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【恋愛小説|5|もしも僕が触れられなくても】創作大賞2024 #恋愛小説部門


|あらすじ|

ノンセクシャルの僕が恋をした。恋した彼女は、過去の傷から人間関係や恋愛を避けて生きた。秘密を抱え生きている2人。触れられない僕と触れてほしくない彼女か紡ぎ出す”体が触れない”恋愛物語。全5話。


前回のお話|4|俺の話

|5|ふたりの約束|最終話

もう既読になってしまったのだから諦めるしかない。怖いが、自分が送ってしまった言葉をもう一度読み返えしてみようと思った。

 『夏菜子が好きです……
この気持ちに気がついてから、この俺に何が出来るのだろうって考えてきた。君が過ごしてきた10年の話を聞いてからその気持ちは強くなった。同期とし知り合って3年になるね。フロアが同じになったことで話す機会が増えた。人付き合いが下手な俺を気遣い、いつも先に声をかけてくれて、本当のことを言うとこれまでの人生の中で一番楽しい毎日を過ごせるようになったんだよ。日々のこと、会社の愚痴、仕事終わりのお疲れLINE、君との時間は今となっては俺の人生になくてはならないものになっていた。月を一緒に見たあの日、気づかないようにしてきた気持ちが自分の中で変わり始めた。夏菜子のことが好きなんだってやっと自分で認めることができたんだ。なのに俺は君が辛い時、男としてきっと寄り添えない。君の隣で君を守りたいのに』

いくら酔っていたにしてもこんなに長いメッセージを打つなんてどうかしている。でも感情そのままの言葉は今の本当の気持ちだった。

スマホの電源をオフにしたまま一日を過ごした。仕事に忙殺されることがこんなにも有難いと思うなんて初めてだ。夏菜子のことを考える時間もないほどだった。少し残業し退社したが、今日一日見かけることはなかった。気を悪くさせたに違いない。彼女からすれば、俺の話は理解し難くどう答えていいのか分からないに決まっている。俺自身は自分の気持ちを吐き出せて気持ちが楽になったが、それは酔いが回っていたあの時だけで、今は彼女の優しさに甘え告白したことが後悔となり苦しさだけが残った。

帰りの電車の中で、意を決してスマホの電源を入れてみたがメッセージはなかった。がっかりな気持ちと少しの安堵を抱え、夏菜子のいない一日が終わろうとしている。『それ道人っぽいねー』ふと思い出す何気ない会話が余計に彼女を恋しくさせた。でも間違っていたんだ。恋愛の封印を解こうとした罰だ。これで良かったんだと自分を納得させることしか今はできなかった。帰宅しても物思いにふけるだけ、味も香りもない時間だけが過ぎていった。寝る前に今日最後のLINEを開いてみたが、俺のメッセージで終わったままだった。おやすみのスタンプを選んだが送信ボタンを押さず、そのままLINEを閉じ長い一日が終わった。

昼前に会社の休憩室でコーヒーを飲んでいると『しばらく夏菜さんお休みで寂しいでしょう?』と後ろから同僚に声をかけられた。びっくりして振り向くと『うそうそ、同期で仲良しだから』と笑って、元気出してと言わんばかりに肩をポンポンと軽く叩きそのまま行ってしまった。しばらく休みなのか。休みということは急な出張ではないということだ。なぜお休みしているのか知りたくて仕方がなかったがLINEはやめておこうと自分に言い聞かせた。夏菜子がいない2日目、急ぎでもない仕事を詰め込んで少しの残業と共にまた一人の一日が終わろうとしている。

会社を出てあてもなく歩いた。彼女と待ち合わせたスタバが見えたとき、あの告白をしてからまだ3日しか経っていないのにもう懐かしい場所になっていた。秋の初め、一緒に月を見たくて仕事が残る彼女を待っていた時、その横で美しい月を撮影している恋人達を見て俺はたまらなく絶望を感じ、自分が手にできない「恋の時間」を楽しそうに過ごす人達に嫉妬をしていたことも思い出し、そんなこともあったなぁと感慨に耽っていた。

真っ直ぐ帰宅するのが寂しくて酒を一緒に飲んでくれる友達に連絡しようスマホを見た時、画面のLINE通知に気がついた。すぐに読みたかったが、もし夏菜子だったら嬉しいが怖さもあるしそうでなかったら落胆も大きい。どちらにせよ直ぐにLINEを開ける勇気がなかった。夏菜子と一緒に食事した店で酒を飲みながら通知を開こうと決め、スマホをコートのポケット奥に閉まった。背筋を伸ばしまた歩き始めた。

