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08.勇気ちひろとは「ランクマッチの適正がある者」である

最初にこちらを。まだ死にたくない。
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端を発したのはソロマス達成の記事からだが、随分前から、また同じAPEXプレイヤー、そうでなくとも何かしらランクマッチの沼にはまった経験のある方なら少しは考えたことだろうと推測する。

勇気ちひろとはランクマッチの適正がある者である


まず前提として、筆者はAPEXではなく、今は亡き神DCG「ドラゴンクエストライバルズ」のランクマッチから話を進めることをご了承願いたい。APEXランクは推しの配信を通してでしか知らず、プレイ経験もたった数十時間程度。ともすれば全てがコメデター発言。経験、知識不足で申し訳ない。

私と推しを引き合わせてくれた功労者でもある
「ちょもす」さんの
懐かしきライバルズアーカイブをここに

記事を進めるために説明は単純計算となるが、ライバルズの一戦は平均10~20分程度。Tire 1デッキでも勝率は約5.5割ほど。つまり上位プレイヤーでも三戦して二勝一敗で勝ち越せば上出来というもの。一勝をもぎ取るのに最低でも30分はかかる計算となる。

調子よく連戦連勝と上振れる日もあるだろうが、当然、負け越せばそれだけ注いだ労力も時間も全て水泡と帰す。比例して、メンタルも大きく削られることとなる。

どのゲームでも言えることだと思うが、要するにランクマッチとは、

時間
体力
精神
根性


の、上記五つの適正が必要になると考える。加えて、前提としてそのランク帯で勝ち越せる実力も必要となるのだから、eスポーツプロゲーマーなる言葉が誕生したのも納得だ。正にスポーツにおける自己鍛錬に同じ、ランクマッチとは修羅の道であり、同時に出口の見えない森でもあるといえよう。

閑話休題。それぞれを推し「勇気ちひろ」にフォーカスしていこう。



1.時間

配信が生業となる推しにとって、時間とはほとんど無限大だ。加えてショートスリーパーという適正もあるのだから、これに関してはある意味で「最強」と言い切ってしまえるレベルだろう。

たとえ彼女がVライバーとして活動せず、一社会人として働いていたにしても、十二分に適正はあったように思う。なんなら一睡もせずランクを駆けたのち、そのまま出社も日常な彼女の生活がありありと脳裏に浮かんでくる。

時間がなくとも勝ち続ける人はいるし、時間があっても負け続けてしまう人もいる。時間=リソースとはただの前提条件に過ぎないが、それでもランクに挑み続けるにあたり、重要かつ必要なものであることに変わりないだろう。



蛇足だが、ライバルズでも環境、及びそのメタの関係性はあった。当然、得意、環境覇権デッキを使い続け、より練度をあげたほうが良いのは言うまでもない。それでも勝率に限界はある。

そこで一つ、あえて不得意なデッキを使ってみる、という修練法がある。選択肢を広げるためではない。練度の低いデッキを相手にした時、「どういうムーブを仕掛けてくるのか」を知るためだ。そうすることで自分ではなく、「相手のムーブ」を知ることによって、逆算して自分の動きがより明白になったり、「ならばこうすれば相手が嫌がるな」というカウンターも知ることができる。

この辺は将棋を嗜む人間にとっては当然の知識なのだろう。そう考えると、太古から現在まで競技として生き続いている将棋ってマジで奥深い。これぞ原点にして頂点

APEXでのレジェンド操作、及び様々なプレイングでも同じだと考える。たとえ大会等では得意レジェンド操作、及びムーブしかしないにしても、実際に遊んでみて「各レジェンドの得手・不得手を体験しておく」ことは重要だ。それ一つでもレジェンド数を鑑みれば膨大な時間が必要となるのだが、その辺においてもやはり推しは強い。安置ムーブ含む全てにおいて経験則が武器となり、時に運が絡む部分でも周囲より一歩秀でているように見える。それもこれも今までのプレイ時間=経験あってこそ。適当にカジュアルを回す時間ですら、実は彼女のになっていることがよくわかる。

それだけ時間ありゃ誰でも強くなるだろ

なるほど。確かにそんな妬みが思わずこぼれるのも仕方ない。だからといって、彼女が憚れる理由には何一つならない。たとえ時間がなくとも上に行ける人もいれば、うまくはいかない人だっている。千差万別だ。

彼女はそんな罵詈雑言が飛び交う「時間」でさえも、けっして銃を投げ捨てたりはしなかった。痛みも悔しさも楽しみも喜びも、一切を力に変えて今なお戦場を駆け抜けている。戦い続けること。それも、真っ当に。ただ時間があるだけではない。勇気ちひろは時間を正しく扱えている。少なくとも私にはそんなふうに見える。



