108の煩悩

陳腐なことを言いたくない、と思うほど、陳腐なことばっかりを言ってしまう。だから自分が陳腐な人間だと思う。陳腐じゃない人間は、陳腐でない言葉を言うのかもしれないけれど、そういう人間が好きかというとそうでもない。そういう人がいたら蔑むし妬むだろう。めちゃくちゃだ。私は。

ごちゃごちゃしたことを考えていると、胸がつかえているように思える。呼吸はできているか、と、心配になって深呼吸をする。呼吸ができていなければ死んでいるはずだから、大丈夫、できている。酸素を吸って、二酸化炭素を吐いて、生きている。陳腐な私でも生きていることはできるので、ちょっとほっとする。ちょっとだけなので、すぐにまた不安が胸を覆いつくして頬が固くなる。

そういうときは、誰かに死ねと言われたい。言われたいだけだ。死にたいわけじゃない。死なない。でも、死ねと言われたい。自分が思う自分を、否定してほしい。否定して、それでいいんだと、言われたい。そうしたら私は喜んで、ぐっすり眠れるだろう。前日の日曜に運動会があって、代休になった月曜のように、目覚めたいのだ。

自己暗示なのかもしれない。不安という、魔法を、自分が自分にかけている。でも、解き方がわからない。誰かが解毒剤を持ってるわけでもない。よくわからない。陳腐な私には、不安は不安としか、認識できない。だからいつも、食いつぶされているのかもしれない。いくつもいくつも、何度も、何度も。

人の苦の原因を「煩悩」というのだそうだ。煩悩は百八つあるというけれど、そんなんじゃ、全然、足りない。いや、むしろ多すぎるかもしれない。なんだって、いつも、自分だけが自分の原因だから。