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ぶいすぽ文化体育祭「定点配信」には愛しかなかった

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初めに

本記事もまた、私の推し活とは直接関係はない。しかし、定点配信を流し見しているうちどうしても言葉が溢れてきたので、駄文をしたためた次第。本当に、そこには愛しかなかった


去る10/31より、こんなイベントが開催された。


イベント名通り「文化祭」「体育祭」を一つにし、元は本当に学校として稼働されていた小学校を舞台にした、ぶいすぽ初の単独オフラインイベントとなる。

そのイベントにて、公式chから連日配信されているのが「会場定点配信」である。

私も時間が合った際は何となく垂れ流しで鑑賞していた。といっても、どちらかといえば目的は各「イベント無料パート」のほうであり、定点カメラからの配信そのものに関しては特に注目はしていなかった。

しかし、これが中々どうして、いつの間にか目の離せない自分がいた。

我が推し「勇気ちひろ」を通してぶいすぽのメンバーはある程度把握しているし、最近はDQ11配信が面白い一ノ瀬うるはさんから、V最協VALO開催決定にて次第に他メンバー等の鑑賞時間も伸びはしたが、正直に言えば、特に熱心なファンではない。

では、なぜそんな人間がメインコンテンツでもあるオフイベントそのものでなく、ましてやイベント無料パートでもない、ただの「定点配信」に心動かされたのか。イベントそのものにもフォーカスしつつ、言葉にしてみたい。




「定点配信が一つのコンテンツに」

元々は運営サイドもそこまで重要視していなかったのか、確か配信初日、来訪者はコメント確認できるモニター等が用意されていなかったように思う(勘違いであればすみません)

また来場者も定点カメラがあることにすら気づかず、基本的にはただ目の前を通り過ぎていくのみ。リスナーの我々としても、ただ何となくイベントの雰囲気を味わえるような、その程度のものだった。

しかし、次第にカメラの存在に気付き始め、またリスナーも映る者に対しコメントを返すのち、少しずつ定点配信は一つのコンテンツへと進化していく。

二日目からはコメント確認用モニターも用意され(運営の迅速かつ深い配慮もまた素晴らしい)、映る者も即時にコメントを確認できるようになった。会場内には様々な施設、催しが用意されているにも関わらず、定点に映る者は後を絶たなくなり、最終的にはほとんどの場合映り待ちの列が出来上がっていた。

何よりも極めつけは、「ぶいすぽメンバーが直接コメントをする」という、リスナーにとっては何事にも代えがたいファンサが発生したことだろう。

そもそもがこういったイベントの際、メンバーもまたイベント準備のため即時に反応できないことも多い。反応できたとして、すべてのファンに対応はできず、どうしても格差は生まれてしまう。なら、初めから平等にファンサはしない、が暗黙のルールとなっていることが多いように予想する。

つまりこれは、「ぶいすぽ」という規模だからこそ成立した、およそ奇跡のバランスなのではないか。そう考えてみたい。

大きな会場ではここまでコンパクトな定点カメラは用意できないだろうし、用意できたとして管理も大変だろう。そもそも定点すらない会場のほうが多いはず。こうやって抽選に外れた者や、普段は配信というコンテンツ柄、リスナーに向けて自宅でも楽しめるものを用意してくれたこと自体、運営からの深い配慮が感じられる。

私は「ぶいすぽ」という箱についてあまり深い知識はないが、ぶっちゃけ、メンバーを増やそうと思えば幾らでも増やせるくらい、この箱に入りたい活動者は多くいると想像する。

対して、ぶいすぽの歩みは実にゆっくり。大きくさせること自体、あまり興味がないようにすら感じられる。「自分たちの手の届く範囲で、かつ自由に、やりたいことにいつでもチャレンジできる」、そんな気風を、何となく私は感じている。

私はそんな、あくまで資本主義には乗っからない、所謂インディーな歩み方に、とても好意を抱いている。だからこそ、今回のような「学校が舞台」という、キャパシティ的にも大きいのか小さいのか、非常に難しい絶妙なサイズのイベントを成立させることができたのではないか。そう考える。

話が横道に逸れてしまったが、定点配信とは、来場者の推しに対する愛は当然、それを受け止める運営やリスナー、何よりも、ぶいすぽメンバーそのものによって形成された、奇跡のバランス、愛でしか成立できないもの。そう思う。

これを感動せずして一体何が推し活か。推しは違えど、好きなものに対する想いは同じ。私は好きなものに真っすぐな人が好きだ。好きなんだろ? 躊躇ってどうする。

一分一秒でも早く、1cm1mmでも大きな愛を表現する、ということ。スパチャでもSNSでもない、デジタル上では表現できないリアルLOVE。そんな推しへの愛が、この定点配信からは溢れんばかりに観測できる。