2.体力

いくら時間があったとして、それについて行く体力がなければお話にならない。本当にeスポーツとはよく言ったもので、たとえどれだけ有能な選手であっても、休息も挟まずずっと同じことを続けていられる人間はそういないだろう。

して、推しはどうだろう。その気になれば一日中=24時間APEXをプレイし続けていられる基礎体力がある。目の疲れなどもおよそ感じないとは本人のお言葉だ。

加えて、くどいようだが彼女はショートスリーパー。仮に身体のどこかに疲労が蓄積したとして、人より短い睡眠で回復できるのだから、もはや神から「ランクを回せ」と告げられているかのような体力の持ち主だ。

時間に同じ、これまたただの前提条件ではあるが、さりとてやはり重要かつ必要なものと言えよう。リソースはあればあるほどいい。さらに、推しはその両方の適正を普段の配信にですら充てられるのだから、ランクマッチ×ストリームのシナジーたるや半端なし。そのうえ声もキャラも抜群に良いって、どーなってんだ。化学反応がすごい。バイオ研究に回したら文明が進歩するレベルでは。



3.精神

ランクマッチを回せる時間も体力もある。準備は整った。

さぁ、やるぞ!

しかし現実とは無常でどれだけ頑張っても勝てない日はある。この日のために色々と準備をしたのに、試合という試合は負け越し。時間、労力と共にみるみる溶けていく勝利数、ポイント。自然、メンタルがやられるのも当然だろう。

正直に言って、推しもそこまで強靭な精神力を持ち合わせているわけではない。つらい時はつらいと正直にこぼす、とは別記事でも綴った通りだ。

しかし、驚くことに彼女はそれでもけっして銃を投げ捨てたりしない。どれだけの罵詈雑言を浴びようとも、ゴースティング、チーターに付き纏われようとも、遂にその心が折れてしまおうとも、あろうことか何度も何度でも表舞台に戻り、また戦場に繰り出しては武器を探して握る───その精神たるやおよそ尋常ではない

すでに何度でも記事、言葉にしたが、こんなの常人ならとっくにドロップアウトを選択するだろう。他に楽しい事はいくらでもあるのだから。

休止期間や、「調子が悪い」とキーマウをそっと置く日もなかったわけではない。それでもきっと、彼女の頭の中でランク、牽いては「APEXを止める」だなんて考えは一度もなかった。他者でもそう言い切れてしまえるぐらい、彼女は何度でもAPEXをプレイし、APEXへと帰ってくる。この精神を適正と言わずに何と言えようか。

私はライバルズのランクマをただの1シーズンで諦めた。それぐらい、敗北の連続に心が折れたのだ。

「私が弱いのは理解できる。とはいえ楽しむためのゲームなのに、どうしてこんなに苦しい思いをせねばならんのか。よしんば勝ち越せたとして、次シーズンもまた同じ苦行に自ら首を突っ込めと? 馬鹿馬鹿しい」

あるいは、推しにもそんな疑問がよぎる瞬間があったのかもしれない。この世に娯楽はごまんとある。なにも一つのゲームに固執する必要はない。苦しいとわかっているのに、自らそこに突っ込む人間なぞそういない。

だが、我々は今もAPEXという名の戦場を駆ける勇気ちひろの背中をまざまざと見せつけられている。圧倒的だ。彼女と同じことができる人間が、一体この世にどれくらいいるのだろう。

いや、いない。これは彼女にしかできないやり方、生き方だ。あまつさえその全てを配信に載せるのだから、精神力、配信体力も含め、やはり正気の沙汰ではない。およそ狂っている。

時に、推しの背中とは雄弁に物語る。もはや彼女の生き様そのものがAPEX、及びランクマッチに挑み続ける、という適正なのかもしれない。背中越しでは表情もわからない。それでも断言できる。その姿は美しい。他の誰よりも。


ちなみに、これはライバルズとは一切関係のないゲームの呟きなのだが、良い言葉だと思ったので掲載しておきたい。




4.根性

おいおいまさか2022にもなって
こんな言葉を持ち出してくるたぁ
時代錯誤も甚だしいんじゃあないか?


確かに。様々なパワハラ問題も未だ社会に蔓延しているこの世の中、「根性論」とは反面教師にこそすれ、今すぐ唾棄すべき言葉だろう。

しかし、根性とはすなわち己との戦い。他者に強要は論外といえど、自らにだけ当てはめるのであれば、時に必要な踏ん張りなのではなかろうか。

正直推しソロマス配信中の際、何度推しのキーマウを取り上げたい気持ちになったかわからない。「もう十分だ。ここで応援し続けるのはむしろ酷。時にきちんと止めてやることも推しに対する応援ではないのか」、とも。

この時の推し自身の心情は推しにしかわからない。理路整然とした考えも浮かばず、時にやけっぱちになって戦場に突っ込む推しの姿を見た時は、「いいから一旦止めよう」といった思いに駆られてしまったことも否定はできない。

