おとしもの

あ、何か落とした気がする、と思って振り向いても別に落ちていない。落ちていないのかもしれないし、落としたことに気付いていないのかもしれない。なんだかそうやって自分自身を振り向いたとき、空っぽであることが怖くて私は私と向き合うことを、未だためらっている。

言葉がない。感情がない。景色がない。すべてがない。何がどうしてこんな風なのかわからないが、新緑がまぶしい季節はいつもからっぽになってしまう。美しく晴れ上がった空は開放的で、心も開け放たれてそのすべてが出て行ってしまうのだろうか。この季節は風の匂いや空の青さや生命のにぎやかさを見るにつけて不安になる。自分がどうしたら生きていけるのかが急にわからなくなってしまう。こんなはずではなかったと、誰かに言う。誰に言うのかは今でもよくわからない。こんなはずではなかったなら、どんなはずになりたかったのかもわからない。

小学校の頃、普通に歩けば十五分の下校の道を、つくしをとったり歌を歌ってふらふら歩いていたら一時間かかってしまい、両親が心配して大騒ぎになったこと。父は夜勤だったのだが、心配で仕事に行くのが遅くなった。家に帰りついた私は尻子玉が抜かれる勢いで怒られた。私はよくわからないまま、怒られているという事実だけで泣いた。
もう少し大きくなって、行動範囲も広がって友人とどこどこのあたりまで遊びに行ったと母に話したら、そんな遠くに行くなんて、と、母は泣いた。小学校から十五分もしない場所だったのに、母が泣いたことが悲しくて私は風呂に入りながら泣いた。
高校生の頃、自転車で通う友人の家までついて行ってなんでもないようなことをぽろぽろ話しながら歩いた。ゴム印のお店が合って、そのお店の名前が私の苗字と同じだったことに二人で笑った。そうして彼女の家の最寄駅から一人電車に乗り、ウォークマンで曲を聞きながら帰った。夕日が美しい、みたいな曲だった。
大学生の頃、友人と外灯のない真っ暗闇の道を歩いた。冬。夜空には満天の星が輝いていて、友人は私のことを好きだとぽつぽつ語った。私はそれまで食べていた、ファミリーレストランのイチゴパフェのことを考えていた。手袋をしていない指で鼻を押さえると、甘い甘い匂いが鼻孔に広がった。

私は目を瞑り、心の形を指でなぞっては奥底にへばりついた記憶を言葉にする。言葉にしても、記憶は逃げないでいてくれる。今はそれにしがみつくしかない。落とさないように。手放さないように。本当の空っぽにならないように。