いのちは朝ひらく

出勤経路の途中、朝にいつもうつくしく咲く花がある。黄色い絵の具のようなまじりけのない黄色の花びらを目いっぱい開き、朝の黄金色の光を受ける花。車の中からちろりと覗くだけだが、その誇らしさがとてもかわいらしい。
夜には花びらが閉じ、くしゃりと丸めた質のよいシーツのように見える。その姿もまた可憐だ。
気になって調べてみたら、カタバミという花みたいだ。可憐なのに、強さがある。潔さがある。朝になればその花びらを開き陽の光を浴びる。夜になれば静かに花びらを閉じ、眠りにつくのだ。

なんて当たり前で、それでいてなんという美しさなのだろう。陳腐な言葉だけれど、道端の花の美しさに初めて気づいた。
無条件の美しさがある。生とはおそらく、無条件の美しさのことを指すのだろう。

書いていてもどんどん胸がいっぱいになる。瞼の裏にやきついた、あの、混じりけのない黄色が、命そのものに見えてきて、きっと朝、開いた花びらに触れたら、夜、眠る花びらに触れたら、私は泣いてしまうかもしれない。

いのちのかがやきに。