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新譜レビュー:Sarah Jarosz 『Polaroid Lovers』

今回は、先週(2024年1月26日)発表されたばかりの真新しいアルバムを紹介したい。シンガーソングライターであり、マルチインストゥルメンタリストでもあるサラ・ジャローズの7作目にあたる新作『Polaroid Lovers』だ。最初に言っておくと、このアルバムは従来のサラ・ジャローズのイメージからするとかなり異色のアルバムだ。今までサラのことを知らなかった人には、そのことを知っておいてもらいたい気はする。ただ、彼女らしくない作品かと言えば、必ずしもそうではない。サラ・ジャローズらしい味わいが、聞くほどにじわじわと沁みてくる、そんなアルバムだ。

『Polaroid Lovers』(2024年)

サラ・ジャローズは、1991年テキサス州オースティンの生まれ。10歳のとき、ブルーグラスの花形楽器のひとつであるマンドリンを始め、ギター、クロウハマーバンジョーもこなす。現在主に弾いているのは、通常のマンドリンより音程が1オクターブ下のオクターブマンドリンだ。彼女がブルーグラス/フォークミュージック系の老舗独立レーベル「シュガーヒル」と契約したのは、若干19歳のとき。2009年にこのレーベルから『Song Up in Her Head』でデビューしている。ニッケルクリーク兼パンチブラザーズのクリス・シーリ(mandolin)やジェリー・ダグラス(dobro)も参加しているこのアルバムの音は、アコースティック楽器によるインストルメンテーションを強調したもので、「プログレッシブ・ブルーグラス」とカテゴライズしても良いタイプのものだった。

私が彼女を最初に知ったのは、アルバム『Undercurrent』(2016年)でだった。2017年のグラミー賞で「ベストフォークアルバム」、そして収録曲「House of Mercy」で「ベスト・アメリカンルーツ・パフォーマンス」を獲得した作品だ。サラはこの頃ニューヨークを拠点にしていたが、ここで聞かれる音は、ブルーグラスのルーツであるプリミティヴなアパラチアン・マウンテン・ミュージックに、現代的なシンガーソングライターの要素を掛け合わせたような独特の世界だった。最初に聞いたときは、スティーヴィー・ニックスの根っこにある音楽性との共通点も感じたし(スティーヴィーの祖父はアリゾナでカントリーシンガーをしており、彼女はその祖父の影響を受けていた)、その一方で、スティーヴィーが若かりし頃に持っていた70年代西海岸の空気とは対照的な、ニューヨークの空気感もすごく感じた。また、カントリー系のヴォーカルの特徴のひとつであるトゥワンギング(鼻に抜けるような歌い方)がほどよく現れるサラのシルキーヴォイスも、私の琴線に触れた。下の映像はスタジオライブのものだが、アルバムでの音も、これと大きく変わらないアコースティックなものだ。

『Undercurrent』(2016年) 
 『Undercurrent』の 中ジャケットには、アルバムラストの曲「Jacqueline」を象徴していると思われる、ニューヨーク・セントラルパークのジャクリーン・ケネディ・オナシス貯水池の写真が使われている。

その後サラは、サラ・ワトキンス、イーファ・オドノヴァンとのトリオ「アイム・ウィズ・ハー」などのサイドプロジェクトもこなしながら、2020年にはラウンダー(現在はシュガーヒルの親会社にもなっている、ルーツミュージック系の老舗レーベル)に移籍し、かつてショーン・コルヴィンを世に出したプロデューサー、ジョン・リヴェンサールを迎えたアルバム『World Around The Ground』を2020年に発表。そこでのサウンドは、予想通り、サラ自身が影響を受けたというショーン・コルヴィンを彷彿させる、よりソフィスティケートされた、深淵なものになっていた。一方、2021年に発表された、組曲的なコンセプトアルバム『Blue Heron Suite』では、当時癌を患っていた母親との少女時代の思い出というテーマに沿うような、幻想的で透明感のあるアコースティックな音空間を構築していた。

