秋の服

秋が好きだ。気が早いと言われようが、秋が好きだ。おしゃれができる。服がかわいい。気候が素敵だ。風が寂しくなる。夕日が本気だ。みんなの横顔が、どこか美しい。秋が好きだ。最近、ウィンドウショッピングをしていても、Early Autumnの文字が躍っている。安っぽいポップも、秋というだけでなんだか許せるようになる。服がかわいい。外套に隠れることなく、服が服のまま、いきいきと顔を見せる季節だと、私は勝手に思っている。
毎日、暑いから袖が短いものや足が涼しいもの、と、思い悩んで服を決めているくせに、今買うのは秋服だ。この間買ったのはカーキのミリタリーシャツ。ブイネックの少し大きめのニット。早く、涼しくなればいい。秋になれば、私はきっと、もっと自分の好きな服が着ることができる。そういう間、私は私を許すことができる。つかの間の釈放。何からかは、よくわかっていない。その一瞬間だけ、私は自由になる。

それと、秋が好きなのは、心の風通りが良くなるからなのもある。別に心の風通りが良いことと、自分の心持がよくなることは同義ではないので、きっと秋になれば秋なりの理由で、私は絶望して泣いているだろう。それでも、秋が好きだ。秋の風が心にふきすぎると、私は自分が一人であることと、一人でないことを思い出す。誰かと生きることの煩わしさを思い、誰かを想うことの温かさを知るだろう。

秋は、いつも、心の色が鋭敏になる。心の耳が研ぎ澄まされる。誰かの声を聞く。誰かの瞳を見る。誰かの、孤独を、知る。秋は、そういう季節だ。

そういうことを思って、今は8月の日差しを生き抜いていく。あっけらかんとしている、夏の空気を。