栗大福のこと

今日、両親と一緒に買い物をして、帰り道に父が「お前、栗大福食べる?」と聞いてきた。家用と行きつけの喫茶店のマスターにお土産用に買ったらしく、二個入りか三個入りか、どちらを家用にするかを悩んでいたらしい。私が食べるなら三個入り、食べないなら二個入り。私は即座に「食べない」と答えた。そうして喫茶店には三個入りが贈られ、二個入りのうち一つを、さっき父がもぐもぐ食べていた。

よく、小説で「栗大福」とか「豆大福」がちょっと贅沢でおいしい和菓子の代名詞で出てくる。と思う。たとえば、と言われるとこの小説、とは言えないのだけれど、ドラマでもよく、主婦がこっそり豆大福を食べてるシーンがある。気がする。みんなが好きで、でも中々、高いので自分では買えない、というイメージがあるのだろうか。父も豆大福が好きで、私が都会に買い物に行くと、いつも「おいしい豆大福買ってきて」と言われる。はいはい、と言いながらも、たねやとか柿安とかでおいしそうな豆大福を探す。

私はあんまり好きじゃない。普通の、求肥に包まれた餡子の方が好きだ。だけど、小説やドラマで栗大福や豆大福を見かけるとものすごく食べたくなる。大学時代も、なんだったかの小説を読んでいたら豆大福が出てきて、そんなに好きじゃないのに、駅前の百貨店で豆大福といい緑茶を買い、家で一人食べたことがある。さしておいしくなかったのだけれど、満たされた感覚が心一杯に広がって、なんて幸せなんだろうと思った。

今日、見せられた栗大福にはまったく心惹かれなかったのに、また、いつか小説に栗大福が出てきたら唐突に食べたくなってしまうんだろうなと思う。

だから、言葉って素敵だ。