今回の『Polaroid Lovers』は、その『Blue Heron Suite』以来3年ぶりの新作となる。もっとも、その間もサラは精力的に歌声を聞かせてくれていた。彼女の才能を高く買っていたデイヴィッド・クロスビーの遺作となったアルバム『For Free』にデュエットパートナーとして参加したり、昨年秋に出たナンシー・グリフィスのトリビュートアルバムに参加したり。

今回のアルバム発表に先立って、昨年9月から既にアルバムカバーのビジュアルのほか、先行シングル(ビデオ)も何本かリリースされていた。したがって、今回のアルバムリリースはまさに「待望」と言うに相応しい。ただ、最初にこのカバーデザインを見たときには、かなり驚いた。メイク/ファッションとも、およそサラ・ジャローズらしくなかったからだ。従来のサラは、どちらかと言えばすれてない少女のイメージだったが、今回のジャケットは、まるでこれからアポロシアターに出演しようとしているソウルシンガーのような出立ちだ。この装いが彼女の新生面を強調しているのか、それともアルバムタイトルの『Polaroid Lovers』を表現しているのかわからないが、ビデオ映像などでは今まで通りのルックスだったので少し安心した。

アルバムは、心臓に響くようなタイトなドラムがリードする曲「Jearous Moon」で幕を開ける。今までのサラ・ジャローズにはない「ロック」な曲調だ。だが、冷静に聞けば、メロディラインそのものはサラ・ジャローズらしさに満ちている。アパラチアン・マウンテン・ミュージックのルーツを感じさせる、どこか情念を秘めたような幽玄なメロディだ。

「夢の中では 私たちはポラロイドの恋人だった」と歌われる2曲目「When The Lights Go Out」も、穏やかな曲調ではあるが、今までになかったようなタイトなドラムスが響く曲だ。彼女の作る曲の特徴のひとつに押韻の響きの良さがあるが、この曲でも「In a dream」と「In the deep」「You and me」、「lover」と「other」「wonder」など、スペル通りの韻でなくても聞いていて押韻が感じられる詞がメロディに乗って心地よく響く。サラが書く歌詞の多くは、必ずしも情景描写が具体的ではない。この曲も、どこか霞に包まれたような夢想的な雰囲気の歌詞だ。

アルバム『Polaroid Lovers』は、基本的にはバンドサウンドを意識して作られた作品だろう。サラ・ジャローズのアルバムで、かつてこれほどまでにドラムスやベースが強調されている作品はなかった。全体的な感触としては、サラ自身が敬愛しているショーン・コルヴィンの90年代半ば〜2000年代初めの音作りに近いものがある。そういう意味では、ジョン・リヴェンサールがプロデュースした前々作『World Around The Ground』の延長線上にあるとも言えるが、緻密に作られた印象のある『World Around...』よりは、よりバンドっぽいライヴ感を意識したように思える。彼女は次のように語っている。

例えば、「Jealous Moon」のイントロのギターとドラムが一番上に入ってくるところ。「これって、私にとって新しい領域で、今までやってきたことからすると違う世界なんじゃない」って感じだったけど、でも、とても気に入ったの。結局、私にとってのバロメーターは、その音楽が私を動かしてくれるかどうか、それが信じられるかどうか、そして、すべての歌詞に太鼓判を押して堂々と歌えるかどうかなの。だから、あんなの[イントロのスタイル]は、ちょっと怖くなって、受け入れられなかったかもしれない。5年前・10年前だったら。「これは私じゃないから、やらないわ」ってね。

出典:The Bluegrass Situation, "New Sounds and New Perspectives Combine on Sarah Jarosz" (January 19, 2024); translation by Lonesome Cowboy