「「文化体育祭」というコンセプト」

そもそも、まずこのコンセプト自体が大変素晴らしい。いやほんと、シンプルでいてわくわくさせられる。だって、実際に経営されていた小学校で推し活できるんだぜ? ただ立ち入るだけでも面白いっていうのに。

現行も学生のファンにとっては「推し活でも学校かぁ・・・」といった複雑な想いもあるかもしれないが(そもそも未成年は入れないかも?)、それでも各種出店や、各教室内での遊戯、体育館やグラウンドを絡めたイベント・・・どれもこれも、ありそうでなかったオフラインイベントではなかろうか(あるいは、筆者が知らないだけですでにそこかしこで開催されてもいそうだが)

そもそも、主役であるメンバーは全員オンライン参加で、会場のどこかに潜んでいるわけではない。同じ空気を吸えるわけではないのだ。なんなら、メンバーではなく参加者が玉入れや長縄跳び、綱引きをする始末。しかし、どうだろう。推しは違えどみな仲間。昨日今日出会った人と息を合わせて一つの物事に挑む、その高揚感。もはや、ぶいすぽなんて関係なく楽しそうではないか。いやさすがにそれは言い過ぎ?

また、そのコンセプトにマッチしたグッズ展開もお見事。各メンバーの体操着姿を模したものは当然、たとえば「学生証」といったグッズは、ただ単に公式が無味乾燥にリリースされたもの購入するより、はるかに違った意味合いを持たせるようになる。「思い出フォトスタンド」なんて、もはや「メンバーと私は同じ学校で同じ想い出を作ったのでは?」なんて錯覚させるほど。次のオフイベは制服Verで作りません?
(筆者はあまりグッズに興味がないタイプの人。ほぼ想像で書いてます)

何よりも強く推したいのが「Tシャツ・ジャージ」だ。価格はそれぞれ4000円、7500円とけして安くはないが、この定点配信を観たものならば、思わず手に取りたくなった者も多いだろう。実際最初に映った際は着用していなかった来場者が、次に映る時は推し色のジャージを着て現れた、なんてことも。

似たような色もあるためやや判別が難しいものの(この辺は筆者がぶいすぽビギナーでもあると思うが)、推し色一目で「あいつは仲間だ!」とわかるのも、こういったオフイベでは大きいポイントだろう。実際、誰かと交流したいがために赴く者も少なくないように思う。ともすれば、私服来場者は同担拒否? それもまた推し活。愛であることに変わりなし。

少しやらしい話となるが、運営は本当に商売上手だと思う。ぶいすぽにそこまで熱い想いはなく、ともすれば完全インドア派な私ですらも、「4000? 7500? ええやんこうとこかな」と思わせるぐらいだ。ただグッズをリリースするより、コンセプトとイベントの合わせ技で繰り出すほうが、よほど効果的だろう。

また、DIYたっぷりな装飾にも忘れず触れておきたい。

上記会場探索配信や定点配信からも映し出されるが、この、まるで運営もうっきうきで製作したであろう飾りつけが、そこはかとなく「イベントは私たちが一からすべて作り上げました」感があり、なんだかとても暖かいのだ。

カメラに対しアピールする来場者をわざわざアップで映したり、忙しなく働く中の全員ではないものの時折そのカメラを横切るスタッフもまた笑顔だったり、突如として「揚げたてですよー!!」と大声で出店アピールしたり。本当に、この空間には愛しかない

規模の大きいイベントは派手こそすれ、そういったデティールの部分では粗も必然的に目立ってしまうもの。まさに、神は細部に宿る。これもまた「ぶいすぽ」という運営が練り上げ、絶妙な規模のイベントだからこそ成しえることのできる、およそ奇跡的なバランスの成せる技なのだろう。





「すべてが愛で成立する」

定点配信のカメラは三つあるが、入場者なら基本的に誰でも立ち入ることができるエリア(のはず)にある。すべてにマイク機能があり、音声も拾うことができる。

ともすれば、放送事故の可能性も否定できない。近場にスタッフがいる箇所にしかないとはいえ、たとえば急に放送禁止用語が飛び出したり等、たとえ故意でなくとも、生配信という観点において問題が発生する可能性はなにもゼロではない。

