そばにいてくれないのなら

どうしてこんなにも、誰かと生きていくことは難しいのだろう。はたと気づく夜がある。星が美しい夜、私しか呼吸をしていない夜、雨がわらう夜、すべてが語りかけてくる。

たまに思い出すというのか、気づくときがあるというのか、自分以外の人が生きていて、自分以外の人が何かを考えて生きているということが怖い。そしてそんなことを考えだすと、自分も何を考えているのかということがわからなくなって途方に暮れる。茫然自失というのか、たまに思い出したように心臓の動悸で自分の存在を思い知る。
どうして、辛いと感じるのだろう。幸せなはずだ。優しい家族、思いやりのある同僚、おおらかな恋人。幸せで不足ない。
でも、それでも、自分ではない誰かと、すべてを共有することは不可能だ。自分が感じるように相手が感じるわけではないし、自分が思うように相手が動くわけでもない。その逆もそうだというのに、でも、そのことがひどく悲しい夜が訪れる。分かり合えないことが悲しいのか、分かり合えない果てに去られてしまうのが怖いのか、自分でもつかみようがない絶望感だけが心の底にゆらゆらと揺蕩っている。

そばにいてくれないのなら、と、思う。そばにいてくれないのなら、優しいことばなどかけないでほしい。放っておかないとか、あなたのことは大事ですとか、そんな、そんな言葉がほしいわけではないのだ。そんな言葉をもらったら、私はまた誰かと生きていけるのかもしれないと期待をしてしまう。そのたびにまた打ち砕かれ、自暴自棄になり、やさしい他人たちを傷つける。私をこれ以上、そんな醜い獣に貶めないでくれ。

そばにいてくれないのなら、そばにいられないのなら、そうはっきり言ってくれ。家族も友人も恋人ですら、私のこの孤独はいやせないのだと、はっきりと言ってくれ。わかりきった結末でも私は泣いてしまうだろう。舌を噛み切るかもしれない。けれど、薄く儚い希望に追いすがるよりはよっぽど美しいと思わないか。そんな理解のもとで個々が生きていくことは美しいと思わないか。

ああ、どうか、そばにいてくれないのなら、