大学時代から通う馴染みの店だが、バーカウンターに座るのは初めてだった。これまで一人で酒を飲みにくることなど考えたこともなかった。ベランダビールが一人酒の定番。今日はバーボンをロックで注文し、グラスがきたらLINEを開けようとカウンターにスマホを置いてその時を待っていた。一人でバーボンを飲むとは俺のイメージに合わない気がするが、もうすぐ26歳になる男の遅く来た新しい一面とでも言っておこうか。もし夏菜子がこの姿を見たら『道人、かっこつけすぎだよ』って言うだろうな。勇気を出してそっと開けたLINEのメッセージは夏菜子からだった。

「この前は時間を作ってくれてありがとう。とても感謝しています。私はこの10年ずっと自分の痛みと後悔だけにエネルギーを注いで生きてきた気がします。あの子たちを恨み憎み、中学受験した自分を責め、親には申し訳ない思い、その繰り返しの日々だった。浪人し1年遅れて大学に入ったのはもちろん受験勉強が間に合わなかったせいもあるけど、どこかで同級生に会わないように無意識の中でそんな選択をしていたんだと思う。自分だけが隠し続けたい時間を封印して何もなかったように健全なフリをして生活していた。その反面、大きい声、笑い声、威圧感、自分達が最強って思ってるアイツらに怯え、いまだにビクビクと身構えて人と距離取って生きている。あれ以来、私は男性が怖くてたまらない。誰かを好きになる未来を私自身が一番信じていないし望んでもいないのかもしれないね。でも私はもう15歳の子供じゃない。そろそろ進み出す時が来てること、本当は私自身が一番わかっているんだけどね」

読み終えた時、夏菜子が好きという例のアニメスタンプも送られてきた。
――気張っていきましょう
金髪にサングラス、俺が唯一このアニメで好きなキャラクターだった。でもこのスタンプには何を返せば正解なのかと考えてた時、またメーセージが入った。

「深夜のメッセージ、嬉しかった。あんなに優しい気持ちを伝えてもらえたことは初めてです。自分のことさえ乗り越えられていない私が、初めて人の支えになりたいと思いました。正直な気持ちを伝えてくれたので、私も正直になります。この前、話してくれたことについて、人との関わり、それが恋人なら通わすのは心だけって訳にはいかないはずだと私は思ってる。恋をまともしたことがない私でもなんとなくわかる。でも私は恋人同士になって体を通わす事が出来るようになると今の自分では思えないの。何よりも男の人との距離が自分でコントロールできなくなってしまった。強い男性的な一面を見つけてしまった瞬間、その場から私自身がいなくなる感じ。怖かった経験から女性として男の人に向ける気持ちの何かが欠けてしまったのかもしれないね。でも道人には男性へ向ける感情以上に人間的な部分で惹かれています。私にとってこの感情は恋なのかもしれない。私は道人が好きです。だから私はあの言葉をもらって本当に嬉しかった。これからもずっと私のそばにいてもらえませんか?」

「明日、中学の同窓会に行ってきます。実は当時の親友が連絡をくれました。何か変わりたい、だから同窓会の出席は今できる私の最善の一歩。ダメでも私を待っていてくれる人がいるから、頑張ってきたい。いってきます、また明日」

明るい言葉だった。だからこそ心配にもなる。でも10年ぶりの一歩を応援しよう。俺がいるから大丈夫だよ、という言葉を返信せず心で飲み込んだ。最後の後押しはいらない。ただ信じること、そのことがどれだけ励みになるか俺自身が一番知っている。店を出て夜の月を眺めながら駅に向かった。『私のそばにいてもらえませんか?』この言葉とバーボンの酔いがとても心地良い夜だった。

会社が休みなのに早く起きてしまった。今日の同窓会が心配で眠りが浅かった。でも彼女が決めたことを見守ると決めたんだ。もしも辛い日になったとしても決心した彼女の一歩は正しい。それはこれからの未来に繋がる勇気だと信じている。ふとスマホの通知に気づいた。夏菜子からのLINEは、俺か寝た後の早朝に出されたものだった。

