誰かの劇場

自分の人生の主人公は自分だ、などと陳腐なセリフがあるけれど、嘘だよなと思ってしまう。いつまでもずっと脇役の人生だってある。自分の人生は自分のものだけだが、主人公はもっと別のところにいる。ような気がする。自分の人生を侵食されているような、自分の人生はいつもセピア色のような。

主人公然としている人は、きっと、誰の人生でもきっと主人公になるのだ。自分とは違う。セピア色の中で、カラフルな色でいる人こそ、主人公だ。

そう思うと、毎日が茶番劇の繰り返しに思えてくる。自分は主人公ではないのに、そうであろうと、真面目に生きようとして、けれど、本当の主人公がすべての台詞を披露したら、終りだ。そこで気づく。私の役目は村人Aであって、村を救う勇者ではないこと。それに気づいているのに、同じ台詞を何度も繰り返す私。

仕事で気丈に振舞ったり、友人とご飯を食べる時のくだらない話とか、本を読んだり雑誌を見たりしている時間。

茶番劇でない時間はどれぐらいあるだろうか。

私が村人Aとしてではなく、私、として、出演できているどこかの誰かの劇場は、あるだろうか。