男女男と女男女

今日、仕事で書類の束を大きいクリップで止めたかったのだが、大きいクリップをまず広げるほどの握力がない。ガタイはいいのに握力がないので、散々バカにされてきたのだけれど、書類を束ねられないのは困るので、男の先輩に「すいません、私握力ないんで、クリップ開いてもらえます?」と頼んだら、「え、握力いくつなの?」と聞かれたので、屈辱的だと思いつつ「19です」と言うと、彼はがはは、と豪快に笑って「なんて女子みたいなことを!」と言った。周りにいた他の同僚もがはは、と笑って、私もげへへ、と笑った。でも、笑ったあとに、「いや、私女子ですよ」というと、「あ、ごめん」と先輩が真顔で言いながら、クリップを開いてくれたので、私は130枚の書類を無事に束ねることができました。これで明日の仕事は滞りない。

「私、女子ですよ」と反抗はしてみても、「女子」という言葉の枠組みに自分を入れることはとても不思議で、それは「女子」という性別に自分が非常にコンプレックスと偏見を抱いているからだ。でも、それは同様に「男子」という性別にも非常にコンプレックスと偏見を抱いてる。ので、男子、とか、女子、とかいう枠組みがとても不気味に思える。そして、誰かを嫌いになるときも、私はその人の「その人」を見ていると言うよりも、その人が当てはまる「男子」とか「女子」を嫌いになる。「女子」とか「男子」とかに当てはまるその人を嫌いになってしまう。とはいえ、自分が、では「女子」か「男子」かというと、胸はあるし、下には何もついていないので「女」に分類されたとしても「女子」にカテゴライズされるかというとちょっと、やっぱり、解せないのであって、では「女子」とか「男子」というからいけないのかというと、でも、そうでもなくて、「男」とか「女」とかという性別がいけ好かない。んだと思う。

でも、私は「男子」とか「女子」とかに人をカテゴライズするのが好きだ。コンプレックスを持っているからこそ余計に気になってきて、どんどん深みにはまる。「男子」も「女子」も嫌いだけど、同じぐらい愛しく感じる。上から目線ですが。そして男女男よりも、女男女の方が好きだな、ということで今日は幕を閉じます。