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ヒーローになるのは、生きるついでくらいに🇸🇳①

小学生の時に何気に見た国連のCMで、
黒人のやせ細っているのにお腹だけポッコリと出ている男の子と目が合った。
幼いながらに、
私は毎日お菓子とご飯を食べて、
わがままを言いながらもくもんの宿題をする日々と

飛び出た目をしたその男の子の日々を想像して比べた。
「どうして私はこんなにも恵まれているのに、貧しい思いをしなければいけない子がいるんだろう?」と純粋に疑問に思った記憶がある。

そこからは学校の募金活動や、小さくなった服の寄付などに積極的に参加していた。
成長するにつれ、貧困問題への関心は強くなり
高校生の頃には大阪の釜ヶ崎(一応スラムとも呼ばれるような地域)へ足を運んだ。高校の制服を着たグループで行ったので「見せもんちゃうぞ、ごる”ぁああ!」と言いながら自転車で突っ込んでくるおっちゃんや、ワンカップを持ちながら千鳥足になっているおっちゃん、歩けばたばこの煙に包まれどこか薄暗さが続いている。

彼らの話を聞いていると、「かわいそうなおっちゃん達は私たちの助けが必要だ」なんてエゴの強いことを思っていたことが申し訳なくなった。助ける側、助けられる側に分けるなんて壁は一生この社会を変えないんじゃないかって。

それでもそんな薄暗い社会に必要なことは何なのかを知りたくて、
大学に入学した。
「国際協力は本当に必要なのか?」の答えを見つけるために、
国際関係学部に入ったはずなのに、

大学に入ると、帰国子女や、海外経験が豊富なクラスメイトで
片道2時間半かけて通う私の生活とは裏腹に、
ほとんどの皆が下宿の上に生活費を親にもらっていた。
英語で政治の授業を受けたり、卒業論文を書かなければいけない専攻なので
日本で生まれ育ち、公立の学校にずっと通っていた私のような、
いわゆる「純ジャパ」は学年のなかでも3人くらいだった。
「かりん、すごいね、頑張ったんだね」
という励ましだって、

援助国の人が被支援国の子供にかけるような言葉に聞こえた。

パンフレットに載っている先輩たちの進路を見たって、
ほとんどが大手企業などに就職し、
嘘くさい笑顔とともに、仕事へのやりがいを語っている。

そんな環境で、私たちは国際社会の一員として何ができるのか、
これからどうしていくべきなのかを考えるのが馬鹿らしくなった。

貧乏の「び」の字も経験したことのない「私たち」が、
関西でも一応有名な私立大学で、快適な空調の中スクリーンに囲まれながら
「世界平和」について考えるなんてのは嘘くさいでしょう?


仲のいい友達の中でも、海外生活をしたことのなかった私は
休学をして外に出たくなった。
行先は、アフリカ最西端のセネガル。
アフリカの貧困とはどんなもんや?
と思って、特に深くも考えず9カ月滞在する予定を立てた。

実際に行ってみると、
いつも助けてもらっていたのは私で、
現地の人は皆自分の生活も苦しいはずなのに、
私をいろんなところに連れて行ってくれたり
ご飯を分けてくれた。
そして、私という人間が存在することを純粋に祝福してくれているように感じた。

貧困問題に何ができるかな?に対する答えを求めていた19歳の私は、
「小銭を頂戴、おねぇちゃん」と近づいてくる裸足の擦り傷だらけの男の子たちを無視するか
「お金ないやー」と、冷たくあしらっていた。
優しくすると、離れなくなるから。

遠く離れた日本で教室にいたときは、
そのような子供がどうすれば明日のご飯が食べらるようになるかで頭を悩ませていたのに、
いざ目の前でお願いされても
その日のごはん代すらもあげられない自分が恥ずかしくなった。

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私は、アンパンマンのようにヒーローになることばかりを考えて、
本当に人の為になりたかったのではなく、
人の為になっているという実感で低い自己肯定感を補いたかっただけなのかもしれない。


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