ドリームハイツ(9)


 顕在化するサスペンス。これは神話である。人物は皆ひかりを浴びて佇んでいて、ねこは炬燵でまるくなる。大通りには黄色いくるましか走れない。下水道の安寧秩序。律法は忘れ去られ、駄洒落だけが流行る世間の荒波を、いまひとりの聖者が正義を求めて歩みを進める。
 縮れた頭髪は禿げ上がり、頬は白い無精髭にまみれ、身体には古布を巻き付けただけで裸足の足下。いかにも聖者然としたその姿かたちはまるでコスプレ。しかし予断は禁物である。彼こそは本物の聖者であり、厳格な求道者であった。
 彼が生まれ育った地域では、ぬるま湯のような我々の社会とは法の成り立ちからしてまるで違った。彼らの神は神殿に祀られた見えざる存在ではなく、路面に隙間なく敷き詰められたコーン・フレークである。そのため、祭を司る王は神の怒りを封じ込めるために民の歩行から管理しなければならなかった。神たるコーン・フレークを踏み割った者は躊躇なく処罰されるため、住民たちは一歩ごとに神への感謝と祈りを捧げながら、爪先立ちで静かに緊張して路を歩いた。晴天の日にはコーン・フレークが乾燥して割れやすいため、外出は雨の日やその翌日の、コーン・フレークが水を吸ってふやけている日に限られた。身体の重い者や体格の良い者は淘汰され、その地には紙のように痩せ細った人々だけが慎ましやかに暮らしていた。
 さてここに、言語郎というひとりの青年が住んでいた。彼は若いじぶんからその聡明さで人々に知られており、学校も無く文盲も多いこの地ではまるで突然変異のような知恵と記憶力を備えていた。彼は通信教育で物理学や哲学を学び、地域のインフラ整備や問題解決に無償で尽力した。井戸の水が涸れた、棚の上の物が取り出せない、瓶詰めの蓋が開かない、嫁姑の関係がうまくいかない、等のトラブルが発生した折々で、彼の知恵と発明が人々を救ったのである。言語郎は地域の人々から大変に尊敬され、感謝されていた。
 言語郎が四十歳のとき、彼の母親が王宮で処刑された。老齢で足下のおぼつかない彼の母親は、晴天の日に玄関先の段ボールを片付けようとした際に、ついよろけた右足で神たるコーン・フレークを踏み割ってしまったのである。言語郎はやり場のない怒りに震えた。何故我々は晴れの日に表を歩くことが出来ないのか。何故神は我々にそのような試練を与えるのか。何故彼の母は死ななければならなかったのか。その日から五日間、言語郎は不眠不休で考え続けた。
 無論、彼はこの地域に住む全ての人々と同じように、熱心な信仰の持ち主だった。神と民が共に暮らすこの大地を彼は真剣に愛していたし、その愛を疑うことを知らなかった。ただ、路面に敷き詰められたあまりにも繊細な姿をした神と、無骨な人間たちが秩序を保って共生するためには、更なる知恵が、発明が必要なのではないかと考えたのである。
 そして、言語郎の母親が処刑されてから七日後の朝。その日は雲ひとつない快晴であった。人々は家の中に閉じこもり、蓄えた木の実で質素な朝食を楽しんでいたが、ふと気付けば窓の外からおーいおーいと彼らを呼ぶ大きな声がする。こんな晴れの日にまさか外に出ている奴が居る筈もないが、と彼らが窓から外を覗くと、果たしてそこには言語郎が、右手に持った如雨露からか細い水流を路面に向けて垂らしながら、爪先立ちで彼らを呼んで言うのだった。
 「ほら、こうすれば、晴れの日だって外に出られるだぞ」
 日常からあまりにもかけ離れた光景であるために、一見しただけでは理解することが出来ない人々が、戸惑いながら言語郎に問いかける。
 「おめ、それもしかして、自分で雨降らせて神様をふやかしてるだか」
 「おおそうじゃ。こうして水で濡らせば、雨降りでなくても神様はふやけるだぞ。これなら晴れの日だって、神様に傷を付けずに歩けるだぞ」
 その時人々に湧き起こった興奮、喝采。言語郎は生まれて初めて、この地の人々が歓喜で爆発する姿を見た。やっぱり言語郎はすげえ、あいつの頭は天才だ、人々は口々に快哉を叫び、言語郎の知恵を誉めそやした。
 「ほれ、みんなも出て来い。如雨露を持ってる家なら誰でも出来んぞ」
 言語郎の呼びかけに応え、喜び勇んで人々は如雨露を水で満たして玄関の扉を開けたが、敷居をまたぐ直前に、彼らはそこではたと歩みを止めてしまう。
 「どうした。早く出て来んか」
 外に出ることを躊躇する人々の姿を見て不思議がる言語郎の背後から、王宮の兵士が三人、爪先立ちでゆっくりと近付いて来ていた。

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