i

感受性を高めるためには、自分が自分の心に敏感になるためには、心地よいと思うものを遠ざけなければいけないと、思っている。節がある。

心地よいものは優しい。包んでくれる。誰かと一緒にいることや、優しくされること、会いたい人に会うこと、あたたかな場所で眠ること、いつも誰かの声がすること。でも、そういうところにいると感覚がぼやぼやと滲んで、私の中から溶けていってしまう。だから怖い。文学が逃げていく。私が愛した私のとがった切っ先が崩れていく。だから、捨てる。捨てることに厭いがない。捨てなければ美しくなれない。私が愛する作家たちは皆、孤独に見える。孤独から文学は生まれるのだと盲信しているので、それがどうであれ、そうでなければいけないのだと、思う。心が痛いとか悲しいとかそんなことは後回しで、孤独になることを優先するように、なっている。美しいためには孤独でなければならない。誰も愛さないし誰からも愛されない。そんなことは、人間として生きる上で苦痛だのに、それでよいと思っている。文学に愛されたいために。でも別に、文学は愛してくれない。そんなものは勘違いだ。ばかげた宗教だ。だけど私はその、ばかげた宗教の狂信者だ。いつも自分の首を絞め続けている。助かる日なんていうのはない。教祖を殺さない限り。もしくは自分の首がねじ切れない限り。

我ながら極端だと思いながらも、こうして文章を必死につなげていることで落ち着いてくるのだから世話はない。