しかし、あろうことかこの定点配信において、そのような問題シーンがあった瞬間は、少なくとも私が観た限りではただの一秒もない。民度がいいにもほどがある。

確かにそこに映る者たちとは、厳しい抽選の結果当選し、けっして安くない入場料を支払って赴いた、いわば選ばれた精鋭でしかない。みながみな、ファンの中でも特に熱意のある者たちだろう。そんな選ばれし者たちが定点カメラに対し、およそイベントを汚すような真似はしないことは想像に易い。

時に行列のできる中何度もカメラに映りこんだり、推しへの想いを爆発させるがあまり大声で叫び出す者もいた。また、カメラに向かってスマホ越しに自らのアカウントを大胆に晒す人もちらほら。

とはいえ、ある程度はイベントそのものが来場者のを上昇させていることに間違いなく。推し活、なる用語も世間一般に相当浸透しつつあるが、なればこそ推す相手も多種多様。そうおいそれと公言はできず、日々想いを募らせては、いつかどこかで炸裂させたい!とせん来場者も、そこには少なからずいたのでは、と推察す。

限界化上等好きには真っすぐ!、な推し活者もいれば、あくまで奥ゆかしい推し活をする者も会場にはいた。たとえば、カメラには音声も乗るのだが、それでも頑なにスマホ等のメッセージボードで愛を伝えんとする者も多くいた。この、どこか控えめで慎ましやかな推し活をする者もまた、個人的に愛を感じた瞬間だ。なんだか、とても大切なぬいぐるみを両手で抱きしめているかのような、そんな慈しみのようなものを感じ取ることができる。

大きさ、形、表現方法、etc…この世には様々な「好き」という想いがある。時に、意見の食い違いから争いに発展してしまう瞬間もあるのかもしれない。しかし、少なくともこの会場には、そんな瞬間はなかった。そう思える。それもまた、やはり愛でしかないだろう。





終わりに

我が推し「勇気ちひろ」はにじさんじ所属だが、推し始め当初からすでに多くの所属ライバーがおり、そもそも推し活も「やりたい!」というよりかは、「やってみよう」といったところで、それは今なおチャレンジ中の立場ではある。

要するに私は、イベントごとにあまり興味はない。本記事だけ見るとそうでもなさそうだが、所謂厄介リスナーであり、推し当人に対しても、ままとげのある言葉を一方的に投げつけている。ほとんど害悪ファンである。120万の準備もできています。なんならまだ出せます。

故に、私の推し活はあくまで1v1。誰かと一緒に、だなんて恐れ多く、また相手からしても「誰がこんなやつと」といったところだろう。交流も目的にはなく、ともすれば、イベントごとだなんて存在するだけで場を濁す厄介者。そんな空間に自ら足を運びたいだなんて毛頭思わず。

そんな私でも、「独りは楽しいか」と問われれば真っすぐに頷けないものまた事実。ただ、私は人の形をした失敗例。両親の老衰も著しく、ともすれば親の死を看取ったところで、いよいよ私の生きる意味もそう多くはなくなるのだろう。いつか記事で言葉にしたような気がするが、もう充分に楽しんだ。この先に何があるかはわからないが、いつ死んでもいい。そう考えながら今もなんとなく生きて、投げられた賽が止まらないように、ただなんとなく推し活を続けている。

しかし、もし私と同じような孤独に苛まれる人間が、こんなインターネットの最果てにあるかのような記事の、こんな末端まで閲覧してくださっているのであれば、迷うことはありません、次のぶいすぽオフイベに参加しましょう

できれば誰推しか一目でわかる格好で、なんなら服屋やら美容院なんか行ってちょっとおめかしでもして。いきなりグループに飛び込むもよし。一人佇む者にそっと「~が好きなんですか? 私もです」と声をかけるもよし。なんなら「あの子ちょっと可愛いな」と下心全開で近づくのもまた悪くない。

大丈夫。少なくとも貴方が「ぶいすぽ」のファンであるならば、それは達成される。少しでも迷いがあるのなら、アーカイブでもいい。この定点配信を観てほしい。答えはすべてそこにある。

ネットだけの交流でも、あるいは孤独の傷は癒せるのかもしれない。しかし、それでは本当のぬくもりには触れられない。人が人に触れたいと思うことを特に神聖視する必要はなく、また求めることを恥じる必要もない。

本当に、まったくもってぶいすぽファンは素晴らしい人たちばかりだ。そんな素晴らしい方々と、ともに好きなもので語り合える場があるのなら。愛でしか成しえない空間に、今度は貴方の愛もそっと持ち寄ってみてはどうだろう。きっと、誰かが暖かく出迎えてくれるだろう。

だってそこには、愛しかないのだから。












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