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保険会社の『繁忙月』がキツかった(2015年)

この記事をご覧いただきありがとうございます。
わしです。
私は2014年に大学を卒業して社会人になった、
現在32歳の会社員です。

ちょうど今年(2024年)で社会人になって10年が経ちます。
10年の振り返りとしてnoteを開設しました。

今回は、私が経験した
保険会社の『繁忙月』について書きます。


それ雨ダイレクトにかかる傘の差し方じゃん。

年に何回かやってくる、たくさん売らないといけない月

いろんな仕事で繁忙期はあると思うんですが、
保険業界にもこれはあります。
だいたいが
①6月~7月
②10月~11月
③2月~3月

の3回ほど。

ノルマも倍、もしくは倍以上になって
より多くの契約を取らないといけなかったんです。
特に11月が業界の中でも
『生命保険の月』と呼ばれているようです。

生命保険会社は毎年11月になると各社とも「生命保険月」と題して、積極的にお客さまへの訪問活動をしています。

さて、この「生命保険月」、どのようにして生まれたのかご存じでしょうか? 実は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による指示だったのです。

第2次世界大戦で日本の生命保険業界は壊滅的な打撃を受けていました。
そんな窮状を見かねた、GHQの保険担当官J.P.ロイストンは、生命保険協会に対し「毎年11月を『生命保険の月』として、生命保険の奨励運動をしてはどうか」と提案しました。

当時の生命保険は年払い契約が中心で、主力産業は農業でした。
そこで、生命保険業界では米農家がお米を収穫して供米代金を受け取る11月にあわせて一斉に保険の新契約募集をかけようと計画を立てたのです。

それが現在でも続いている「生命保険月」のきっかけだといわれています。

ライフネットジャーナル オンライン 編集部
https://media.lifenet-seimei.co.jp/2016/11/04/8362/

もちろん新人期間(約2年)の私も、
ノルマが倍になりました。
正直なところ、徐々に契約を取れていても毎月ギリギリの数字で、
支部長やトレーナーの救済で契約が取れていたのもあり、
見込み客が少ない状態でした。

とにかく見込み客を探した

トレーナーと対話をした際に、
・担当地区や担当職域で
 見直しや追加提案できる人はいないか?
・家族や友人で保険を考えている人はいないか?

そこからアタックできる人をまず書き出しました。
正直家族や友人には保険提案をしたくなかったので、
担当地区や担当職域でやっていくしかありませんでした。

直近で友人が入社してきたのもあり、
出社することに対するモチベーションはありましたが、
いざ仕事!となると見込み客も少ないし
頑張り方がよく分からない・・・
と不安だらけでした。

担当職域で新規契約を取れた

こちらの記事に書いた担当職域で、
毎週募集活動を続けていました。

ある日、トレーナーに同行してもらい
募集活動をしていたところ、
その年の新卒の女性社員さんとアポイントが取れて
保険提案ができるようになりました。

この時、新規の設計書であれば一人でも説明できるほどの
レベルにはなっていたので、
最初は一人で提案をしていました。
(一人で活動できるようになった話は後日書きますね)

1回目のアポイントはヒアリングと提案
2回目のアポイントでクロージング
何とか2回目のアポイントにもつなげられ、
ここでトレーナーにも同席してもらい、
クロージングが上手くいき、無事ご契約
担当職域では初めて新規契約を取ることができました。

このお客さんとは歳が私と1つしか変わらなかったので、
共通の話題もあったり、仕事の話をしたりと雑談もできました。
そこからも、担当職域へ訪問した時には何かしら話していました。

新しい担当地区を追加された

挨拶訪問

上記の担当職域の契約だけではもちろん足りないので、
新たに担当地区を追加されました。
元々は、同じ支部にいた人が担当していた地区ですが、
退職してしまったために地区担当がおらず、
私が担当することになりました。

また自己紹介のチラシを作ってポスティングしたり、
担当挨拶の手紙を投函したり、直接挨拶をしたり、
とにかくまずは既契約者への挨拶に徹してました。

何人か訪問をして後日アポイントを取ったり、
テレアポをして会うことができたりしましたが、
思うように契約まで至らず、お断りを受けることが多かったです。

電話で怒られることも増えた

なかなか既契約者連絡がとれず、
ようやく連絡が取れたかと思ったら、
ものすごい高圧的に話されて
結局会うことができなかった
方もいました。
(こういう方は、今後の訪問も控えるようにしてました)

後は支部長が知っているという既契約者がおり、
何とかアポイントを取れたのですが、
支部長の都合で時間変更をしなくてはいけなくなり、
再度この既契約者へ連絡をしました。
そしたら「もうこなくていい!!」と電話口で怒鳴られ、
そのままガチャ切り・・・。
結果を支部長に共有したら、まさか!の顔をしていて、
謝罪の手紙を書くように指示を受けて、
すぐに謝罪のお手紙を書いて投函しました。
後日電話を掛けたら
「このお電話をお受けできません」
とアナウンスが流れ、着拒されていました・・・。
(元々変わった男性のお客さんで、女性に対して嫌悪感を抱くことの方が多いんだそうです。むしろ前任者が契約取っていた方がすごい)

