ギョソ(5)


 ぼくは一冊の本を持っている。
 とても変わったつくりの本で、ふつうに本屋さんで売っている本や学校の図書室にある本とは全然違う。
 題名や、書いたひとの名前がなんにも書いていないし、いつ頃どこで売っていた本なのかもわからない。もしかしたらお父さんが作った本かもしれないけれど、何となくそうじゃない気がする。
 表紙がすごく変わっている。表面に動物の毛皮が貼られていて、黒っぽくて長い毛が本全体をおおっている。見た目はちょっと気持ち悪いんだけど、手に持ってみるとふさふさして気持ちが良い。
 中にはふつうの本と同じように文字が書かれている。でも時々変なふうに字が曲がっていたり、裏返しになっていたり、見たことのない文字が混ざっていたりする。印刷してあるように見えるけど、ひょっとしたらそう見えるだけで、一文字ずつ手で書いてあるのかも知れない。
 本には十人の女の子たちが主人公の、悲しい物語が書かれている。
 最初女の子たちは小さな村で仲良く暮らしている。でもある日、意地悪なとなり町のひとたちにその村は占領されてしまい、女の子たちは皆どれいにされてしまう。いじめられたりひどいことをされた彼女たちは、村から逃げて、あたらしく住む場所を求めて旅に出る。
 旅の途中で出会う変わったひとたち、おかしなもの。いろんな話がそれからいっぱい出て来るのだけど、物語は女の子たちがあたらしい村を見つける前に、いきなりぱたんと終わってしまう。
 ぼくはその本をお父さんの本棚から見つけた。
 お父さんはいつも、ぼくが勝手に本棚の本を読んでも怒らなかったし、読んじゃだめとも言わなかった。
 だからぼくは本棚から色んな本を選んで読んだけど、この本だけは特別だった。何より表紙が変わっていたし、中の物語がとても面白くって、何度もくりかえし読んだんだ。
 ぼくは一冊の本を持っている。
 そしてぼくはその本が大好きだ。

 昨日、お父さんとお母さんの葬式があった。
 お父さんとお母さんは、二人でいっしょに駅のホームにいるところを、知らないひとに刺されて死んだ。犯人はほかにも四人のひとを殺し、五人のひとにケガをさせて、そのまま自分の首を刺して死んでしまった。
 ぼくは学校へ行っている時間だったので、警察のひとに呼ばれて学校から病院へ行った。病院に着いたとき、お父さんとお母さんはもう死んでいた。悲しくて泣きわめくぼくを、警察のひとが「学校へ行ってて良かったんだよ。一緒にいたら君も危なかったよ」と言ってなぐさめようとした。でもぼくはもっとお父さんとお母さんと一緒にいたかったんだ。死ぬときだって、一緒にいたかったに決まってるじゃないか。それからぼくはずっと泣いていた。
 葬式にはたくさんのひとが来て、テレビのカメラや新聞社のひとたちも来た。葬式のときだけは泣かないでやろうと思ったけど、始まるとやっぱり泣いてしまった。カメラがぼくを写しているのが、泣きながらでもわかった。
 葬式の準備はぜんぶ親戚の伯父さんがやってくれた。お父さんとお母さんが死んでから、伯父さんはずっとぼくの家に泊まっていたけど、今日から自分の家に帰らないといけないので、ぼくも伯父さんについて行くことになった。
 ぼくは、表紙に毛の生えたあの本を持って行くことにした。
 お父さんとお母さんのことを思い出して悲しくなったときにも、この本を読めば元気が出るような気がした。本に出て来る女の子たちみたいに、ぼくもあたらしい住まいを見つける旅に出るのだ、と思った。

 伯父さんと一緒に駅へ向かう途中、大通りでまたデモ行進をやっていた。軍隊の旗や、大きな文字が書かれた横断幕を持ったおおぜいのひとたちが、マイクやメガホンを使って「帰れ」とか「殺せ」とか叫んでいて、とてもうるさかった。警察のひとたちもたくさんいて、デモ隊のひとたちを守るようにして一緒に歩いていた。
 あんまりおおぜいのひとがいるので、ぼくがつい立ち止まってそれをながめていると、伯父さんは「あんなもの見なくて良い」と言って、ぼくの手を引いて歩き始めた。
 そういえばお母さんもむかし、一緒に通りを歩いていてデモ行進にあうと、「聞かなくて良いから耳をふさぎなさい」と言っていた。
 ぼくと伯父さんはデモ隊と反対向きに歩いた。

 電車に乗って伯父さんの家へ向かう途中、ぼくは表紙に毛の生えた本をかばんから取り出して、また最初から読み始めた。
 何度読んでも、女の子たちの冒険にわくわく出来て、とても面白かった。
 こんな言い方は何だか悪い気もするけど、読んでいるとまるでこの世にはお父さんもお母さんも最初からいなかったような、ぼくは生まれた時からずっとひとりだったような気がして、すがすがしい気持ちになった。そしてそれが当たり前のように思えて来た。
 そして、このお話が途中で終わってしまうのは、続きを書いてもらうのを待っているからなのかもしれないと思った。この続きを書くために、ぼくはこの本を持って来たんじゃないだろうか。

 電車をおりて駅を出ると、ぼくは伯父さんに言って分厚いノートを買ってもらった。

 ぼくはこの本の続きを書かなくちゃならない。
 あの女の子たちの、あたらしい住まいを見つけるために。
 そしてそれは、ぼくのあたらしい住まいを見つける旅でもあるのだ。

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