ドリームハイツ(14)


 泥臭いサスペンス。王は王宮のベランダに据えられた籐椅子に腰をかけ、アイス・ティーで一息つきながら、兵士たちが洗濯物を大量に干しているのを眺めている。
 「今日は厚手のものもよく乾きそうだな」
 平和な昼のひととき。王宮には緩やかな時間が流れている。兵士が侍女の誰かに卑猥な冗談でも言ったのだろう、馬鹿笑いする男女の声が物干し台から聞こえてくる。
 「天気の話はもう良いだよ。で、王ちゃんはなんと見る? 俺は神に対してどう申し開きをすれば良いだべか」
 むかしは若かった王も、すでに四十歳を過ぎた。彼はこの地方の政治に自らが成し遂げた功績に満足していた。王がこの地に初めてやって来たときに見た、陰気でじめじめしていじけていた人々の顔はもはやない。人々は陽気に活動的になり、王宮の人間も市井の人々も、みな分け隔てなく互いに笑顔を交わしている。無論それは、いま王の前に跪き、潤んだ両目で王の表情を見つめている言語郎の成し遂げた功績でもあった。彼が発明した反重力装置によって、人々の、この地方の生活水準は見違えるほど豊かになった。しかし王は不思議に思う。どうしてその言語郎だけが、この地方でただ一人いまだ陰気な表情をしているのか。まるで彼はこの地方にかつてあった陰気でじめじめした気分を、自らを生贄にしてすべて引き受けたようにも見える。王はもうそうした陰気な顔を見たくなかった。そういう重く苦しい悩みや辛さを捨て去るために、我々は努力してきたのではなかったのか。明るく楽しく悩みを捨てて生きるために、お前はあの装置を発明したのではなかったのか。人々の幸福は、お前に満足を与えないのか。細かいことは忘れてとりあえずぱあっとやろうとか、そういう考え方はお前には無理なのか。
 「なぁ王ちゃん。何か言ってくれろ。俺は神の怒りを買ったんだべ」
 「しかしな、言ちゃん。おぬしは何も悪いことはしておらぬぞ」
 ちなみに、二人が王ちゃん言ちゃんと呼び合う仲であることは王の臣下の前では秘密である。かつて地下牢の中で燃やした情熱が、二人の知性と魂を親密に結びつけていた。彼らはいま王宮のベランダで、二人きりで話している。このような特別な会見が許されるのも、言語郎にのみ与えられた特権なのだ。
 「俺はここに来る途中で見ただ。人々の乱れきった倫理観を。確かに俺の発明によって、人々の生活は豊かになった。んだども、そのことで人々の心根や魂は汚れてしまったんではねぇか。だから神はそんな発明をした俺を怒っていらっしゃるんではねぇか。むかしの怯えた暮らしこそが、神の被造物たる人間にとっては正しい暮らしだったんではねぇのか」
 王はアイス・ティーのグラスから、融けかかった氷をひとつ口に含むと、奥歯で噛み砕いてから言った。
 「なぁ言ちゃん。おぬしは、神を信じてるか」
 「あったりめぇだ。そんな罰当たりなこと言うもんでねぇだ」
 「うむ。もちろんわしも神は信じておる。なら言ちゃん、科学はどうだ。おぬしは、科学を信じてるか」
 「その設問はナンセンスだべ。科学は信じたり信じなかったりするもんでねぇだ。俺科学者だもん」
 「だよな。ならこう訊ねよう。なぜおぬしは神を信じる?」
 「なぜって……神の存在は物事の原理だど。それを疑ったら話が進まねぇだ」
 「神の定めた秩序は絶対であるという意味か」
 「んだ。そういう意味だ」
 「なら、何を思い悩むことがある。人間は神によってつくられた。つまり我々は神の定めた秩序に則ってつくられたわけだ。おぬしの発明行為も、神がそうなされるように定められたものではないのか」
 「それは違うよ王ちゃん。人間は間違えるんだ。好き勝手して間違えるもんだから、神の定めた秩序をはみ出したりないがしろにしたりすることがあるだよ。そんなとき神は怒って、きっちり片を付けようとなさるだ」
 「じゃあ言ちゃん。もういっこ訊くけどさ。人間だけに、なぜそんなことが出来るんだ? さっき神の定めた秩序は絶対だと言っただろう。なのになぜ人間は、それをはみ出したりないがしろにすることが出来るんだ? 神が出来ないことを人間が出来るのだとしたら、すでに人間は神を超越しているではないか」
 「王ちゃんおめ、何てこと言うだ。神の怒りで雷に打たれるだぞ」
 「違うんだ言ちゃん、よく考えろ。神の秩序は絶対なんかではない。人間ははみ出す、ないがしろにする、つまり人間は自由だ。それと同じように、神も自由なんだよ。神もはみ出すし、ないがしろにするし、間違えるんだ。神にも間違える自由があるんだ」
 「王ちゃん……おめ、何が言いたいだ」
 「もうわかってるだろう言ちゃん。おぬしは世界の知り方を変えろ。この分岐は神が選んだ可能性のひとつに過ぎない。世界とおぬしは今や同一だ。あらゆる可能性に対応した数多の世界があるように、そこには数多の言ちゃんが存在するのだ。おぬしはいま正しい自由を獲得した。どこへでも行けるんだよ。言ちゃんが自由であるように、神もまた自由なのだ。さあ飛べ! どこの何を選ぼうと、それは言ちゃんの自由だ。飛んで世界の知り方を学べ。科学とはそういうものなのだから」
 そして言語郎の分岐が始まった。

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