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対等って200色あんねん


・はじめに

 これを書き始めたのは「BLコンテンツに親しんでいる女性に対するアンケート」なるものがお出しされてバチクソに叩かれてたあたりの時期なんだけど、書くのが遅くなって結局お蔵入りさせてしまっていた。

 んで今(2023年8月10日現在)は左右非固定CPのプチオンリーイベントの開催と、それに付随しての「『一部の』左右非固定派やリバ派、推しCP語りにジェンダーとかポリコレとか絡めたうえで更に固定CPやそれを好む層をうっすらdisりがち問題」がホットな話題となっている。わかりやすい例を出すと「リバは攻めも受けも対等(固定CPはそうではない)」みたいなやつである。

 前置きが長くなったけど、いい機会なので、こういうときに使われがちな「対等」というワードに対してのひとりの固定派腐女子としてのお気持ちを書いていく。
(件のBLアンケート問題とか左右非固定がどうのとかについて意見を述べる記事ではありません。予めご了承ください)
(そこそこ長いかな?と思ったので、最後の項目に要点だけ箇条書きにしてあります)

・リバカップリングと結びつく「対等」という言葉の含む意味

 そもそもBLにおいて「対等」というワードは、同軸・別軸問わずリバのカップリングを好む人種が、そのカップリングに対してポジティブな意味合いで使っている。

 リバCPであると解釈された二人は、いわゆる本番行為を伴う性行為において男性的役割である挿入する側・女性的役割である挿入される側の役割を双方ともに負うことになる。この「挿入するという男性的役割を持つ機会が攻めと受けで均等になるため対等である」というのがリバCPにおける「対等」の意味のひとつであると思われる。そしてこれは「受けも男だったら挿入したい(攻めに回りたい)はず」という旨の言葉が「対等」というワードをポジティブに使う層から頻出する事象と繋がっている。

・左右相手ともに固定のカップリングは対等なのか?

 一方、固定派は好きな左右相手固定のカップリング(以下固定CPと称する)に対してポジティブに言及するときに「対等」というワードはあまり使わない傾向にある(少なくとも私はそう)。

 そもそも攻めと受けの性行為時の役割はどうしても異なった状態で固定されているため、上で書いた「同等の負担を二人で分かち合う」というのを「対等」の定義とした場合、どうしても固定CPはそれには当てはまらない。

 こう書くと固定CPでは攻めと受けは対等ではないように感じられるかもしれないが、そんなことは絶対にない。

 固定CPは確かにリバCPにおいて使われる「対等」の定義には当てはまらないが、固定派は固定派で各々対等の基準を持っていて、その基準に基づいて攻めと受けの関係性を対等だと判定することはままあることなのだ。ただその基準がマジで多岐に渡りすぎているので(社会的立場が同等、互いを尊重している、互いに支え合っている、互いの実力を認め合っている等々)、「対等」という一言に押し込めることなく「こういう攻めと受けの関係性っていいよね」とそのまま萌え要素として出力しているだけなのだと個人的には思っている。

・「対等」というワードを聞いて身構える固定派

 リバCPへの褒め言葉に「対等」が使われているとちょっと身構えてしまう固定派の腐女子は少なくない数いる。というか私がそうである。

 なぜ身構えてしまうかというと、「対等」という言葉を用いてリバCPを称揚するのと同時に「固定CPはリバCPと違って対等な関係じゃない、差別的」という旨のdisり方をしてくる不届き者が定期的に現れてくるからである。

 固定派からしたら自CPのあれが好きとかこれが萌えるみたいな話で楽しんでたところに「リバこそ攻めも受けも対等で先進的で、固定CPは差別的」とイチャモンを付けられて、しかもその先進的、差別的の物差しがリバ基準の「対等」なので、本当にたまったものではない。「好きではない」とか「萌えない」とかはノットフォーミーというだけなので流せる人の方が多いだろうが、「差別的」はどう好意的に解釈しても悪口寄りの概念なので、言われた側は反感を持って当然だ。

 恐らくそういうイチャモンの根底には「自分たちの推しCPが最も優れているんだ」という気持ちがあるんだろうけど、腐女子のみならず、CP厨なら皆同じような気持ちを持っている。推しCPや推しコンテンツが先進的かどうかにこだわりがちな人種は「価値観のアップデート」という言葉が好きだが、価値観のアップデートがどうのこうの言う前に、この既存の価値観をきちんと理解する方が先ではないだろうか?