「おはようかな、おやすみなさいかな?いってきますを言ったのにやっぱり不安でLINEしてます。話したら聞いてくれる人がいるという幸せを初めて感じています。今、道人に伝えたいのは、私に寄り添うとか寄り添えないとかそんなことはもう考えないでほしいということ。私はもう過去から離れ扉を開ける準備は出来ています。でもその場所を出ずに躊躇して立ち止まっているのは勇気のなさと変化を受け入れる怖さ。2日間休暇を取ったのは、中学の同窓会に出席する為、心を整理する時間がほしかったから。一度は断ったけど、当時の親友から同窓会に来なくても久しぶりに会おうと誘われて、怖い気持ちもあったけど出席を決めました。休みを取って、中学受験したあの当時を振り返り私なりに心の整理ができ、あの時間を手放す時が来たんだなと覚悟も決まった。この勇気をくれたのは道人だよ。自分以上に大切な人の存在に気づき、あの時の中3女子はとうとう一歩を踏みだす決心ができました。もしも辛い結果になったとしても踏み出そうとした私を覚えておいてほしい。大丈夫、私はもう大人。怖いけど頑張ってくるね」

彼女が過ごしてきた10年、そこから前に進もうと決めた今の気持ちを知らせてもらえたことに感謝が溢れ、見守ると決めたのに自分の気持ちを伝えたくなった。

「夏菜子の優しさや頑張り、俺は全部覚えているから。月曜は出社する?久しぶりに会えるね」

すぐに届いた返信のスタンプは夏菜子が好きないつものアニメ、赤い髪をした主人公だった。
――『サンキューソーマッチ』
声つきのスタンプを聞くたびに、彼女の闘志が見えるようだった。

今日は土曜日、夏菜子は同窓会。明日一日やり過ごせば月曜日久しぶりに会えると思うと心が躍った。その反面、俺にはまだ解決できていない問題もある。寄り添わなくていいよと気を遣ってくれたが、俺がノンセクシャルであることに変わりない。お互いの気持ちは伝い合えたが本当に付き合っていけるのか、簡単にいかないことは想像できる。付き合いたいなどと俺が決められることではないことも。一日そんなことばかり考えていたらあっという間に夕方になっていた。連絡がない夏菜子はどうしてるだろうか。夕飯のことを考えたり洗濯物を畳んだり、独身男の休日に戻り生活感ある時間を過ごしながら、一日中夏菜子のことを考えていた。

すると、珍しくスマホの電話が鳴った。よく聞くとそれはアプリの通話音だった。

「ただいま、道人」

「夏菜子か、電話だから驚いたよ」

「LINEに書ききれないから通話にしちゃった。驚いた?ごめんね。行ってきたよ。約束していた友達にも会えた。でも同窓会の会場にはやっぱり入れなかった。人の多さと会場の大きさに圧倒されてね、その奥にあの男子たちがいるのかと思うと呼吸が荒くなって入り口付近でずっと休んでた。幸いなのかクラスメイトに会うことなく、担任の先生だけには挨拶してこられた。先生の連絡先を教えてもらえたから、また改めて会いに行こうかなって思ってる。だから同窓会には出席出来なかったってことになるかな」

「そっか。でもそこまで行けたのはすごい勇気だよ」

「不登校になるしかなかったあの時、私から去ったと思った親友の気持ちは私が想像していたものとは違っていた。彼女も親友と思っていた人を失い救えなかった自分を責め長い時間苦しんでいた。まだ子供みたいな中学生があの時不登校になった友達に対し何が出来たかなんて、大人になった今だからどんな風にも言えるよね。私もなんで助けてくれなかったの、と沢山苦しんだけどそれはお互い同じだったことがわかって、その時、ごめんねと泣きながら抱きしめてくれた親友に再会できたことだけで私は十分だと思ったの。喪失感を抱えていた彼女に学校へ行かない説明もせず全て断ち切ってきた10年、何度か連絡をくれた彼女を無視し、それがまた彼女を何年も苦しませてしまったことに私も気づいてね。本当にもうこれで終わりにしようと決断できた。私はこれでよかったのかな?」

「夏菜子は最善を尽くした。小さな一歩かもしれないけど人生最大の一歩だと思う。君が扉を開ける瞬間に立ち会えて嬉しかったし勇気をもらえたよ。だからこれでよかったんだ。先生と友達に再会できたこともね」

