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二十一歳と気仙沼

2022年8月後半、どっぷり気仙沼に浸かってきましたー!
ふるさとワーホリの制度を使って、気仙沼で教育事業を行うまるオフィスさんで就労させてもらいながら、気仙沼での生活を体験!
気仙沼学びの産官学コンソーシアムの企画などにも同行させてもらい、たくさんのことを学ばせていただきました✨
今回は、その学びではなく、ためにもならない随筆?日記?手記?みたいな、生活している中で感じたことを書いてみたくなったので書いてみます。
暇つぶしにしてくれたら嬉しいです。
気仙沼で探究学習などに関して学んだことは、ありがたいことに「気仙沼探究LOG」で更新させていただきます!
そちらもチェックしてみてください🚩

脳内を共有するバトン

何度か足を運んでいた気仙沼
でも、毎回日帰りで、今回、2週間滞在する中で、日帰りでは見えなかった気仙沼がたくさん見えてきた
道端やどこかのご飯屋さんに入れば「あれ?こんにちは!」って数日前に知り合った人に出会ったり、あそこでこんなことがあって、あの人がこんなことをしてくれてってお話が聞けたり、本当に小さな世界で生きている

そして、生活しないと触れられなかったものの一つが新聞、三陸新報
リレー随想というものがあって、気仙沼の人が次々にバトンを渡しながら、バトンが渡った人が随想を綴るというもの
ちょうど滞在していたゲストハウス架け橋のスタッフさんがバトンが回ってきたタイミングで、読んでみたらすごく心惹かれるコーナーだなあって
だって、人が考えていることが言葉になって新聞に載って、顔が見える世界だから街を歩いていたら「新聞読んだよ」って声かけられたり、ああなんかこういうものが共有されて回っている世界いいなって
わたしも頭の中を少し文章にしてみようかななんて
気仙沼を振り返って、真面目なところを晒すというか、そういえば気仙沼についた日、私、二十一歳になったじゃんって、、
手紙みたいに誰かに読まれないかもしれないけど、誰かは読んでくれるみたいな、ちょっと面白そうだなって思って

小さな世界で生きる

地域に入っていくとわかる、その規模にもよるんだけど、
やっぱり、「地域」は小さな世界だ
大学のない気仙沼に大学生がいたら、どこから来たのや〜とか、何しにきたのや〜って親切心で聞いてくれる
街中でお店に入って知り合いに会えるのも嬉しい

嬉しい反面
気仙沼が大好きだからこそ、旗を上げるのは怖い
気仙沼には「こんなことがしたい!」というと本気で応援してくれる人がたくさんいる
言葉だけじゃなくて、実行まで一緒に考え、試行錯誤してくれる人がいる
本当に何かに挑戦しやすい環境が作られていると思う

だけど、怖い
やってみて、ダメだったら?
途中で諦めちゃったら?
好奇心が散漫する私だからなのかな、
弱いからなのか、本気なつもりになっているからなのか
この大好きな街で「あいつはダメだ」と言うレッテルがつくのが怖い
ずっとここに居たいと思うからこそ怖いんだと思う

でも私はこの壁を破りたい、破れるかな、破りたいな

偶然の繰り返し、刹那的な出会い

知らない土地に行くって、本当に刹那的な出会いの繰り返し
道を教えてくれた方、初めてで不安だったBRTに一緒に乗ってくださったご高齢の母娘さん、海でぼーっとしてたら小さなガラスを渡してくれた男の子
それに気仙沼ではワーホリやインターンで普段ここにはいない全国の大学生が集まる時期で
ああ、この人とは、もう会えなくなってしまうんだな、そんなことをずっと思ってた
少しずつ気仙沼を知って「ここに行けばこの人に会える!」ができた一方で、「ここに行ってもこの人には会えない、、、」も知ってしまったの
いまここにこの瞬間しか集えない、ああどうしようって

うまく相手に気持ちを伝えられなかった
「出会えて嬉しい」「もっと仲良くなりたい、知りたい」とかそう思った瞬間に、そんな言葉をもっと上手に素直に器用に伝えることができなかったな〜って。
その瞬間に、ちゃんと伝えたいことを相手に届けられない自分がいて、
もう会えなくなってしまうかもしれないのに、

うまく届けられないなって気づいた時、本当に本当に人と関わるのが怖くなった
これ以上、新しい出会いを増やしたくなくなった

ああ、ちゃんと想いを届けたかったな
またみんなに会えるかな

人と暮らす、人と生きる

この期間中、ずっと人と関わることに怯えてたと思う
小さな世界に見切られたくなかったし、一度きりの出会いなことも分かりきっていたし
でもこの感覚は、両方とも初めてじゃなくて、何度か味わったことのある感覚
そして何度味わっても私には無理なんだよね、この感覚に慣れないの、まだ
この期間に限らず、もしかしたら21年間ずっと怯えてきたのかもしれない

怯え続け、怖くて怖くて身につけたのが、私の鎧だ
繕っているわけじゃないのよ、それも私の一面というか、
それでも、鎧をかぶって、あまり人と深く関わらないようにしてきた
それに、そうやって人から愛されてきただろう自分が私は大好きだ

小さな世界で初めて共同生活を体験して、ずっと刺激に溢れてた
だけど、いっぱいいっぱいになっていたんだと思う
鎧がベリベリと剥がれ始めて
自分の嫌なところ、見ないようにしていたところが現れ始めていた
結局のところ、鎧を身につけていない自分は嫌いなんだ
それを見られたくないし見たくない、
見えないように他人や自分を傷つけていくのが怖かったんだろうな
そのまま別れてしまうなら尚更

最後にちょっと話が逸れた、気恥ずかしいことを言うけど、
生きるって本当に曖昧な日々の連続だと思う
同じ日は1日もない
でも毎日は似すぎていると思う
そんな日々を送る中で、面倒くささや恥ずかしさが邪魔をしてしまうことがある
私が怖いのは、気を抜いた日にもうその場に2度と関われなくなること、
なんかいいなずっと居たいなって思うからこそ、ちゃんとその場に向き合っていきたい

ここでもちゃんと言わなきゃね、
最後まで読んでくれてありがとう、私に出会ってくれてありがとう
伝わるといいな

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