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AB左右相手固定派は「ABしか読めない」し「ABしか読まない」

追記:これを書いている間に先駆者がもっと切実でわかりやすい文章を書いていた。
https://donimonaranai.hatenablog.com/entry/2022/04/10/065413
ちょっと迷ったけど、「こういう文章はナンボあってもいいですからね」の気持ちに従って公開することにした。


 タイトルが進次郎構文っぽくなってしまったが、今回はそういう話をする。

 AB左右相手ともに固定派の腐女子が読めるものは「AB」だけであり、相手違い・逆・リバは読めないし読まない。ここまではこうしてわざわざ書かなくてもおわかりいただいていると思う。
 そして今話題になっているのは「ABでもBAでも読める、左右が決まっていないものは読めるのか?」という問いである。答えとしては、こちらも「読めない」し「読まない」。

 では、なぜBAでも読めるけどABでも読めそうなものを固定派は読まないのか。その理由は色々あるが、今回は「限られた可処分時間を、地雷を含むかもしれないものに費やしたくないから」を挙げたい。他にもAB固定の作品や他の娯楽がある以上、単一固定派にとって左右不定・未定の作品へ費やす時間はない。

 固定派がそう言うと、「どうして左右未定・不定が地雷なの?」とより掘り下げて聞かれたりする。聞く側からしたら「そこを改善したら読んでくれるかもしれない」という淡い期待があるのかもしれないが、AB単一固定からしたらAとBの絡むCPはAB以外生理的に無理なのである。なので改善するのは不可能だということを知ってほしい。固定側としても、生理的に無理なものはなんとか自衛していくしかないのだ。

 同人活動はコミュニケーション手段としての側面もあるので、非固定側が固定派の自衛によって作品を見てもらえずに疎外感を覚えてしまうこと自体はわかる。しかし、相手からコミュニケーションを拒否されたら、すんなり引くのが大人の振る舞いというものなのではないかな、と個人的には思う。「あの人が仲良くしてくれない!」ってぴえんして許されるのはせいぜい小学校低学年くらいまでじゃないだろうか。

 正直、固定派に絡もうとする非固定派は「自分から固定派に絡んでおいて、拒絶されたら被害者アピールをする」というムーブをほぼ確実にするので、作品云々じゃなくてそういうところも疎まれているということを知っておいてほしい。

 というか、被害者アピールをする非固定側は固定派側を「不寛容」「攻撃的」「時代遅れ」「差別的、排他的」「包丁を向けてこないでほしい」などと形容するけど、なんでそこまで悪く言う相手に自分の作品を読んでほしかったりコミュニケーションを取りたいと思うのだろうか。加えてこの手の人たちは口癖のように「対話したい」と言うが、本当に対話する気あんの?と思ってしまう。対話したいなら、それなりの礼儀ってものがあるんじゃないだろうか。

 繰り返しになるが、AB単一固定派はAとBの絡む作品をAB以外読めないし読まない。いくら頭が固いとか排他的とか言われてもこれは曲げられないし、それを曲げてまで非固定派の作品を読むことはほぼ確実にない。しかしそれは、非固定派やその作品の存在を否定するものでは決してない。同人は同好の士と楽しむものであり、AB単一固定派と非固定派は「AとBが絡むCPにおいては同好の士ではない」というだけである。そこに抑圧とかの意味を見出してしまうから生きづらくなってしまうのではないかな、と個人的には思う。

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