「ありがとう。道人に言われると心が軽くなる。緊張して10年分の疲れがどっと出た感じ。両親にも今日のことを伝えたら2人とも泣いて『長かったね、本当に頑張ったね』と言ってくれた。だからまた泣いちゃった。会場には入らなかったからもう帰宅しているの。月曜日からちゃんと出社しますよ。仕事が溜まっているからもう恐怖。あんなに強気で同窓会に行ってきますなんで言ったのに、やっぱり無茶だったね。でも少しだけ前進できた気がするからいい疲れかな。今日は熟睡できそう」

「夏菜子、明日は空いてる?会おう。会いたい」

「私も会いたい。突然なんだけどこれから会える?一緒に月を見た場所、覚えてる?今から月を見に行かない?いいお天気だったから今夜は綺麗に見えるかも。明日になってしまう前に会いたい」

「わかった。じゃぁ20時にあの場所で」

電話を切った今も気持ちの高まりがおさまらない。自分の心臓の鼓動を感じるなんて初めてでどうしていいのか分からず興奮している。支度してすぐ出よう。月が見えますようにと願いながら全力で駅まで走った。

先に着いたのは俺だった。遠くの方向からこちらに歩いてくる彼女の姿が見えた時、泣きそうになった。不登校だった重荷を10年も背負い生きてきて、今日そこから立ちあがった彼女を労いたかった。目の前に現れた瞬間、抱きしめてしまった。自分でも説明がつかない行動だ。でもそうしたいと自然に思えた。男とか女とかそういうことではなく、夏菜子という人に触れ抱きしめたかった。

「今日は頑張ったね。本当に頑張った。もうこれ以上頑張らなくていい。夏菜子はそのままでいて。この10年のことはもう手放していいんだよ。これからは俺がいる。もう一人じゃないから、辛い時は俺を頼ってほしい。

夏菜子は頷くだけだったが、泣いていることがわかった。その温かさを感じながら言わなければならないことをどこで伝えようか考えていた。

「こんな俺、ノンセクシャルな俺でもいいの?俺は、もっと深く夏菜子を愛することができないかもしれないんだよ。いつかそのことが君を苦しめる時がくるかもしれない。でも俺こんな風に人に触れたのは初めてだよ。夏菜子は辛くない?大丈夫?」

「道人はそのままでいてほしい。男の人と恋がしたい訳でも付き合いたい訳でもない。道人という人を好きになって私が一緒にいたいと思ったの。触れ合わなくても私は道人の温かさがわかるし、その優しさに包まれて幸せも感じてる。これ以上私が望むことって何もないの。道人が女性に触れられないこと、触れたくないこと、私が男性を怖いと思うこと、傷ついたことが沢山あるからこそお互いの過去も未来も分かり合える。私たちは互いに必要としている。私はそれで十分」

「ありがとう。自分でもまだ自分自身がわからない時があるんだ。俺という人間は人を本当に愛せるのか。愛することってどういうことなのか、これから知っていきたい。今はこれしか言えなくてごめん。でも本当にありがとう」

自分の人生が大きく変わろうとしていることに不安を抱きながら、俺は苦しくても前に進むことを決めた。恋も愛も自分が出来る限界を知って苦しくなることもあるだろう、でもノンセクシャルである自分を肯定してくれた彼女の為にも、この決心が正しいと知っている。最初で最後かもしれない彼女を抱きしめているこの瞬間を忘れたくない。夏菜子を抱きしめながら眺めた月はとても美しかった。


――1ヶ月後

「夏菜子、本当に来ちゃったけどここはまだ早かったんじゃ……」

「どんどん回るよ。これも勉強。私たちは恋の経験値が低すぎるからね。30歳になるまでにもっと経験しとかなくちゃ」

「夏菜子って案外子供っぽいんだな。俺よりお姉さんだしちょっとクールだから夢の国なんて興味ないと思ってたよ」

「道人だってそう。人見知りっていうか奥手というか大人しいというか落ち着いた人かと思っていたけど、ノリがいいし意外と何でもやってみるタイプだったのね。お姉さん知らなかったよ。それにジェットコースター系が大好きなこともびっくり。あの絶叫は何?道人のキャラ崩壊だよ」

