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四苦(生老病死)をどう捌くか?

半月ほど前から、X(Twitter)でお見かけした哲学講義スペースにリスナーとして参加させていただいています。
主に週一で開催されていて、まだ二回しか聴講しておりません。が、得たものは多大で、まだまだ学びたいことがたくさんあるので、これからもお世話になると思います。

申し遅れましたが、滝澤優貴と申します。
私立大学で美学美術史を一年学び中退。その後は職を転々としています。
といいますのも、小学生のときに統合失調症を、高校生のときに解離性障害を患い、どちらもいまだに回復過程です。
正直なところ、統合失調症にいたっては治ると思っておりません。
患って18年になります。こんなことをいっては医学に携わる方々に申し訳ないのですが……当初より精神医学の世界で、統合失調症に関する研究の進捗は非常に牛歩のように感じられてなりません。
僕自身が平均寿命を迎えるころまでに、確実な発症原因が突き止められ、画期的な精神療法や薬物療法が発明されるとは、とうてい思えないのです。
なので、このブログは
「滝澤の統合失調症の完治はしない」
という前提で進めさせてください。笑

これはマイナスの意味ではありません。
むしろ逆に、
完治しない難治の病に罹患している人間が見ている世界とは?
という論題を立てる前置きでした。

仏教用語に「四苦八苦」という言葉があります。
日常的にこの四字熟語を使っている方もいるでしょう。
四苦、とは、生老病死のことです。
・生まれる場所を選ぶことはできない、
・老いることを止めることはできない、
・病に絶対にならないとは限らない、
・そして、やがて人は死ぬ。

人は、生まれ、老い、死ぬことに関しての苦しみは無意識の中で受け容れていると思います。
問題は、病めること。
肉体にも精神にも、いつ病魔が襲ってくるかわかりません。

宗教学で、世界に古来からある古代宗教は、信仰対象によっておおまかに4つに分けられます。
・アニミズム・・・動物、自然物、先祖などの「霊」
・多神教・・・さまざまな機能を持った「神々」
・一神教・・・独裁者である「唯一神」
・悟りの宗教・・・修行などにより「悟る」ことを目指す
日本の神道は多神教ですし、キリスト教は一神教です。
僕はほぼ無宗教の人間なのですが、学問と処世術の観点で着眼したいのは4つめに挙げた「悟り」を目指す、というものです。

結論からいってしまえば、
「病むことを受け容れるためには、悟りに近い境地を目的とする必要があるのでは?」
ということです。

……と、久しぶりのタイピングで少々疲れてきましたので、今回はこの辺で。
次の記事では「悟りに近い境地を目的とする」とは、「病むことを受け容れる」とは。この二点を深堀りしていけたらと思います。

今更ですが、一応これは自己紹介の記事のつもりで書いておりました。
脱線が激しいですね。精進いたします……!

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