ほんとうのことをいって

体が右に傾いている気がする。政治的思想ではなくて、物理的な方向において。でも、本当は大体、左に首とか重心が傾いていることが多い。でも、右に傾いている、と、言ってしまう。この間も、風呂場に入った瞬間に、右に傾いてるな、と思いながら左に傾いて倒れそうになった。立ちくらみとかではなくて、座っていてもそうなることがある。
そうして、そういうときっていうのは、大抵、自分にとってほんとうのことがよくわからないときだと思う。ぼんやりしている、というよりも、思考がとまりすぎていて、体にも影響が出ている。ような気がする。だけであって、実際に私の体自体がやっぱり右ないし左に傾いているのかもしれない。歪みは、心でも体でも起こる。そういう、ありふれたことなのだな。

ほんとうのこと、というのは、簡単なのだけど難しい。ほんとうのことは考えてしまったら出てこないように思っていて、でも、考えなければほんとうのことは見えてこない。心のなすがまま、私の私が好きなまま、は、きっとほんとうのことかもしれないけれど、誰かから見たら、私のほんとうは、にせものなのかもしれない。だって私も、だれかのほんとうを憎んだり認めなかったりにせものだって貶すことがあるから。
ほんとうのことを考えて、感じて、好きでいたい。ほんとうのことを美しいことばにしてのこしたい。でも、そんなふうに思う私はほんとうじゃないかもしれない。どうでもいい、と、いうのも、ほんとうだし、どうでもよくない、というのも、ほんとうだ。
小説を書きたいとおもうのもほんとうだし、誰かと一緒にいたいと思うのもほんとうだし、やさしくされたいのもほんとうだ。でも、小説はもう書けないのもほんとうだし、誰のことだって好きになれないのもほんとうだし、やさしくできないのもほんとうだ。いろんなほんとうは溢れていて、私にとってのにせものは、私にはないのだけど、ほんとうがあふれすぎていて、ほんとうとほんとうを比べると、もんなんだかわかんなくなる。にせものとほんとうを比べるのはたやすいのに。でも、にせものとほんとうをくらべたところでほんとうにほんとうをとるかは、わからないんだけどね。君は、わかる?

なんて思うと、寝転がっていても右に傾いている気がして、ほんとうは、左に傾いて転がったりしているんだよね。