Can anyone hear ME?

むかし、英語の教科書に載っていた「Can anyone hear me?」というフレーズがたまに脳裡に浮かぶ。どういうタイミングだか、よくわからないのだが、好きだなと思う人、それは恋人でなくても友人や同僚なんか、そういう人と話していて、たまに「きっと私の言うことにこの人の理解が及んでいない」と感じる瞬間、このフレーズが頭をよぎる。別に、相手のことを馬鹿にしているとかいうことはないのだけど、ただただ、好きだからこそ、不安になる。

好きな人と一緒にいることは、たまに、好きなレベルと同じぐらい、つらいことになりえる。好きな人とのズレを見つけたとき、わかっているはずなのに、つらいと思ってしまう。

好きなことはつらい。そう思うのは、好きな気持ちに、自分の理性が追い付けないときがままあるからだろう。理性が追い付いていないから、好きな人が私のことをそんなに好きでなくても、あんまり苦じゃないのだった。不思議なもので。もちろん、嫌われるのは嫌だ。だけど、私が好きな人が、角砂糖のかけらぐらい、私のことを好きでいてくれれば、それでいい。

反対に、私がその人を好きな以上に、私のことを好きになられると困る。どうしてだかわからないけれど、どうしてだか、困る。そういう人には嫌われたい。だから必要以上にそっけなく接したりする。好きだ、という、その好意を向けられることに慣れていないから、私の理性が突き抜けていく。そういうときも感情に理性が追い付かない。いつだって理性が追い付かないのだ。私は。

きっと、そういうときに、「Can anyone hear me?」と私はもしかしたら自分に問うているのかもしれない。