しかし、人生とは時に、本当に「いつでも」ではなく、「時に、ほんの一瞬だけ」でも極大の無理をせねばならない瞬間が訪れるというものだ。

テロリストが学校に突入しました
でも廊下を走らないルールは守りましょう

はっ! 馬鹿げている。異常な状況が現実に訪れた際、我々もまた異常な対応をせねば対処しきれないのは明白だ。

されど親切心だけは忘れずに。他者に優しく、しかし時に己に厳しく。彼女の繊細な人間性の芯とは、そんな常に決して壊れることのない一本柱が屹立しているように見える。

ここ一番でその根性を振り絞ることができる人間とは、やはり強い人だと私は考える。たとえ結果が実らないにしても、「精一杯やった」という経験そのものが次に繋がるだろう。その繋がりをけっして絶やさず一本の線にし、手繰り寄せ、何度も何度も挫けては立ちあがってきた推しの背中が、やはり我々に雄弁に物語っている。


「誰になんと言われようとも、私は強い」



改めて、ソロマスター到達おめでとうございます




5.愛

なんじゃそら

と思う方もいると多いだろうが、冷静に考えてみてほしい。こんな苦行でしかないランクマッチをひたすら駆けるその精神性とは、もうこの言葉でし表現しきれないだろう。

APEXを愛し、愛されている

なによりも好きであること。その想いを抱き続け、今もその火は燻ぶらず燃え続けている。その彼女の人間性そのものが、やはり正しく適正と言えるだろう。

その青い炎は伝播していく。たとえAPEXがサービスを終了させようと、彼女が戦場から消えようとも、その炎はけっして消えることなく、いつまでもここに燃え続ける。一リスナーとして、その青い炎を灯し続けられることに少しでも力になれるなら、それ以上嬉しいことはない。



ほら、そう考えると何だか
推してみたくもなりません?




他にも考えれば、ランクマッチの適正とやらはいくらでもあるだろう。しかし、仮にそれら全てを兼ね備えたとして、やはり達成可能な実力を持ち合わせていなければ意味がない。現実とはいつでも厳しいものだ。

彼女とて、自分自身の実力を時に疑わざるをえないシーンもあっただろう。「私にその力はない」と、全てを投げだした瞬間もあったように見えた。

しかし、それでも彼女が諦めなかったのは───こんなことを言うのはおこがましいだろうが───我々リスナーの応援の声も少なからずあったからでは、と思う。同時に、支えてくれる沢山の友達や、ご家族の声だってあったのだと予想する。

たかがゲーム一つに大袈裟だが、最後に人を救うのは、そういった「仲間の声」なのだと思う。いささか論理的でなく、ともすれば目に見えないものを信じるだなんて馬鹿げているのかもしれない。それでも最後にものを言うのは、そういう筋の通った心意気のようなものなんだと私は信じたい。

初マスター到達記事でも述べたが、勇気ちひろ本人の確かな人徳がなければ、そういった声もつまらないノイズに掻き消されてしまっていただろう。とどのつまり、ランクマッチ、いやたとえ個人競技であれなんであれ、

支えてくれる人たち


がいる者こそ、真に適正、あるいは前に進み続けられる強い人なのかもしれない。

じゃあ私という人間厄介ガチ恋勢は一生弱いままなのか・・・ってやめよか今回ばかりは。紛いなりにも推しの背中を追い続けてここまできた。せめて推す前よりかは私も強くなった。そう信じたい。もうマスティフ一発じゃ4なんぞ! 二発なら4ぬから止めてくれ!







笑いてぇよなぁ

推しソロマス企画当時、花芽すみれことすーちゃんもまたソロマス配信を放送していた。すーちゃんとは「ちひろ組」でもある。

すーちゃんのソロマス配信最終日、上記のサムネとタイトルに私は強く心を打たれた。自分自身に宛てた言葉でもあるだろうが、これは間違いなく勇気ちひろにも宛てられた「応援の声」だろう。一言一句、今でもなお私も同じ気持ちだ。最後には笑いてェよなぁ

推しを支えてくれる人たちは大勢いる。その応援の声の欠片を見つけられたのはせいぜいこのぐらいだが、きっと直接届けずとも声を出していた人たちはきっと沢山いたのだと思う。

これからも彼女は戦場に立つ。しかし、一人ではない。三人でもない。そこには数え切れないほどの声がある。声がいる

もうなにも恐れることはない。正々堂々、胸を張ってやりたいことをやればいい。たとえ倒れるようなことがあったとしても、ありとあらゆる方向から貴方は支えらえるはず。後ろなんて振り返ることなく、どこまでもその美しい背中を見せ続けてください。青い炎を掲げながら、どこまでも追いかけます。いつか振り返る時があるのなら、その時はどうか笑顔で。




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