・自CP肯定感を……高めよう!

 「自分と他人を比べてしまうのは自己肯定感の低さが原因のひとつにある」というのはよく言われるけど、個人的には、自分の推しCPと他人が推しているCPを比べてしまうのも同じような機序で発生しているように思う。

 要は自分の推しCPやそれを推していることに自信が持てないから、他所のCPと比べて「自分の推しCPはあっちのCPより優れているぞ」と安心する……みたいな感じである。

 これ自体は別にリバ派だけに限った話ではなく、固定派でも逆や攻め違い・受け違いのCPを指して「あっちのCPより燃料が多い」とか「投稿件数が多い」とか比較して優位に立とうとすることは普通にある。それをリバ派が固定派に対して行う場合に「対等」というワードが使われがちというのは先程も少し書いた。

 この場合に使われがちな「対等」の基準とはリバ・非固定派目線での評価基準であり、その土俵に上がっても固定派が優位に立つことはまず無理だろう。逆にリバ・非固定派にとっては、その土俵を展開して固定派や固定CPを比較して貶すだけで推しCPの優位性をいくらでも味わえるし、「自分たちは先進的な思想を持っている」という自己満足にも浸ることができる。誰かを一方的にボコれるという意味では、対戦ゲームでの初心者狩りに近い快感があるんだと思う。

 この場合に固定派が取れる最善手は、「そもそもリバ派の展開した土俵に乗らない」ということに尽きる。固定派が律儀にリバ派の土俵に上がって、色々なやりとりを経たとしてもリバ派に「確かに固定CPも対等な関係性ですね」と認めさせることはほぼ不可能だし、仮に認めさせることができたところで何の足しにもならず、徒労にしかならない。好きなおやつでも食べてたほうがよっぽど有意義だ。

 そもそもの話として、好きなCPを推すのはそのCPを他人に認めさせれば勝ちというものではなく、先進的でなくとも対等でなくとも、胸を張ってそのCPを好きでいることの方が重要だろう。これは自己肯定感ならぬ、自CP肯定感とでも呼べばいいだろうか。もちろん推しCPを他人に認めさせることをモチベーションで同人活動をやってる人もいるだろうけど、そういったケースにおいても、推しCPを推していることに対して堂々としていることはとても大切なことであると思う。

 上の方でも書いたけど、何を以て対等な関係性だとするかの基準なんて十人十色なのが普通だし、更に言ってしまうと、別に必ずしも左右が対等なCPを推す必要はない。各自で各自のヘキと、二次創作の場合は諸々の論拠に従って推しCPを堪能するのが健全な在り方であると私は考えている。

 なのでこう、「リバは対等で先進的だけど固定CPは対等でないから差別的」みたいな発言とか、固定派は「うわ出たwウケるww」くらいの温度で流すのが一番平和的なんじゃないかと思われる。というか、大切な推しCPをdisろうとしてくる手合に構う時間があったら、推しCPの魅力について考えたり発信するほうが精神衛生上ずっと良いだろう。

・結論とかまとめとか

 長々書いてしまったので、要点だけ箇条書きにする。
・「対等」って一口に言っても判断基準は沢山あるし、固定だから対等でないということはない
・そもそも対等でないから駄目ということもない
『一部の』リバ派の言う「リバは対等で先進的だけど固定は対等でない」みたいな言葉は真に受けるだけ時間の無駄。スルーが吉
・他所のCPを引き合いに出して自CPを褒める行為を繰り返す人は自CP肯定感不足の可能性がある
・各自、自分の推しCPには胸を張るべし

 こうして書いてみると至極当たり前のことばっかり書いてあるけど、心に余裕がないとそんな当たり前のことすら忘れてしまうから、難儀だなと思う。そしてやはり、相容れないCP観を持っている相手とは相互不可侵を保つのが互いにとってベターなんだというのを、この記事を書いていて改めて感じた。

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