タイトルも浮かばない日は

今までそんな風に思ったことはなかったけれど、雨の日はあまり気分がすぐれないのだと思う。たぶん、気圧的な関係で。雨の音は好きだ。風がない雨の日はわりと好き。傘に雨粒が落ちる音は結構すき。ぱたぱたと丸い雨粒が、傘の布にあたって落ちていくのを想像する。撥水性の布の上を滑る雨。きれいだなと思う。でも、あまり、気分はすぐれない。ここ数日ずっと雨模様なことも影響しているんだろうか。

朝、起き上がれなかった。断片的に脳裏に浮かぶ職場の風景が、私の体の気力を奪っていく。今の職場は、好きではない。嫌いでもない。同僚には相変わらず恵まれているとは思う。でも、どうしても好きにはなれない。誰かが、仕事は楽しいものじゃないのは当たり前だ。仕事が楽しくてどうする、と言っていた。でも、楽しくなくては好きになれないし、楽しいのと好きなのは別の人はいるんだろうか。そんなことを考えていると、瞼が熱くなって重くなって、盲目のようになる。何に盲目なのかはわからないけれども、心に一切の風景が刻めないようになっていた。
少し休みをもらい、鬱々としたまま職場へ行った。課長と後輩が何やら小難しい話をしていて、それを見かけたことがもう億劫だった。頭は痛くないし、マスクはしているけれど風邪は引いていないし、胃も痛くはない。でも、思い浮かぶことは「ただ帰りたい」という、半ば脅迫めいた思いばかりだ。後輩が、気を使って「おはようございます」と声をかけてくれたのも、目を合わせないで適当に首を揺らして返事に替えた。悪かったと思う。どんどん息苦しくなる。何も頭に入ってこなくて、体調も悪いわけではなかったけれど午後になって早退した。

家に帰って眠ってもよかったが、そうすると夜の不眠に拍車がかかりそうだったのでそれはやめ、適当に車を走らせた。何をするでもなく、何をどうしていいのかもわからず、しとしと降る雨の中をずっと走っていた。
ふと、昼食を食べていないのを思い出して近くのショッピングモール内にスターバックスに入った。スタバの店員はいつも笑顔で、少し押し付けがましいと思う。それでも、丁寧に接客されないよりはいいので最低限の言葉だけで注文をする。デザートに食べるか迷ったのだが、とりあえずチョコレートとミックスラズベリーのスコーンを注文した。温める気は全くなかったのだが、温めますね、と言われてしまい、断るつもりであったのに言葉がうまく出てこなかったので、茶色い三角形のスコーンはオーブンの中に消えて行ってしまった。

二人掛けの席につき一人もしゃもしゃ食べていると、隣の席に親子連れが座った。親子連れといっても、母親は60代後半ぐらい、娘は30代後半が40代前半ぐらい。娘はちょっと疲れていたようだったが、いろいろなファストファッションのショップバッグをイスに置いた。と、どれかが下に落ちる音がして、母親が「あーあ」と言った。その言い方は、まったく知らない赤の他人でさえ少しいらっとするような言い方で、案の定というのか、娘は母親にニコリともしないでその袋を拾いあげ、イスに置いた。そして無言で、クルーが飲み物を作っているカウンターの方へ行ってしまった。ワインレッドよりは少し鮮やかな赤いブイネックのニットに、黒いジャガードのフレアスカートと、コーチのモノグラムの入った、小さいボストンバッグのような形のショルダーバッグを斜めにかけていて、なんとなく野暮ったい人だった。
娘は飲み物と軽食を乗せたトレイを持ってきても、母親が呪文みたいにぶつぶつと言って話しかけても、ずっとスマートフォンを見ていて一言も話さなかった。私は生暖かいスコーンをちまちまとつつきながら、二人を目の端で見ている。最後まで、娘は言葉を発しないで、トレイにごみを少し乱暴にのせるとその場に母親をおいてどこかに行ってしまった。
ふと、私の斜め前には、若い母親と、一歳ぐらいの男児と、母親の妹のような女性がテーブルに座っていた。男児の前には紙ナフキンが置かれ、そこにおやつらしいビスケットが空けられる。母親と妹は「はい、いただきますは?」と男児に促すが、男児は何も言わないでビスケットを食べ始め、母親と妹は「ああ」と非難する様に、でも、笑っていた。
私はスコーンを持ち帰り用の袋に入れて、席を立つ。マスクをして、ストールを顔の半分ぐらいまで引き上げた。家の匂いがする。
急に、ほぼ仮病を使って職場を早退したことの罪悪感が、じわじわ大きくなってきてああどこにいても何をしてもこの中途半端な真面目さからは逃げられないのだと思うと、やっぱり憂鬱になるのだった。

恋人からメッセージがきていたので、憂鬱だから仕事をさぼった旨を伝えたら、夜少し会おうかと言ってくれて、喫茶店でコーヒーを飲んだ。チェーン店なのだが、ビーフシチューがおいしいというと、彼はそれとチリドッグを頼み、おいしいおいしいと食べていた。彼にはきっと、私の憂鬱の正体はわからないだろうし、わかったところで取り除けないのだろうと思う。そもそも私だってこの、まれではあるが習慣的にくる憂鬱の正体はわからないし、取り除けるのかどうかもわからないのだ。彼も不安症はあるけれど、彼のそれと私のこれとはまた、全く、根本を異にしているのだろうと思う。お互い難儀だ。

帰り際、ぼうっとして車窓を眺めていたら、彼が車を止めて抱きしめてくれ、「大丈夫だよ。頑張らないでいいよ」と、独り言のように言っていた。

こんなこと書いたところでピンとくるタイトルも浮かばない。タイトルをつけようもないことばかりだな。あの、むくれっつらで母親の言葉に一切返事をしなかったあの女性も、きっと同じような気持ちでいるような気がする。彼女が笑うのがあまり想像できない。どんな人だろう。

雨が今は止んでいる。とても静かだ。今日は怖い妄想をしないで寝られるだろうか。雨が降っていたほうが、気がまぎれることもあるのにな。
明日の朝、また、降り出すそうだ。