もうひとつ今回のアルバムの特徴として挙げられるのが、全ての曲が他のソングライターとの共作になっていること。これは、今までの彼女にはなかったことだ。サラは、コロナ禍にそれまで拠点にしていたニューヨークからナッシュビルに移り住んでいるが、今回のコラボレーションにはそのことも影響しているようだ。アルバムのプロデュースを担当したのは、ナッシュビル在住のダニエル・タシアン。私の知らない人だったが、「タシアン」(Tashian)という名前には聞き覚えがあった。調べてみたところ、やはり、カントリー/ブルーグラス・デュオとして80年代から活動していたバリー&ホリー・タシアン夫妻の息子だった(バリーは、80年代前半にはエミルー・ハリスのホットバンドに在籍していた)。ダニエルは、今回、プロデュースのほか、冒頭の「Jearous Moon」を初め、半数近くの曲をサラと共作している。

ほかの共作者のひとり、ジョン・ランドールは、私がソロデビューCDを持っていて、生で観たことさえあるにもかかわらず、忘れていた名前だった。彼は、エミルー・ハリスが90年代初めに結成したアコースティックバンド「ナッシュランブラーズ」のメンバーだった人。彼が共作者としてクレジットされている「When The Lights Go Out」や「Runaway Train」は、これまでのサラ・ジャローズからするとかなりポップな味わいだ。もっとも、ナッシュビルで制作したからと言って、カントリーのフィールドで安易にヒットを狙いにいったような作品でないことは、アルバム全体を聞けば明らかだ。レーベルも前作・前々作と変わらず、良質な音楽を作り続けているラウンダーだ。

バンドスタイルの曲では、どちらと言うとドラムが「前ノリ」ぎみのものが多く、それがアルバム全体に90年代っぽいの雰囲気を帯びさせているように思える。そんな中、タメの効いたリヴォン・ヘルムのようなドラムスが印象的なのが、「Good At What I Do」。他人のことはよく見えているのに自分こととなると自信が持てない──そんな女性の気持ちを歌った曲のようだが、見方を変えれば、サラ自身のシンガーソングライターとしての謙虚な気持ちの表れにもとれる。曲調的には、ザ・バンドに影響を受けてジョージ・ハリスンが作った「All Things Must Pass」のような「桃源郷」感を感じさせる仕上がりだ。

一方、ニューヨーク時代のサラ・ジャローズの雰囲気を残し、以前からのファンを安心させるような曲が、文字通りニューヨークを去った自分の思いを綴った「Columbus and 89th」。

思い出すわ
あなたと日の出まで出歩いたこと
ハドソン川に行き着いたわね
過ぎ去ったことも
これから起こることも何も考えずに
あの頃は 離れるなんて思いもしなかった

でも 私には目の前のことしか見えない
そして ときどき愛のせいで 何も言えなくなってしまう
ときには コロンバスアベニューと89丁目の角で
星が一直線に並ぶこともあるけれど

"Columbus & 89th" - Written by: Sarah Jarosz & Daniel Tashian
Translation by Lonesome Cowboy

今回のバンドサウンド的なアプローチが彼女が今後とも目指そうとしている方向性なのか、それとも一時的な「マイブーム」なのかはわからない。ただ、そんなふうに考えると、アルバム4曲目のタイトルが興味深く響く。歌詞全体から推察するに、コロナ禍での心境を歌った曲ではないかと思えるのだが、「The Way It Is Now」というタイトルのフレーズが何とも言い得て妙だ。

これが今のやり方
たとえ暗闇が足下まで迫ってきていても
善意がまだ私を踊らせてくれる

これが今のやり方
辛い時だけど これが私たちの時間
そして いつか振り返ることになるの
今のこの姿を 懐かしい気持ちで

"The Way It Is Now" - Written by Sarah Jarosz & Sarah Buxton
Translation by Lonesome Cowboy

そんな彼女の開き直りとも言えるような音楽への素直な向き合い方もあってか、最初はサウンドの変化に少し戸惑った私も、聞くほどにこのアルバムに惹き込まれていくのを感じている。

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