ドリームハイツ(13)


 十人並みのサスペンス。言語郎は反重力装置の電源を入れて宙に浮かぶ。部屋中に散らばる神をこれ以上粉々にしないように気づかいながら、玄関を出て空を飛ぶ。特に行くあてはなかったが、自らの眼前で発現した奇跡の意味を咀嚼するために、彼はあの部屋にとどまることが出来なかったのだ。
 初夏の快晴。人々は言語郎のつくった反重力装置を片手に空中をたゆたい、路の上は混雑していた。言語郎はたったいま起きた驚天動地の大事件を大声で人々に訴えようかとも思ったが、行き交う人々の顔を見て黙りこむ。人々の表情は、みな笑顔に満ちている。言語郎の発明により生活が便利になった結果、幸福の発露としてかつては見えたその笑顔。言語郎はそれが、白痴が小便を漏らすときに見せる笑顔や、犯罪者がねこを殺す直前に見せる笑顔にも似ていることにいま気付く。すぐ近くで、反重力装置の電話機能を使ってひとりの男が喋っている。彼もまたにやけた笑みを浮かべながら、装置に向かって絶え間なく怒声を発している。
 「うるせぇな払えねぇものは払えねぇだよ。賭場でぜんぶ使っちまっただからしょうがねぇだろ。いいから牛乳もってこいよ。ライフラインだろがよ。配達止める権利なんてあんのかよ。おいこら。ぼけなす。牛乳ねぇと病気の子供が死ぬんだよ。おいこら。じゃああんた責任とんのか。子供死んだら責任とれんのかっつってんの。おいこら。かぼちゃ。たこ。にんじん。だから来月まとめて払うっつってんだろ。だから牛乳もってこいよ。おいこら。天ぷら。ころすぞ」
 前方に、上昇と下降を繰り返す不自然な飛び方をする男がいる。何をしているのかと興味をそそられ言語郎はしばらく浮かんで彼を見つめる。男の背後から、ミニスカートをはいた若い女が飛んでくる。それを見た男は即座に反重力装置を取り出して、地面すれすれまで下降してから装置を空のほうへ向ける。その先に女の白い脚と下着がある。かしゃりと響くシャッター音。盗撮に気付いた女が下を見る。男が悪びれるふうもなく、投げキッスを女へよこす。女が笑って飛び去って行く。男が装置のライブラリ機能を操作して、撮影の成果を確認する。うまく撮れていたのだろう、男の顔に笑みがこぼれる。
 気が付くと言語郎は、王宮の門前に浮かんでいる。あの若く才気あふれていた王にも、もうしばらく会っていない。地下牢で反重力の実現に向けて一心不乱に研究していた情熱の日々。あの頃交わした王との会話。知性と教養に裏打ちされた、言葉のゲーム。言語郎はいまそれらを懐かしく思い出し、王との面会を申し込もうと考える。先ほど起こった奇跡の意味するもの、それについて王と語りたくなったのだ。
 王宮から兵士がひとり、門をくぐって現れる。彼もまた市井の人々と同じように、手にした反重力装置を耳元にあて、電話の向こうの誰かと話をしながら飛んでいる。
 「あ、オレオレ。母さん助けて。……ん? 声? ああ、ちょっと風邪ひいちゃって。そんなことよりさ、ちょっとやばいことになっちゃって、今日中に三十万要るんだよ。うん。そう。オレオレ。タカシ」
 兵士が電話で話しながら、地平線の彼方へと飛んで行く。
 大地の上を、兵士が落とす影が過ぎ去って行く。からからに乾いたコーン・フレークの上を、黒くてまるい影が行く。

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