冗談を言いあいながら、友達と恋人の間を行ったり来たりしている俺たちは、毎日たくさん喋る。喋りながらお互いに良好な距離感を確認しながら恋人の時間を過ごしている。これが俺たちの選んだ恋愛の形。

「夏菜子、ちょっとお土産みようよ。こっち、こっち」

缶入りのチョコもいいね、クランチチョコの方がいいかな。隣にいると思い、話しかけていたが、そこに彼女はもういなかった。当たりを見回していると、来て来てと何度も手をこまねく夏菜子が見えた。呼ばれた場所に着いた時、商品棚の横に置いてあった鏡にちょうど二人の姿が映った。

「ふっ」

お互い同時に吹いて笑ってしまった。そこにはピンクとブルーのカチューシャをした人生初デートのカップルいた。

「私たち、何してるんだろうね」

「それをいうなら、ここに誘ったのは夏菜子でしょ。しかも26の男にカチューシャまで着けさせて。本当は凄く恥ずかしいんだから」

「そうだよね。恥ずかしいことさせちゃったね。初デートでハードル上げすぎたね。でも高校生だってこんな風にデートしてるんだよ。私たちはそんな経験もしないまま大人になっちゃったんだなぁって思わない?こういうキラキラした世界を最も避けて生きていたし、気楽に一緒に行ける人も、行きたい人もいなかった。私たちにはまだまだハードルは高いけど、こんな風に過ごす楽しい休日があることを今日初めて実感できた気がしない?」

「そうだね。こんなに刺激的な休日を過ごしたのは初めてかもしれない。今の俺たちは誰かにとっては煌めいて見えるのかもしれないな」

初めてかもしれない、と答えたが本当は初めてのことだ。恥ずかしいとか考える間もないほど刺激的で楽しくて、自分の奥深いところにしまった悩みなど気に留めることもなく、俺は夏菜子といる今を幸せに感じていた。

普通に生きていくってどんなことだろう?普通の人ってどんな人だろう?不登校だったことやノンセクシャルという事実は「普通」のことではないのだろうか?俺たちは「普通」に生きていくことが必要なのだろうか?人と違う時間を生きていくことに勇気を持ち続けるには何が必要なのだろう?楽しい時間が終わればまたいつもの日常に戻る。自分たちの苦しみがいつか終わることを心から信じたいし、俺はそう願うことを諦めたくないと思った。たとえ同じ葛藤がこの先ずっと続くとしても、俺たちは変化して成長していくんだ、お互いの痛みもきっといつか癒えていくと信じたい。

夢の国から戻った俺たちは絶妙な距離を保ちながらこれまで通りの生活をしている。それでも少し前進したいと思う気持ちが俺の心に生まれたことを彼女は知らない。伝えていいものか自信もないし、これが確かな気持ちなのか行動に移せるのか自分でも分からない。だけど俺たちは心に思ったことをきちんと言葉にすることで抱えている迷いや不安が癒やされていくのだろうと知っている。同窓会の夜、二人で月を見たあの日、愛と表現するのは大袈裟だが、なぜあの時躊躇いもなく彼女を抱きしめる事が出来たのか自分でも分からない。あれ以来、触れられないことは変わらない。そんな劇的に何かが変わることなどないだろう。でも今は触れてみたいと思う瞬間がある。夏菜子はいつか僕に触れてほしいと思う時が来るのだろうか?

「夏菜子、手を繋いでみる?」

「急にどうしたの?」

「急じゃないよ。そんな気持ちになる時があるんだ。俺ハードル上げすぎかな?」

「約束しない?私たちは無理をしないって」

夏菜子は手のひらではなく、小指を俺の目の前に近づけて「約束」と笑った。

「うん、わかった」

俺も小指を出し二人で初めて指を繋いだ。小指が温かい。夏菜子の体温を感じ、その温かさに触れ、俺はずっと寂しかったんだと気づいた。

<終>


ノンセクシュアルの定義|引用

ノンセクシュアル(Nonsexual)とは、他者に対して性的欲求を抱かないセクシュアリティ。アセクシュアルと勘違いされやすいノンセクシュアルですが、この2つは恋愛感情を抱くのか抱かないのかという点で異なります。
なお、日本においては「恋愛感情の有無」を中心に捉えられる傾向があると言われており、恋愛感情も性的な欲求もない=アセクシュアル恋愛感情があり、性的な欲求がない=ノンセクシュアル。

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