飯を食う

年末も近くなり、こんな私でも人と会食することが多くなってきて、ご飯を食べる、ということについてぼんやり考えたりした。
少し前まではなにか食べるとすぐに気持ち悪くなって、最悪吐いたりお腹を下していたものの、忙しさの所為というのかおかげというのか、強制的に食べる回数自体が減っていたため内臓が休めたのか少し調子が良くなって、この頃はそんな時期が嘘のようにもりもりと食べたりしている。

月曜日は中華料理を目いっぱい、火曜日は日本料理の懐石に水曜日はビーフシチューにクリスマスケーキを食べた。木曜日にはフィレステーキと鶏肉も食べたしパエリアも食べてシャンパンも飲んだし、やっぱりクリスマスケーキを食べた。金曜日は伊勢うどん、土曜日はパスタを食べて、今日は焼肉を少しと辛い鍋を食べた。デザートはアップルパイとコーヒー。

一週間にこんなにもいろいろなものを食べて、飲んでいることを考えると、食べると言う行為は、生命維持の役割も果たしているし、生命維持以上の、何かをつかさどっている。その何かが何なのかは、なんとなくしか言葉にならないので、もう少し考えてから答えを出したい。

色んなものを色んな人と食べ、色んな話をしたり時に沈黙したりして、ただただ、生きるということを実感した。物を食べ、誰かと笑うと、生きていたのだと思う。感じる。それだけで、目いっぱいになる。こんなこと、今まで、思いもしなかったのに。どうしてだろうか、たくさん食べてたくさん笑ったあと、眠る前に、なんとなく、本当に少しだけ、泣きたくなってしまう。
おいしいものはおいしいし、まずいものはまずい。イマイチなものはイマイチだし、絶妙なものは絶妙である。舌で感じて胃を膨らませて、脳がしびれる。それを誰かと、分かち合う。言葉も、雰囲気も、味も、全部。その経験は、いつだって新鮮で、楽しくて、唯一なのだろうと思う。食べることは、やっぱり偉大だ。とても、好きだ。

どうでもいいが、ご飯を食べる、よりも、飯を食う、と、少しぶっきらぼうに言った方がおいしそうに思えるのはなんでだろう。ちまちま食べるより、大皿料理を分け合ってがつがつ食うのが好きだ。そんな飯を、食いたい。