 とはいえ、「キモッ!!」みたいにあからさまに拒絶するようなものの言い方ではなかった。「あ、キモあの人」という感じで、なんというか、会話の延長線上みたいにごくごく自然に発せられた一言だったと記憶している。例えば歩いていて「あ、野良猫だ」とか、「あ、ここのコンビニなくなったんだ」とかと言うのと同じように、何とはなしにこぼれ出た一言だったと思う。

 その一言を聞いた僕は、何が起こったのか理解できなかったのでしばらく困惑したのち、確かに聞き間違いではなかったと確信し、そして考えた。後ろを振り返るでもなく、歩みを進めながら「あれは本当に僕に向けて発せられた一言だったのか?」と。

 だがその時階段にいたのはその4人組と僕だけだったはずで、ということはつまり「あの人」は僕しかいないから、「キモ」という言葉が紛れもなくこの僕に向けて発せられたということは明白だ。

 次に、自分の容姿について女子高生に罵倒されたという事実を、まずは深呼吸して心と身体に沁み込ませる。目を閉じて自分に何度も言い聞かせる。受け入れろ、仕方のないことなのだと。カラオケで大声を出して楽しんでいた時に感じていた高揚感の余韻が次第に、そして確実に消えていく。

 それと同時に、今まで同じようなことは何回かあったので、厄介なことにその時の記憶がフラッシュバックしてきた。大学生の時に鎌倉を1人で旅行していたら、これもすれ違った女子高生に容姿を馬鹿にされたり、大学のサークルの新歓で女性の先輩に「要領悪そうな顔だよね~」と言われたり、アルバイトしていた学習塾の生徒には「先生って変な顔だよね!」と言われたりもした。

 過去に同じようなことがあった時にはものすごく落ち込んだ。例えばその女性の先輩にからかわれたことを気に病んでそのサークルには二度と行けなくなった。だが27歳になった今日の僕は違う。今の僕に必要なのは、ただ現実を受け入れて前に進むことだ。怒るでも落ち込むでもなく、僕の心は不思議と凪のように落ち着いていた。

 そう、逆に言えば、僕は自分となんの利害関係もない通りすがりの女子高生から容姿に関して忌憚のないご意見をもらって有難いと思うべきなのだ。「鏡見てから物を言え!」とはよく言われるが、なかなか自分の容姿を客観的に見ることは難しい。僕にはそもそも気心の知れた友達ひとりすらいないし、容姿に関して正直に指摘してくれる人がいない。

 「自分はキモい人間なのだ」ということはまぁ分かってはいたが(そうでなければ、27年生きてきて彼女の1人や2人は「普通に生きているだけで」できたであろう)、こうして見ず知らずの他者から純粋に指摘してもらったことで、あぁ、自分は本当に気持ち悪いんだということを確信・納得することができた

 僕はその時マスクをしていたが、マスクをしていてもキモさを隠すことができないとなると、もう相当なレベルのキモさである。まぁ、顔だけでなく身長の低さとか髪型とか服装とか雰囲気とか歩き方とか「清潔感」とか、全体的なキモさということなんだろうけど。

 この出来事についてXでポストしたところ、嬉しいことに複数のフォロワーさんから反応をいただいたが、「そんなことあるの!?」とか、「そんなJKいるの!?」とか、そもそも本当の出来事なのかどうか疑われてしまった。いや本当なんですよ、現にそう言われた男がここにいるんですから・・・。

 でも、皆さんが経験したこともない、聞いたこともないような出来事が僕のこれまでの人生では、今日を含め複数回起きている。これで僕のキモさの異常性がさらに浮き彫りになったような気がする。

 今日の出来事から、やはり僕の容姿への評価は僕が思っているよりもずっとずっと、もう地を這うぐらい低いということを思い知り、むしろスッキリしたと言っても過言ではない。今僕は彼女を作ろうとマッチングアプリで毎日毎日ポチポチやっているが、今回、あの一言でその努力というか労力がすべて否定された気がする。というか、むしろ否定してくれてよかった。だって僕もそう思ってたもん。ただ無駄にお金と時間を費やしているだけだって。

 SNSやマッチングアプリの隆盛により、ルッキズムがはびこるこの現代社会において、容姿がマイナス評価の人間にとっては、自由恋愛のハードルは富士山ぐらいに高い。そんな人間が恋愛しようだなんて、鼻で笑われるだけだ。思い上がりもいいところだと言われたような気分だった。パーマをかけたりしてちまちまとこねくり回そうとしても根本的には何も変わらない。元々恋愛する資格なんてなかったのだ、無理だったのだ。

 卑屈すぎると思われるだろうか?でも、今まで容姿について心無い一言を言われた何度かの経験や、彼女のできる気配すらなかったこの27年という長い歳月は、僕を卑屈にさせるのに十分すぎるくらいだ。

 まあ、マッチングアプリの有料会員期間はまだ残っているので(もう既にやる気が失せているが)、もう少しささやかな抵抗を試みることにするが、状況の劇的な改善はもう望めまい。会員期間が終わった瞬間、恋愛や女性と関わろうとすることをすっぱり諦め、それらを可能な限り遠ざけ、猫と2人で暮らす独身貴族になることを目指そうと思っている。

 顔がキモかろうが、イケメンだろうが、普通の顔だろうが、みんな平等に明日はやってくる。このことはもう忘れよう。そして優雅な独身貴族になるために、明日からまた孤独に重労働に従事するだけの生活に戻っていくのだ。(おわり)


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