今の時代のリーダーシップ論その5 ~中学生はタブレットが「あるから」調べ学習ができない?~

前回のおさらい

中学生に【リーダーシップ】を教える授業カリキュラムを考え、実施することになったものの、令和の十代である彼らはハッキリ「リーダーは貧乏くじだ」という価値観を持っていた。
そんな負け試合確定の中、体験、文献、時事ネタをふんだんに盛り込んだ調べ学習が幕を開ける。
テーマは、当時地震が頻発していた背景を受けて 「自然災害」。
テーマよし、資料良し、準備良し。令和の十代よ、わが渾身の調べ学習を食らえ!果たしてこのカリキュラムは成功するのか!

ということで大失敗したわけだが、今回はその失敗の要因を探っていく(泣)

要因①:テーマがつまらない

これを言ったら元も子もないし、生徒に迎合したテーマを選ぶ必要はない。
ただ、このテーマは事実堅いし何より暗くなりがちだ。その性質は認め、十代が食いつくように工夫をする必要はあるだろう。

ということで前回も述べたように、

大学図書館などから文献を取り寄せ、
防災センターに生徒をつれて行き、
避難所体験や震度7の地震体験、
火災している建物からの避難シミュレーション、
非常食の試食、
住んでいる街のハザードマップの分析

など体験的な要素をふんだんに盛り込んだわけだが、中学生には響かなかったという事実を鑑みるに、別角度からの工夫がさらに求められたということなのだろう…。

ちなみに【私にとっては】このテーマはとっても興味深かった。私自身が授業準備としていろいろ調べているときは、次から次へと新たな情報が出てきて、知的にかなり刺激を受けたことを覚えている。

例えば、1945年9月原爆が落とされてから一か月後に広島は台風に襲われ、2000名がなくなっていたことや、終戦の直前直後で日本は巨大地震に度々襲われていたことも分かった。まさに泣きっ面に蜂だが、調べれば調べるほど、壊滅的な困難に直面しても何度も立ち上がる先人達の力強さと、日本の国家としての生命力に心を打たれた。その時代を乗り越えた祖父母に対して、改めて尊敬の念を抱いたりもした。

死者の出た水害と震災を時系列順に並べただけでも、この国がいかに災害大国なのかを実感することができた。知識としては知っていたことではあるが、感覚的に「とんでもないところに住んでいるんだ…」ということを理解することができたのだ。

だが中学生たちにはこの感動がいまいち伝わらない。私が感じた「これはとんでもないことを知ってしまった!」という感覚は、私が大人だから感じた感覚なのか、それともたまたま災害に興味のある私だから感じた感覚なのか…。

いずれにせよ、「これは学びが多いぞ~、だって私がこんなに学べたのだもの(ワクワク)」と興奮気味に放った今回のテーマは、彼らの心の琴線には全く触れなかったのである(涙)。

要因➁:調べ物ができない

テーマ選定につづいて今度は、調べ活動における失敗について述べる。
生徒たちは、以下のテーマに分かれてグループごとに調べ学習を行った。
 
 ➀台風(水害)のメカニズム
 ➁地震のメカニズム
 ➂日本の過去の巨大災害
 ④災害と都市の作り
 ⑤復興の段取りと予算・避難生活体験

まず私の大きな誤算は、「調べ学習」の方法を彼らが知っていると私が勘違いしていた点だ。

「何かのテーマについて調べる」といえば、小学校の夏休みの自由研究などでだれもが経験したように、図書館に行って関連の書籍をもってきて読むということを指すと「私」は思っていた。ただ、彼らにとっての「調べ学習」とは、一切足を使わず、ずーーーーっと延々タブレットでパチパチやることであった(!)

ここで勘違いしてほしくないのが、「おぉ、学校でもICT化が進んでいてすごい。中学生段階でICT機器を駆使して調べ物ができるなんて、さすがデジタルネイティブ!将来が楽しみですな!我々が子供の時はPCなんて云々」などと勘違いしてはいけない点である。

すごいのはタブレットであって、子供たちではない。彼らがその最先端のICTデバイスを駆使して拾ってくる情報はwikipediaか、個人のブログに乗っているエビデンス0のジャンク情報、または読み手の閲覧数を回収することのみを目的に書かれた都市伝説のようなフェイクニュースばかり。それをスライドに書き写して「調べ物」をした気になっている。

どのような情報は信ぴょう性があるのかないのか、嘘情報や証拠のない情報を載せることは場合によっては犯罪となることなど、一通り情報収集のイロハを教えてもなかなかその意味するところが理解してもらえない。

例えば➀と➁のようなテーマ(災害のメカニズム)は、教科書の内容をまとめたり、理科の先生に話を聞きに行ったりした方が確実で早い。と伝えても、「理科の先生とあまり話したことないから聞きに行きにくい」だのなんだの言って、ずーーーっとタブレットをパチパチしている。その方が人に聞くより効率がいいと思っているのだろう。

結果としてwikiの貼り付けのような聞き手の理解力一切無視の専門用語だらけの説明をスライドに貼り付け、音読するだけの発表となり、聴衆は誰一人として台風と地震のメカニズムを学ぶことはできなかった…(当然発表者本人も理解していない)。

さらに(これは子供に限らないが)、発表に対して質問をするとなぜか「攻撃された」と思うようで、泣きそうになったり何も発言できなくなったりする(本人が理解していないから答えようもないのだが)。

挙句の果てに、「そう書いてありました」というので、「どこに書いてあったの?」と聞くと、「ネットに」と答えるので「ネットのなんていうサイト?」と聞くと、「…忘れました」と返ってくる…。

一事が万事、どのグループもひたすらタブレットの中に答えがあると信じ続け、かくして今回の調べ学習はほぼ収穫のないまま幕を閉じることになる。諸々問題点を以下に挙げると、

・テーマに興味がない。
・ニュースを見ていないから時事ネタも時事ネタととらえられない。
・タブレットを見ていることが調べ学習だと思っている。
・情報の信ぴょう性を判断できない。
・本を読まない。読めない。
・中学生に合ったレベルの本を選べない(大人も読めないような専門書を持ってきたりする。当然読まない。)
・人に聞きに行くのを避けたがる。
・ようやく聞きに行っても、「聞きに行くこと」が目的となっているため、何か説明を受けたら理解していなくても、質問もせず「わかりました」といって帰ってくる。
・資料の丸写しで自分の考えがない(学んだことから発展的に考えを展開していかないので、発表が資料の朗読会になる)。
・内容が薄すぎて一人3分の発表でも40秒くらいで終わる。

終わりに

すべての班の発表が終わった。
いろいろ目をつぶって、「よく調べ物をしていたね。」「中学一年生なのに、スライドを使ったりして発表できるなんて偉いね。」などとおべんちゃらを並べて彼らをいい気にさせてあげることもできる。
しかしそれでは教育活動として全く意味がないので、上記の改善点をみっちり伝えてあげた。

彼らの主観では彼らは頑張ったことになっているのだろうか。または今まではこのように全体での発表会的なことを行った後、先生は必ずお褒めの言葉をくださるのがテンプレだったのだろうか。私の「正直講評」が進めば進むほど彼らの瞳から光が消えていくのであった…。

…こんなんでリーダー育てられるのか!!??



令和のリーダーシップ教育~災害の調べ学習編~完
次回に続く…

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