言葉の居場所

たまに何をしていても心ここにあらずだなあ、と、自分で自分を振り返ったりするのだけれど、そういうときは本当に、どこにいてもしっくりこない。何を話しても誰と会ってもどんな仕事をしても、すべてのことが頭や胸や指からすり抜けて行ってしまうようで、焦るのに、焦りすら、どこかに飛んでいく。私はそれを、目で追う。じっと、回転イスに座っているだけだ。

そういうときは、すこん、と、自分が収まる場所がほしいのだと思う。自分の感情や色や、そして言葉が、すこん、と、収まる場所が。

私の言葉は誰のもとへ届くのか、とか、私の言葉は私の思いを形にしただろうか、とか、そんなことを、考えるのはちょっとつらい。それに、私じゃない誰かの言葉を、私は受け止められないときがある。それも、ちょっとつらい。

文章を書くのが好きだし、読むのも好きだ。誰かと生きるのは好きだし、古き良き生活を送りたいと思う。誰もが泣かない世界が良いと思うし、争いはないのがよいと思うけど、悲しい物語だって好きだ。美しいものも好きだし、醜いものも好きだ。とりとめのないことを、二、三の単純な思いに任せて吐きだして、そうして生まれた私の言葉にも、私じゃない誰かの言葉にも、すこん、と収まる場所があればいい。

あればいいのだがなあ。