最後にもう一つ。
既契約者(男性)の奥様が電話に出た際に、
担当の挨拶と契約内容確認のために訪問したいことを話したら、
これまた怒られました・・・。
何を喋っていたのかまでは覚えていないのですが、
結構甲高い声で喋っていたのだけは覚えてます。
多分担当者がコロコロ変わっているのもあったり、
特に保険を変えるつもりもなかったりするからだと思うのですが、
なんかまた変なお客さん引いちゃった・・・という感じ。

しかしその後、既契約者本人と連絡が取れた際には
「さっきは妻がごめんね。」
と言ってくれて、私が訪問したい旨を伝えるとすんなりと
アポを取ることができました。
そして当日訪問した際に、奥様が外にいたんですが、
電話の時と打って変わって優しい様子でした。
あれは何だったんだろう・・・?と思いましたね(笑)

一人で飛び込み営業ができなかった

結局新しい担当地区をもらって、既契約者の訪問をしても
なかなか保険提案や契約に至らず・・・というのが続きました。

飛び込み営業をしてないの?と、
読んでいて思う方もいるでしょう。
私、一人で飛び込み営業することができなかったんです。
そんなの仕事なんだから、と思う方もいると思いますが、
当時の私にそういう考えはなく、ただただやりたくなくて
既契約者の訪問ばかりしていました。

夕方訪問ができる担当職域を与えられた

新しい担当地区に加えて、
夕方に訪問ができる担当職域を付与してもらいました。
(どんどん増えますね)
ここも、前任者が退職のために担当者がしばらくいない状態でした。
時間帯は夕方なので、
17:30ごろから募集ができました。

奇跡的に、トレーナーと顔なじみの既契約者がいることもあり、
担当地区や、週1回昼休みの時間に訪問している職域よりも、
活動がしやすかったです。
自己紹介を書いたチラシを挟んだポケットティッシュを配布し、
アンケートを取る流れがかなりスムーズでした。
その中で、同じ保険会社で既契約者の方とお会いし、
休日に見直し提案のアポイントを取ることができました。

そして休日にこのお客さんのご自宅へトレーナーと訪問し、
契約内容の説明と、見直しプランの提案をしました。
これもスムーズに話が進んでご契約
新しい担当職域を付与されてすぐに新規契約
(見直し契約も一応新規扱い)を取れて、
繁忙月の成績も徐々に増やしていけました。

お客さんは、男性社員の方で私と歳が近い方でした。
今後、職域で会うたびに話すようになりました。
またこの担当職域には、自分と歳の近い社員さんが多いので
新規契約も見込めるようなところでもありました。

結局家族を頼ったでっかい契約

冒頭で、家族や友人に保険提案をしたくないことを書きましたが、
この時ノルマまでの数字が足りてませんでした。
(どれだけ契約取ったか覚えてない)
(印象に残ったのしかnoteに書けない)

当時ちょうど私の弟(2歳下)が、
大学を卒業する年齢ですでに就職が決まっていました。
弟の保険についてダメ元で父親に相談をしてみたら、
とりあえず話を聞いてくれるとのことだったので、帰省しました。

かなり保障を手厚くして、
成績の数字が大きいものを設計してました。
毎月の保険料が1万円を超えるようなプランだった気がします。
ほとんど私の設計に任せてもらえたので、
このまま契約になりました。
(弟がまだ学生だったので、契約者は父親)

でっかい数字の契約でした。
これでなんとか繁忙月のノルマは達成。
もちろん支部長やトレーナーも大喜び。

繁忙月が終わった・・・この後どうしよう

見込みが枯渇する不安

繁忙月のノルマを達成して、1か月が終わったけど、
そのあとももちろん成績を上げていかないといけません。
国内の生命保険会社は月が替われば成績もリセットされるので、
どれだけ大きな契約を上げていても翌月にはリセット。

この時点で2015年の12月。
ここまで何とか成績を維持してきたけど、
そろそろ見込みが少なくなって
1つも上げられないんじゃないかと思えてきました。

ペア活動をしてくれた先輩が退職

↑の記事でペア活動をした先輩が、
退職になってしまいました。
元々毎月成績を上げていたのですが、
この繁忙月で成績を上げることがほとんどなく、
出社する日のほうが少なくなってました。
資格のランクも高めの方でしたが、
それでも続けるのはかなり厳しいんですね・・・。

実はこの先輩の他にも、
ここまでに何人か退職してました。
転職というより、
数字が上げられなくなったから
辞めたという感じ。

退職後に他の方から聞くと
「元々は資格のランクも高くて、成績凄かったんだよね」
って。
それでもこういう事態になるから、
生保レディの世界恐ろしい・・・(´;ω;`)


この記事に書いた時期が、
2015年の11月~12月にかけての話です。

ペア活動をしていた先輩が会社に来なくなって
退職したのはかなり寂しくて、
この世界の厳しさを知りました。

新しく担当地域や職域が増えて、
活動の幅はだいぶ広がったと思います。
支部長やトレーナーも、
私が一人暮らしで生活が掛かっているから
頑張ってほしいという思いもあって与えてくれたと思います。
(実際そう言われたわ)

だんだん見込みがなくなってきて不安になっていますが、
まだまだ2月~3月にかけての繁忙月も待っています。
結構寒い時期に入って、
外回りがしんどくなる時期ですね。

続きもお楽しみに!

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よろしくお願いいたします。

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